第34話 出会い ―江間宗一郎―
ゆりかと男の子は図書館の隣にある公園の日陰のベンチに座っていた。
あれから本を探して、休憩室に戻ったら席が全部埋まってしまっていたのだ。
時計の針が15時をまわったが、夏の今はまだまだ暑い。
汗がじんわりと出る。
目の前のジャブジャブ池では子供たちが、気持ち良さそうに水浴びをしている。
男の子の名は
近所の国立大付属小学校の6年生で、ゆりかより1つ年上だった。
「本選び付き合ってくれてありがとう」
「好みに合うかわからないけど、ぜひ読んでみてください」
「うん!
ゆりかちゃんが色んな本を知ってて、びっくりしたよ。
さっき読んでた本もドストエフスキーの『罪と罰』だったから、色々読んでるのかなって思ったんだけど、思い切っておすすめの本をきいてみてよかった。
とっても参考になったよ!」
まあ、年の功ですな。
前世であのまま生きてればアラフィフだ。
前世は読書が趣味だったから、今に至るまでなら、かなりの数の本を読んでいるはずである。
ちなみにドストエフスキーの『罪と罰』は貴也にすすめられた本だった。
ゆりかの趣味ではないので読んだことはなかったが、本好きな大人としてのプライドから「知らない」と言いたくないので、借りたい本がないならと、読んでみた代物である。
一方、宗一郎は小6にして、太宰治からアガサクリスティーまで多岐にわたって読んでいたようで、ゆりかの好きな作家の現代小説をすすめたところ興味を示して借りていた。
「ねえ、ゆりかちゃんはなんであの本を借りたの?」
一瞬ギクリとする。
あの本とは、先ほどの宗一郎の次に借りることになった本のことか。
スペイン語圏の国々を周った写真家が書いた写真付きのエッセイ本だった。
正直マイナーな本である。
以前書店の新刊コーナーで見つけて、気になっていたのだ。
前世の幼い頃、スペイン語圏のどこかの国に住んでいて、言葉も話せるのに、どこの国か思い出せない。
それがどことなくゆりかの中で引っかかっていた。
だから、あの本を見たらなにか思い出すのではないか、と少し期待していたのだ。
まあ、ゆりかの幼少時代のことなら、真島に聞けば手っ取り早いのだが、なんだか荒治療になりそうで、それは避けたかった。
しかも、そんなとち狂ったことを宗一郎には話せない。
話せるわけがない。
うん、この話を早急に終了にさせたい!
「スペイン語圏の国に興味があったから、それだけよ」
ゆりかは相手に余分な情報を与えると、突っ込んでくるのがわかっていたので、適当に答える。
「なんで?」
げっ!質問してくるの?
「…ス、スペイン語を勉強してたことがあるから」
前世で住んでたから話せたとか言えないので、嘘をつく。
「スペイン語が話せるの?!」
ゆりかの言葉に宗一郎の目が光ったかと思うと、勢いよく両手を掴んできた。
まさかのくいつき!
ほとんど情報与えてないつもりなのに!
ゆりかはびっくりしつつも、一応スペイン語は日常会話程度なら話せるので、コクコクと頷く。
「実は俺、1年前までメキシコにいたから、スペイン語話せるんだ!
スペイン語仲間にこんなところに出会えるなんて、嬉しい!」
宗一郎はキラキラした顔していた。
「あの本には僕の住んでた街が載ってたから、借りたんだ。
メキシコシティっていうメキシコの首都だよ」
それから宗一郎はメキシコでの暮らしを教えてくれた。
警備員付き、プール付きの高級マンションに住んでたこと。
治安が悪くてなかなか街中は歩けなかったこと。
メキシコのパーティーだといつもサルサやルンバを踊って、メキシコ人はみんな小さい頃から踊れる…なんて話まで。
「メキシコの乾季も熱いけど、日本の夏みたいにこんな蒸し暑くはないんだよなぁ…」
話していると宗一郎の額に汗が浮かんでいのがわかった。
ペットボトルの飲み物ももうなくなってきた。
熱中症になったら大変だ。
「そろそろ、中に入りましょうか?」
ゆりかが図書館を指を指すが、それを見た宗一郎は笑顔で首を横に振る。
そして図書館を指さしていたゆりかの手首を、宗一郎がぎゅっと握った。
「そっちじゃなくて、こっちでしょ?」
宗一郎がゆりかの手をグイッと引っ張ると、ゆりかの指は図書館ではなく、真正面の池に向けられていた。
「?!」
宗一郎は荷物をベンチに置いたまま、ゆりかの手を引いて目の前のジャブジャブ池へ連れていくと、履いていた靴と靴下を脱ぎ捨て、周囲の子達と同じように水の中に入った。
「あー!冷たくて気持ちいい!」
高く足踏みをし、水飛沫みずしぶきをあげる。
「ゆりかちゃんも足を付けるだけしてみたら?
気持ちいいよ」
今日のゆりかはミニのキュロットスカートなので、足をつけるくらいはできるが、あいにくタオルを持ち合わせていない。
それに最近は年頃の女の子だと自覚していたため、あまりやんちゃはしないようにしていた。
「タオルがないから…」とゆりがが断ると、「大丈夫!俺、タオル持ってるから!」と宗一郎に水をかけられる。
びちゃ!
「きゃ!」
思いっきり顔面にかかった。
…このクソガキ。
人がずっと大人しくしていれば…
ゆりかはサンダルを脱ぎ捨てて、池の中に飛び込んだ。
水飛沫が宗一郎の顔まで上がり、宗一郎の服を派手に濡らした。
宗一郎はゆりかからの反撃に唖然としていた。
「…マジか。
…ぷっ、ははは!
ゆりかちゃんって意外とワイルド!!」
宗一郎は笑い声を上げ、水を両手ですくうと、またゆりかにかけてきた。
今度はゆりかの服が濡れる。
「ちょっと!濡れちゃうじゃない!」
「濡れるようにしたんだよ。
それにゆりかちゃんも俺のこと濡らしたでしょ?」
宗一郎がニマニマ笑い、ゆりかは小馬鹿にされたような気分になる。
「私、もう上がるわ」
そう言い捨て、池から出ようと踵を返そうとすると、
「えー、もう終わりにしちゃうの?」と宗一郎がつまらなそうに言った。
子供の遊びに付き合ってられないわよ、全く!
すると余所見をしていたせいで、自分より小さな子が横切っていくときに、ぶつかりそうになりバランスを崩す。
なんとか踏み止まろうとするが、次の瞬間には足が滑っていた。
「きゃ!」
「危ない!」
ゆりかの体がそのまま後ろに向かって倒れていく。
あ!!と思った瞬間、背後から腕が伸びてきて、ゆりかの体を受け止めた。
バシャン!!
池の中で尻持ちをついた。
それと同時にもの凄い水しぶきが上がり、ゆりかの上に水が降ってきた。
びしょ濡れだ。
「…いった〜!」
ゆりかの後ろの人物が声をあげる。
「宗一郎君!」
ゆりかが慌てて後ろを振り返ると、ゆりかの両脇に手を回して、下敷きになるように宗一郎が尻もちをついていた。
「あ〜、びっくりした!頭打たなくて良かった!」
宗一郎が後ろからゆりかの顔を覗きこむ。
ち、ちかい!
あまりにも宗一郎の顔が近く、驚いてしまう。
「どこか痛いとこある?!」
「だっ、大丈夫!」
「怪我ないかな?」
宗一郎はゆりかの腕を掴み、立ち上がらせて、頭からつま先までくまなくチェックする。
そんなジロジロ見られたら、緊張するじゃない!
「本当に大丈夫?」
「大丈夫」
ゆりかが再度しっかりした口調で言うと、宗一郎はようやく安心したのか、「よかった」と呟き、ゆりかの頭をポンポンと軽く叩いた。
ゆりかの心臓がトクンッ!と跳ね上がる。
「ビショビショになっちゃったから、タオル持ってくる!待ってて!」
宗一郎は池から出て素足のまま、駆け足でタオルを取りに行く。
その間ゆりかは彼の後ろ姿を視線で追っていた。
宗一郎の一連の行動になんだかゆりかの心はソワソワした。
なんだろう、この落ちつかない感じ。
なんだか久しく感じていなかった。
………。
…うん、忘れよう。
良くないものな気がする!
とりあえず、蓋を閉じることに決定!!
そうこうしているうちに宗一郎が戻ってくる。
「ゆりかちゃん、タオル使って」
宗一郎に手を引かれて池からでるとタオルを渡された。
そして、ゆりかの姿を見た宗一郎は申し訳なさそうな顔に変わった。
「ごめんね、俺が誘ったばかりにこんなビショビショになって…」
「そういう宗一郎君もビショビショじゃない」
宗一郎の服は上から下まで物の見事にビショビショだった。
頭までも濡れている。
転んだゆりかを助けなければ、宗一郎はここまでビショビショになることはなかったはずだ。
そう思うとゆりかまで申し訳なくなってきた。
「こっちこそごめんなさい。
でも助かりました。ありがとう」
ゆりがが宗一郎の髪から滴る水をタオルで拭き取ると、彼は少し照れたような顔をした。
「ねえ、また2週間後、図書館で会えるかな?」
宗一郎がゆりかを真っ直ぐ見つめて言う。
その瞳は一点の曇りもない綺麗な瞳をしていて、ゆりかは目を離せなかった。
ゆりかは小さくコクリと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます