第25話 真島の「特別」
銀行口座ができた。
父が部屋に通帳とカードを持ってやって来てくれた。
前世での真島との記憶を思い出したせいで、少し混乱して、ここ数日気持ちが落ちていたが、銀行口座をゲットしたことでテンションが上がった。
さて、どうするか。
いや、どうするもなにもない。
銀行にお金を預けに行くのだ。
ゆりかは貯金箱からお金をだし、封筒にまとめて入れた。
お小遣いをもらいはじめて、5か月目。
ついに5万円になってしまった…。
なにこのハイペース。
自分の名前の記載された通帳を何気なく開き、ゆりかは一瞬動きが止まった。
ん?最初のページに残高が書いてある。
確かに0円口座は作れないから、1000円なり2000円なり入金して作るのが、当たり前なのだが…
なにやら0が多い。
見間違えだろうか。
いちじゅうひゃくせんまん…
「ひゃ、ひゃ、100万円?!」
元から100万円入っているではないか。
そしてどこかに付いていたのか、ペロンと付箋が落ちる。
『100万円はあげます。パパより』
!!!!!
…もう、金銭感覚おかしくなりそうです…。
高円寺家のお金の価値観の違いに戸惑うようになってきた今日この頃です。
とりあえず気をとりなおし、母に銀行に行くと告げると、運転手の狩野に銀行まで付いてきてもらうことになった。
「お嬢様、ATMの使い方はわかりますか?」
「行員を呼びましょうか?」
狩野がやたら心配をする。
私だってできるわよ、そのくらい。
元一般庶民!
元アラフォー主婦!
元銀行員よ!
あ、だいぶ昔のことなのは置いとこう。
「大丈夫だから!それに私は自分でやりたいの。
狩野はそこで待っててちょうだい」
そう、社会勉強なのだ!
銀行の入口を入ってATMの列に並ぶと、狩野は心配そうに列から外れた壁際に立って見守っていた。
「ゆりかお嬢様」
また話しかけられる。
「狩野!だから大丈夫だって言ってるでしょ…」
顔を上げると、そこには狩野ではく見覚えのある顔があった。
――司
「…つ、あ、真島…さん」
思わず『司』と言いそうになった。
そう、ゆりかの前に真島司がいた。
銀行の名札を付けている。
この支店で働いているのか。
「いらっしゃいませ。
先日はありがとうございます」
真島が優しい口調で腰を折り挨拶をする。
なんだかやましいことをしている訳じゃないのに、ドキドキしてしまう。
「…こちらこそ先日はわざわざ家までありがとうございます。
真島さんはこちらの支店で働いてるんですか?」
「いいえ、私は本部で働いているんですが、今日はこちらに用があって来ているんです」
ああ、今は支店勤務じゃなくて、本部にいるのか…。
真島と死に別れてからの時間の経過をなんだか感じてしまう。
「もしよければ、ATMじゃなくて係の者がしますよ?」
「え、でも今日は入金だけだから…」
「まさか高円寺のお嬢様にそんなことさせられません。
こちらへいらしてください」
「えっ、でも…か、狩野も一緒に!」
「お付きの方ですか?
では一緒にどうぞ」
真島はゆりかと狩野を店内に誘導し、そして支店長室に招いた。
入金だけで、しかも子供相手なのに、まさかのVIP対応だ。
※※※※※
ゆりかは目の前に置かれたお茶を手に取ってすすっていた。
目の前の恰幅の良いおじさんの支店長がゆりかに挨拶をする。
「高円寺グループのご息女ですか!
会社の口座は本部の真島が管理していますけど、高円寺様ご一家の口座はこちらの支店で管理させもらっているので、今後もよろしくお願いしますね」
大の大人2人で小学4年生の子供に向かって何をやっているんだ。
目の前にいる支店長が媚を売っているタヌキ親父に見えた。
真島も同様だ。
ああ、そういえば真島はこうゆう人間だったと思い出す。
ゆりかの知る真島は、手数料を稼ぐバリバリのトップ営業マンだった。
物腰の柔らかさと誠実な姿勢で相手の懐に入り込み、巧みに客をのせていく。
恐らくゆりかを懐柔させ、ゆりかを溺愛する父にこの銀行、そしてこの支店での取引を増やさせ、手数料を落としてもらうつもりなのだろう。
そう冷静に考えたら、なんだかシラケてしまう。
それだけ高円寺グループの印籠の威力は強い。
大人って嫌だわ。
大人社会って下衆い。
こんな中に、純粋培養の兄や悠希が投げ入れられるのかと思うと心配だ。
ちなみに貴也のことは心配していない。
何故なら腹黒悪魔…いや、大人だから。
「真島さん、そろそろいいかしら?
この後、習い事があるので時間があまりありませんの」
ゆりかは自分でも意外な程、大人びた冷静な口調だと思った。
「そうでしたか。
お時間いただきありがとうございます。
ではこちらをお持ち帰りください」
真島が入金処理した通帳とカードを手渡す。
そして入金だけなのに、もれなく粗品まで…。
某キャラクターのハンドタオルやらボールペンやら…。
うん、高円寺ゆりかは使わなくってよ!
「今度またお家に伺います。
ご用件をなんなりとおっしゃってください」
真島は袋に粗品を詰めながら言った。
「いえ、大した金額でもないので、ATMで自分で致します。
真島さんの貴重なお時間をいただく訳にはいきませんわ」
「そんなことを仰らずに、それが私たちの仕事ですから」
「いえ、結構です」
「そんなこと仰らず…」
お互い笑顔で頼む頼まないの攻防を繰り返し、ついにゆりかが痺れを切らす。
「こんな手数料も落とさない未成年の子供を相手にしても時間の無駄でしょう」
ゆりかはにこりと笑いながら、子供には似合わない辛辣なことを言い放った。
真島の目が見開き、支店長と狩野が青ざめる。
一瞬、真島はこの子供らしくないお嬢様をどう説き伏せようか考え込んだが、その姿形と発言のアンバランスさに滑稽さを覚え、思わず苦笑した。
「確かに、手数料はゆりかお嬢様からはほとんどいただくことはないかと思います…。
でもゆりかお嬢様は特別ですから」
――『澤井はさ、特別だから』
真島の言葉にゆりかは顔を上げた。
古い会話の記憶が頭の中をよぎったのだ。
ゆりかの口が無意識に動いた。
「…取引先の娘だから?」
――『…同期だから?』
「違います。
取引先の大切なお嬢様なのは間違いありませんが…」
――『違う。
大切な同期なのは間違いないけど…』
真島とゆりかの言葉が、ゆりかの記憶の中の言葉とかぶった。
この人は何を言ってるの?
なぜあの時の言葉と同じことを言っているの?
ドクンとゆりかの心臓が跳ね上がる。
そしてあの時の言ったのは―――
――『澤井が好きだから』
しかし真島の口は、ゆりかの頭の中に浮かんだ言葉とは違う言葉を告げた。
「ゆりかお嬢様はお小さいけれど、大切なひとりのお客様です」
真島はあの時とは違い、にこりと笑う。
記憶の中の赤面していた顔とは違う営業スマイル。
そしてもう一度繰り返した。
「特別なお客様です」
小さなお客様だから特別か…。
何かがゆりかの腑の中にストンと落ちた気がした。
真島にとってみたら、今の生まれ変わったゆりかはそれだけの存在でしかないのだ。
ゆりかが意識し過ぎていただけなのかもしれない。
もう彼とは年も身分も住む世界も違う。
考えれば考える程、昔を想えば想う程、不毛なことはない。
もう終わった過去なのだ。
もう彼の妻だった『ゆりか』はとうの昔にいない。
真っ直ぐ前を向いて、高円寺ゆりかとしての人生を生きるべきなのだ。
ゆりかはそっと目を伏せ、再び目を開けると、立ち上がり支店長室を後にした。
真島は出入り口まで1人でゆりかと狩野を見送ってくれた。
ドアの前に来たとき、真島はゆりかを見つめ、おもむろに口を開き、予想もしなかったことを告げた。
「…先程、支店長の目もあったので言いませんでしたが…『ゆりか』という名は私にとって特別なんです」
真島が目を細めた。
「亡き妻の名前です。
先ほどゆりかお嬢様とお話ししてたら、久々に妻のことを思い出しました」
真島の目は、目の前にいる高円寺ゆりかの姿を映しているはずなのに、その目は何故かまるで遠くを見ているかのようだった。
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