3:みんな禁断の恋、かもしれない。

 昼食のあとは、駅前の店を何件か順に巡った。

 二人で服や靴を見て、本を探し、雑貨を選んだりして……

 ひと通り歩いて回ると、あっという間に日暮れの時間帯が近付く。

 もう頃合だという話になって、俺とルシアは帰路に就いた。


「今日はとても楽しかったですね、紘也くん」


 マンションに到着すると、ルシアがそっと囁き掛けてきた。


「あとで咲菜ちゃんにも、どうぞよろしくお伝えください」


「……おまえ、もしかしてあいつのことに気付いてたのか」


 ぎょっとして、咄嗟に訊き返す。

 ルシアの顔には、いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「はい。変装までして、可愛らしかったですね?」


「今日のいつ頃から、咲菜の尾行はバレてたんだ」


「最初に咲菜ちゃんの姿を見付けたのは、映画館の中です。上映中に他の客席から、すすり泣く声が聞こえてきて――つい気になって、館内を見回したら咲菜ちゃんが居たものですから」


「よくあんな暗い場所で、咲菜だと気付いたな」


「ああ、それは何でもないことですよ紘也くん」


 おどけた仕草で、ルシアは緑色の瞳を片方瞑ってみせる。


「――エルフの目には、生まれつきが備わっていますから」


 思わず「ああ……」と、得心して声が出た。


 異世界生まれで魔法の心得がある者も、地球上では大半の異能力が行使不可能だ。

 だが、亜人種や魔物が先天的に取得している能力は、必ずしもその限りじゃない。


 そして、エルフの身体的特徴には「暗視能力」がある。

 妖精族は暗がりでも、事物を見て取ることができるのだ。

 すっかり失念していた。


「その……気を悪くしたなら謝るよ。付き合いはじめてから、初めてのデートだったのに」


「なぜ咲菜ちゃんのことで、わざわざ紘也くんが謝るんですか?」


「実は家を出て、わりと早い段階で俺も気付いてたんだ。でも、言い出せなかったからさ」


「どうせ、咲菜ちゃんの体裁が悪くなるのを気にしたんでしょう」


 完全に意図を見抜かれている。

「妹さんに甘いですね」と、ルシアはかぶりを振ってみせた。

 ぐうの音も出ない。



「……でも、そうですね」


 と、何か思い付いた様子で、ルシアが顔を上げた。

 エレベーターの前で、俺の正面へ素早く回り込む。

 不意に行く手を遮られ、立ち止まらざるを得ない。


「今も咲菜ちゃんは、私たちのことを監視しているんでしょう?」


 ルシアは、爪先立って、俺の肩に手を置いた。

 そのまま瞳を閉じると、互いの顔を近付ける。



 ――あらがう間もなく、キスされてしまった。



 たっぷり一〇秒経過してから、そっと唇が離れていく。


「ちょっとしたお仕置きです」


 ルシアは、意地悪そうに囁いた。




     〇  〇  〇




 エレベーターで上の階に昇り、ルシアとは自宅前で別れた。

 家に入って、すぐに楽な服装に着替える。


 ほどなく、そこへ咲菜も帰ってきた。

 たまたま廊下で顔を合わせたので、「お帰り」と声を掛ける。

 だが、咲菜は無言で返事を寄越さず、自室へ駆け込んでしまう。

 その後は夕飯になっても、リビングに姿を現そうとしなかった。


 咲菜が部屋から出てきたのは、月曜日の早朝になってからだ。

 ただし食事でテーブルに着いても、暗い顔で口数は多くない。

 言葉少なに支度を済ませて、さっさと登校してしまった。



 咲菜の鬱々とした有様は、それから二、三日過ぎても続いた。


 平時はわりと勝ち気な気性の子だから、とても珍しいことだ。

 そのせいで、さすがに両親も娘を心配しているらしかった。

 こうなると改めて、俺も妹と対話する必要性を感じはじめた。


 ――咲菜が塞ぎ込んでいるのは、たぶん俺とルシアの交際が原因だろう。


 ならば、わだかまりはきちんと解消しておくべきだ、と思った。



 というわけで、こないだのデートから五日後の金曜日。


 俺は、下校して自宅に戻ると、妹の部屋のドアをノックした。

 数秒挟んで「……誰?」と、不貞腐れたような声が問い質す。


「俺だよ。――咲菜、話がしたいんだ」


 目の前のドアが、四分の一ぐらい開いた。

 咲菜は、隙間から顔だけ出して、部屋の外を窺う。


「そこに居るのは、お兄ちゃんだけ?」


「ああ、そうだぞ。他には誰もいない」


「……あたしに話って、いったい何の用件よ」


「最近、元気がないから少し気になったんだ」


 率直に伝えると、咲菜は一瞬口を閉ざした。

 でも、すぐに「入って」とつぶやき、俺を自室へ招く。

 廊下で済ます話題じゃない、と考えたのだろう。



 妹の部屋に入るのは、久し振りだった。

 勧められたクッションの上に腰を下ろす。


「なあ咲菜。何か悩みでもあるのか」


 迂遠な会話は無意味だと思って、単刀直入に切り出した。

 咲菜は、ベッドに腰掛け、こちらをじっと眼差してくる。


「あたしが不機嫌な理由に心当たりがあるから、ここへ来たんじゃないの?」


 逆に訊き返されてしまった。

 しかし事実なので、否定する気もない。


「俺とルシアが付き合うのは、そんなに気に食わないか」


「あたしの気持ちに変わりはないわ。受け入れられない」


「どうしてなんだ。そこまで拒絶する理由を教えてくれ」


 かつて、咲菜は「人間とエルフの恋愛が上手くいくはずはないから」と言っていた。

 けれど俺には、それが真意だなんて信じられない。取って付けたような印象がある。

 だから、もういっぺん問い掛けてみた。

 真正面から、紅茶色の瞳を見詰め返す。



「――これはね、あたしの話じゃなくて」


 しばらくして、咲菜が根負けしたように口を開いた。


「近頃学校で聞いた友達の話なんだけど……」


「そうか、なるほどな。おまえの友達の話か」


 隠し事を打ち明けるときに使う、典型的な言い回しだな。

 友達の話と前置きしつつ、自分のことを相談するパターンだ。

 よし。ここはあえて、その設定に乗っかってやろう。


「そう。念を押すけど、あくまで友達の話よ」


「わかってるさ。それで?」


「その子には、ずっと前から好きな人がいたんだけどね」


「……恋愛絡みの話なのか」


「うん。でも好きな人は他の相手と付き合いはじめたの」


「つまり失恋したわけか?」


「だけど友達は、どうしても好きな人を諦め切れなくて」


「それで落ち込んでるのか」


「Webのイヤッフゥー知恵袋で『気に食わないカップルを破局まで追い込むには、どうすればいいでしょうか?』って、書き込んでみたそうよ」


「衆人環視の場で、いきなり陰湿な質問を持ち出すなよ!?」


「回答者L・Rさん(一七歳/エルフ)のコメント『古代エルフ族には、気に食わないカップルを破局させる呪いの儀式があります。一度試してみてはいかがですか』は、参考になったって」


「スゲェ身近に居そうな回答者だ!? しかも嘘クセェ!!」


「念を押すけど、あくまで友達の話だから」


 むしろ、何もかも知り合いだけの話に思えてきた。

 ていうかルシアのやつ、マジで何やってんの……。

 まるっきり茶番だが、まあそれはさておき。


 ようやく、事態の背景が把握できてきた――

 そんなふうに感じられ、しかし自然とうつむいてしまう。


 今の話に登場する「友達」が、仮に咲菜自身のことだとしたら。

 これは「俺/ルシア/咲菜」を巡る、三角関係の問題と解釈可能だろう。

 そうして、もし自惚れが許されるなら、そこには不幸な結論がある。


 ――きっと咲菜は、俺のことをルシアに渡したくないんだ。


 先日のデート後から憂鬱そうだった原因も、ようやく推知できた。

 別れ際に俺とルシアがキスする場面を、咲菜は目撃していたのだ。

 おそらく、それでずっと気落ちしていたに違いない。



「……その友達って子は」


 ちょっと考え込んでから、俺はやっと言葉を紡いだ。


「好きな人に対して、きっと素直に自分の気持ちを伝えられない事情があったんだろうな」


「そうね。――友達は、好きな人に告白するのを、とても躊躇していたわ。もし相手が憎からず思ってくれたとしても、自分の好意が周囲に知れれば、迷惑を掛けるんじゃないかって。その子と好きな人は世間だと、互いを恋愛対象として見做さないと思われがちな、そういう間柄だから……」


 咲菜は、ひと呼吸してから、さらにしゃべり続ける。

 そこから先は、声音が棘を帯びて、やや恨みがましくなった。


「だけど友達の恋敵も、実はその子と似たようなハードルを抱えていた。なのに、おかまいなしで好きな人と仲良くなって、恋人同士になっちゃったのよ」


「――それを見ていて、友達も自分の恋愛を諦め切れなくなった、と?」


 問い掛けても、咲菜は何も答えなかった。

 とはいえ本心は、もはや明らかだろう。

 俺とルシアの交際を認めまいとする理由には、充分だと思われた。


 人間とエルフの恋愛、兄と妹の恋愛……

 世間の平均的な感覚からすれば、どちらも忌避感を抱かれやすい。



「ねぇ、お兄ちゃん」


 咲菜は、代わりに話題の方向性を、微妙に変えた。


「お兄ちゃんは、その――『禁断の恋』って呼ばれるような恋愛のことを、どう考えてるの?」


「き、禁断の恋か……。そう一口に言っても、色々な類例タイプがあるだろうからなあ」


「合法か非合法かはともかく、ここでは世間で批難されかねない恋愛全般について」


「うーん。そもそも、社会的な倫理観って、時代や地域、文化の種類でも変化するだろ?」


「現代か過去か、日本か海外かで違うってこと?」


「それから当然、地球か異世界かでも話は別だな」


「ああ、たしかに言われてみれば……」


「例えば、異世界ラドゲイトだと階級制度は普通で、いまだに封建国家が沢山ある。そういう社会じゃ人権の概念も薄いし、政略結婚で貴族が幼女をめとるのなんて日常茶飯事らしいぞ」


「ええっ、物凄い年の差婚じゃない!」


「だから、そんな世の中だと中高生ぐらいの女の子が、いい歳したオッサンと付き合ってる状況は、不道徳でも特殊でもない。その代わり、他の差別が存在するだろうけど」


「でも異世界ならロリコン大歓喜なのね」


「あのな、事実かもしれんが着目する箇所が極端すぎるぞ」


「だったらショタコン大歓喜ってことで」


「男女を入れ替えただけで基本的には同じことだろうが!」


「そっかー禁断の恋だって、異世界や他地域なら健全かもしれないのね……。つまり移住すれば、日本じゃマズい恋愛にも可能性はある、と」


「剣や魔法の心得もなく、地球製の武器だって訓練なしで扱えるわけじゃないのに、異世界なんかで安全に暮らせると思うのかおまえは……」


 咲菜は真顔で唸っていたけれど、素直に賛同はできなかった。


 一方で改めて、三人を巡る関係性については、憶測の正しさを確信させられた。

 何しろ、「禁断の恋」に関する話題を、咲菜の側から持ち出してきたのである。

 きっとエルフが恋人の俺にも、苦悩に理解を求めたかったのだろう。



「あのさ、咲菜」


 ――曖昧な態度を取るのは止そう。

 心に決めて、はっきり意思を表明した。


「やっぱり、俺は――ルシアのことが好きなんだ」


 半ばまぶたを伏せて、咲菜は殊更に物憂げな表情を浮かべる。

 俺は、精一杯、正直な言葉で話し掛けようと努めた。


「それはルシアが人間かエルフかなんてこととは、たぶん関係がない。いつも傍に居てくれると楽しいし、この子を喜ばせてあげたいって、本気で思う。ルシアだけなんだよ、そんなふうに俺が感じる女の子は」


「周りの人たちに人間とエルフの交際だからって、どんなに後ろ指を指されても?」


「もちろん。誰に何を言われたって、かまわない」


「……そう。ルシアさんも、同じようにお兄ちゃんのことを好きなのかしら」


「そうでいてくれたらいいな、と思ってる。――いや、そうじゃなかったとしても、俺はルシアが好きだし、あの子を傍で見ていられるだけで幸せだが……」


 ルシアに対する心情には、何ひとつ偽るところがない。

 けれど、見返りが欲しくて好きになったわけでもない。


 それゆえ、あの子が同じぐらい俺を好きかまでは、あまり興味がなかった。

 恋人同士になれただけでも嬉しいし、わざわざ問い質してみたこともない。


 ――でも考えてみれば、それだと咲菜は納得してくれないのだろうか……? 


 ふと一瞬、そんな思い付きが脳裏をぎった。

 二人が完全な相思相愛だとわかって、妹は初めて失恋を受け入れられるのかもしれない。



 俺は、ほんの少し考えてから、提案を持ち掛けてみた。


「咲菜。この際だからルシアとも、きちんと話をした方がいいんじゃないのか」


「……ルシアさんと、話を?」


 ポニーテールを揺らして顔を上げ、咲菜は鸚鵡おうむ返しにつぶやいた。

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