彼岸哀歌

強炭酸

-序章-

序章「墓参り」


冬が明け、春がやってくる。

白く、冷たく積もった雪も、春の陽気によって溶かされていく。

緑生い茂る木々と、春風に靡く草原の大地はなんと美しいのだろう。

空舞う小鳥たちの声も、どこか嬉しそうだ。


冬から春へ変わるこの季節、僕が一番好きな季節だ。

何も考えずとも、この風が僕の行き先を教えてくれる。僕が行きたいところへと導いてくれる。

いつだって、この風が示してくれた道を、僕は歩んできた。

少し、頼りなくて、でもどこか優しい。

心に余裕をくれる春の小風。

今日も、風に誘われるように、僕は故郷へ足を向ける。


もう10年以上帰っていなかった僕の故郷。

大切なものをたくさん残して、旅立ったあの日のことを、今でも鮮明に思い出せる。

結局僕は最後まで泣き虫で、弱虫だった。

村へ続くこの道を、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、今の僕とは反対の方向へ、数え切れないほどの後悔と、感傷と、そして思い出を背負って、必死で歩いたあの日。

思い出せば思い出すほど、情けなくて仕方ない。

あれから10年経った今の僕はどうだろうか。

きっと、あの日の僕よりは立派になったはずだ。

気休め程度かもしれないけど、故郷を旅立ったあの日に比べれば、胸を張って歩けるはず。

そう、胸を張って彼女らに顔向けすることができるはずだ。


僕の大好きな春風は、過ぎてしまった時間を巻き戻すかのように、優しく、暖かく、緑いっぱいの草原へ吹き廻る。

僕の目に映る景色はどこか懐かしく、今も変わらない。

雪解けを知らす小鳥の囀りも、風に揺れる色とりどりの花も、静かに立ち並ぶ民家も。

何もかも、僕の大好きで溢れていた10年前の、僕の村。

少しばかりの感傷を、少しばかりの期待を、少しばかりの自信を。

背負って、抱えて、時々転びそうになりながら、僕は夜鳴村よなきむらへとたどり着いた。



何百年も昔から、村の守り神として祀られている二本の大樹の下を潜り、粗く整えられた細い道をまっすぐ進む。

木と、石煉瓦で建てられた民家が連なり、村の中心へと続くその道は、僕がまだ幼い頃、裸足で駆け抜けた思い出の道。

なんてことない、誰にでもあるような思い出だが、今の僕はそれがものすごく大切なものだったんじゃないかと、ふと思う。

形に残せないものだからこそ、思い出したとき、それがどれだけ大事なものだったのかと気づけるんじゃないだろうか。

それが、失ってしまったものならなおさらだ。


「...あれ、霧ノ助、お前!霧ノ助か!?」


民家の隣の畑から、聞き覚えのある声が僕の耳へ。

農作業用の仕事着を土で汚し、麦わら帽子が似合いそうなおじさんが、こちらを見て手を振っていた。

驚きを隠せない様子で、でもなんだか嬉しそうな笑顔で、鍬を置きこちらへ向かってくるおじさん。

そののらりくらりしたのんびりな歩き方は10年前と何も変わっていない。


「おじさん、お久しぶりです。10年ぶりですね」


「ほんとだなぁ...、お前がこの村を出て行ってからもう10年も経つのか...。時間が流れるのは早いな。それよか、どうしてまた急に帰ってきたんだ?」


「10年なんて、あっという間ですよ。僕が帰ってきた理由はですね...、まあ、その、妻の墓参りです....」


僕の言葉に、おじさんはまたしても驚きの表情を見せる。

この人のこういう表情の豊かさは、昔からだ。

子供のころから、良くしてもらっていた。


「...そうか。それにしても、大きくなったな。昔は、しょっちゅう泣いていたのにな」


「そ、そりゃ、10年も経てば僕だって変わりますよ...。そういうおじさんは何も変わってないですね」


「あたりまえさ。俺は、お前がガキのときから何一つ変わってないぞ。強いて言うなら、腹がでちまったことくらいさ」


がはははと、大きな声を上げ笑うおじさんの表情は、やっぱり何も変わっていない。

僕の大好きなこの村の人たちは皆、優しい表情をする人ばかりで、そんな人たちに囲まれたこの村に産まれて、本当に良かったと、今ならすごく思う。


おじさんと、他愛ない話を交え、通りゆく懐かしき故郷の大人たちにも一通りあいさつを終えた僕は、村の外れにある丘へと向かう。

毒々しいほど、真っ赤に熟れた花弁備える彼岸の花が咲き乱れるその丘に、彼女らは今でも眠っている。

10年前、僕がこの村に残した全て。

辛いことも、苦しいことも、一生懸命抱えて生きてきた二人の英雄との再会を、僕は楽しみにしていた。

本当は、もっと早く、ここに来るべきだったのだろう。

来年は、来年こそはと、ここへ来ることを、心のどこかで拒んでいた。

罪の意識や、自責の念が、僕の足を掴み、離さなかった。

意志の弱さは己の弱さと、じいさんが言っていたが、その通りだと思う。

色々な言い訳を並べ、結局はここに来ることが怖かった。

あの時逃げてしまった自分を、責められることが、怖かったのだ。

こんなんじゃ駄目だと決意したのは10年後の今日。

本当に情けない話だが、今日ここに来られてよかった気がする。

今の僕なら、彼女らに顔向けができる。


細い道を抜け、やがて一面真っ赤に染まった丘が見えてくる。

太陽の光をたくさんに受け、目が痛くなるほど輝く、血だまりのような花畑。

その頂上に静かに立てられた石碑が二つ。石碑の前で座り込み、手を合わせる女性の姿も。

やっぱり、彼女も来ていたのか。


石碑の前で、手を合わせたまま微動だにしない彼女に背後から声を掛ける。


「やあ、10年ぶりだね。鈴蘭」


「....あら、霧ノ助さん。久しぶりね」


彼女こそ、10年前と一切変わらない、妖しさと奇麗さ。

整った顔立ちに、薄く施された化粧。色あでやかな、四季折々の花が染められた着物。

彼女だけ、10年間時が止まっていたのではないかというくらい、昔のまんまだ。


「驚いたわ。まさか貴方がまたこの村に戻ってくるなんて」


「一応、僕の故郷だからね。僕も、いいかな」


軽く頷く鈴蘭の隣へ。

石碑の前にしゃがみ込み、中央へ掘られた名前を一瞥する。


つじなぎ、帰ってきたよ...。ただいま』


石碑に触れ、目を閉じた。

一瞬の間に思い出すは、過去の彼女らと過ごした時間。

どうしようもないくらい、愛していた僕の時間であり、彼女ら二人の時間。

たった一瞬で、長い記憶を何度も何度も、反復し、脳裏に過る二人の笑顔。

僕が、人生で一番と言い切ることができる程、守りたかった大事なものが、そこにはたくさんあった。


背中に背負った荷物から、この丘に咲く真っ赤な花、彼岸花の花束を取り、石碑の前へ添える。

この花は、彼女らが大好きだった花だ。

この丘にはたくさん咲いてるから、要らないかとも思ったが、せっかくの再会なんだ。

2人の好きな花を供えたかった。


「霧ノ助さん。せっかく故郷に帰ってきたんだし、ウチでゆっくり話でもしましょう?ちなみに、拒否権はないわよ」


「あはは。君は本当に変わらないね...。いいよ。昔話に花を咲かそうじゃないか」


もう少し、二人と話したかったんだが、こうなったら仕方ない。

鈴蘭は、こういう性格だ。


石碑の前から立ち上がった僕らは、昔と何も変わらない村へ吹く春風に当てられながら、丘を下っていく。

風に攫われ、宙を舞う花弁を見て、なんだか二人が笑っているような気がした。

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