第86話 アバロン湯けむり殺人事件 ~事件前夜編~

俺のテーブルの向かい側には男が座っていた。男は何かを考えていた。時折一人で頷いて納得しているようだった。

俺は昨日の出来事を思い返した。




昨日、受付で手続きを済ませた後、俺とソロモンは同じ部屋へと向かい、女性陣はその隣の部屋へと入っていった。


俺は密かに楽しみにしている事があった。

混浴風呂である。この温泉宿には混浴風呂が存在するのだ。俺は下調べをするために、ソロモンに「すぐ戻る。」と伝えて部屋を出た。


1階にある食堂の近くに3つの温泉への入り口があった。その入り口は食堂に近い側から男湯、混浴、女湯という順で並んでいた。それぞれの入り口をくぐると脱衣所になっており、その先に美容にいいとされる温泉があった。そして、宿泊中の間なら何度でも温泉を利用していいいとの事だった。

俺は考えた。少し疲れたし、ちょっと様子見程度に温泉に浸かるか・・・

俺は真ん中の入り口をくぐった。

決してやましい気持ちがあるわけではないのである。アーサーが女になってしまったから、これは仕方がない事なのである。


俺は脱衣所にあるかごに服を脱いで、早速混浴風呂へと突入した。脱衣所の向こうにはごつごつした岩場の先に天然の温泉があった。

そして周りを竹で作ったような塀で取り囲まれていた。上を見上げれば天井はなく夕暮れの空が広がっていた。

温泉には、まだ誰も浸かっていないようだった。

俺は左の塀をみると右の塀にはないものがあった。ドアである。左の方の塀にはドアがついており、俺はそれを開けてみた。すると、そこは男湯に繋がっていたのだ。男湯も混浴と造りは似ていた。その温泉には男性の客が2人くらいが利用していた。

どうやら混浴と男湯は自由に行き来できるが、女湯にはいけない仕組みのようだった。


『なるほど、男湯から混浴へはこのドアでつながっているのか。これなら、男湯の脱衣所で着替えてから、こっちに入った方が世間体にもベストか・・・』

俺は次入る時の事を考えた。


ひとまずドアを閉めて混浴風呂に戻った俺は体を洗い、温泉の中にある岩場に背をもたれ誰かが入ってくるのを待った。アーサーは誰もいない温泉をぷかぷかと仰向けになって浮いていた。

誰かを待っているのは決してやましい気持ちではなく、この温泉について一緒に語らいたいからである。

しかし、いくら待てども誰も入ってこなかった。女湯の方からは水がはねる音は聞こえているが、こちらには人っ子一人いないのである。


俺はひとまず風呂から上がる事にした。時間帯が悪いのか、誰かが入ってくる気配が無さそうだったからである。

俺は脱衣所で服に着替えて、そこを出た。そのまま真っすぐ進み部屋へと戻ろうとしたのだが、ふと右手にある食堂に目をむけた。すると、そこには呪術研究会のメンバーがテーブルを囲んで座っているのが見えた。


俺を放って先に食事をするなんて、なんて薄情なんだ。

俺はみんなのいるテーブルへと向かった。

テーブルに着くとソロモンが俺に言った。


「遅かったな。すぐに戻ると言っていたので、“皆で食堂に行くから来てくれ”という書置きを残して食堂に来たのだが。分かりにくかったか?」

なんだ、放って行かれたわけではなかったのか。むしろ俺が風呂なんかに入ったのがいけなかったのだ。


「す、少し待っていたんですが。さ、先に食べ始めてしまいました。す、すいません。」

クロエが謝った。

いや、俺が全面的に悪いのだ。俺は非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「俺の方こそ、すまない。ちょっとお風呂を見るつもりが、ゆっくり浸かってしまってたんだ。」

俺は正直に謝った。


「そ、そうなんですか。この宿の温泉は名湯だと聞きます。時間も忘れるのも仕方ないかもしれませんね。アギラ君の食事はもうこちらに持って来ているのですが、これでよいですか。」

ティーエ先生が食事を手のひらで指しながら言った。見ると空いた席の前には皆と同じ内容の手付かずの食事が用意されていた。

俺は放っておかれたわけじゃないのだ。ただ俺が勝手な行動をとっていたのがいけなかったのだ。


「全然これでいいです。ありがとうございます。」

俺は席に座り、食事を用意してくれていたことに感謝を述べた。


「ごちそう様。」

俺が席に着いたと同時にドロニアが食事を終えていた。他のみんなを見ると、皆3分の2ぐらいは食べ終わっていた。

これは素早く食べなくては、みんなを待たせてしまう事になる。俺はささっと食べてしまおうと考えた。


そして、俺が食事を口に運ぼうとした時、食堂の入り口から大きな声がした。

「愚民どもが、今すぐここから出て行くのだ。」


箸を置き、振り返って入り口を見ると受付で会ったハリスと2人の男が立っていた。


「今からここは私が貸し切ったのだ。だから、全員出て行くがいい。」


かなりの横暴な態度だったが、食堂にいた俺達以外はそそくさと食堂を退出しだした。

俺達のテーブルではクロエが俺達とハリスを交互に見て戸惑っていた。ティーエ先生とソロモンは緊張した面持ちだった。そして、ドロニアは食器を片付けていた。

俺は周りを見回した後、気にせず食事する事にした。あんな豚の言う事を何故聞かなくてはならないのだ。

一度口に運ぼうとした食事を再び箸に取り食べようとした。その時後ろから右腕を誰かに捕まれた。

振り返ると、俺の腕を掴んだのはハリスに従うガタイのいい男だった。


「聞こえなかったのですか?私は出て行けと言ったはずですよ。私が誰だかご存じないんですか?」

その後ろからハリスが俺に忠告をしてきた。


俺は北の大陸で育ったので、お前みたいな豚の事等聞いたこともないのだ。俺は掴まれた腕を払った。すると箸に掴んでいた食べ物が床へと転がった。

くそっ。なんて勿体ないんだ。俺が落ちた食べ物を目で追ってる隙に、ハリスが左から俺の食事の載ったトレイを引き抜いた。


「ここは私が貸し切ったのです。ですから、この食事はもうあなたのものではなく私のものなのです。あなた方も食べるのをやめてここから出て行ってください。」

どんな理論だ。たとえ、食堂を貸し切ったとしても俺達が買った食事は俺たちのものではないか。俺はハリスを睨んだ。

「そんな横暴が許されるのか?」


「なんですかその反抗的な目は。私は何をしても許される存在なのです。この食事は私があとで頂くとしましょう。」

なんだこの豚は。なんでこんな嫌がらせをするのだ。


その時である。先生は俺の向かい側からテーブルの上を飛び越えて、ハリスの手から食事を取り返そうとしてくれたのだ。しかし、勢いが良すぎて掴んだトレイがひっくり返り食事が床へと散乱してしまった。


「何をするのです。私から奪おうとする等、どこの田舎娘ですか?」


ハリスはティーエ先生を睨みつけた。


「私は大魔法使いのティーエです。それはあなたが食べるための食事ではありません。自分の分は自分で注文してください。」

せ、先生・・・あなたって人は・・・

俺は感動していた。クラスの生徒たちにはどこかドジな所があると噂されていたが、そんな事はないのだ。権力に屈しない、なんて良い先生なんだ。


「あー、そう言えば、北の大陸を縦断したとかいう魔法使いがいましたね。あなたがそうですか。くくく。あまり過信しない方がよろしいですよ。せいぜい1人でいる時は気をつけることです。あなたの顔には死相が見えてますよ。まー、恐ろしくなったら、いつでも私に助けを求めてもらって構いません。あなたを助ける事ができるのは私くらいですからね。くくく。」

豚は邪悪な顔つきで微笑を浮かべていた。

こ、こいつは正真正銘の悪だ。俺は確信した。何て悪い顔つきをする奴なんだ。寒気すら覚える。


横の男たちに絶対的な信頼をおいているようだが、ちょっと俺がここで懲らしめてやるか。そう思って立ち上がろうとすると、俺より先に横に座っていたソロモンが立ち上がった。

「すいません。非礼をお詫びします。すぐ片付けて、退散しますのでどうかお許しください。」

ソロモンは丁寧な態度で謝罪し、床に散らかった食べ物を片付けようとした。何もそこまでへりくだらなくてもいいのに・・・


「あっ、そこは、私が片付けておきます。」

それをティーエ先生が遮って、先生が片づけを始めた。最後に浄化魔法を使って床を綺麗にしているようだった。先生まで・・・


すぐに暴力で片をつけようした自分を恥じた。皆、穏便に事を済ませようとしているのだ。

俺達は食器を片付けて、食堂を出て行くことにした。俺にはアーサーに預けてある食べものがたくさんあるのでなんとかなるだろう。

食堂から俺達の事を罵る豚の声がしていたが、俺達は無視して食堂を後にした。


その後、俺達は一度部屋に戻り、準備をしてから風呂へと向かった。温泉の3つに分かれた入り口の前に着くと、クロエが唐突に提案した。

「そ、それじゃあ、アーサーちゃんは、わ、私が預かりましょうか?」


「へ?」

俺は何のことか分からなかった。

「ア、アーサーちゃんは、お、女湯の方がよいかと思いまして。」

なん・・・だと・・・

「どういうことですかにゃ?」

フードから頭を出したアーサーが尋ねた。

「み、右が女性専用、ま、真ん中が女性と男性の両方用、左が男性専用なんです。」

クロエが説明した。

「そうだったんですかにゃ。じゃあ、あっちは女性専用がいいですにゃ。」

アーサーは俺のフードから飛び出て、クロエの胸へと飛び込んだ。

なんてうらやま・・いや、けしからん。

俺が何か言う前に、女性陣は女湯の脱衣所へと入って行った。


「それじゃあ、私達も行くぞ。」

ソロモンは迷うことなく男湯の脱衣所へと入って行った。

俺はソロモンの後を追った。

そして、裸になった後脱衣所を出て温泉へと向かった。早速、右の塀にあるドアをくぐりたかったが、まだ早すぎる。俺は機を伺うことにした。

俺達は体を流した後、温泉へと浸かった。

ソロモンは混浴に興味がないのであろうか。いや、ソロモンも男だ。興味がないはずがないのである。何と切り出すか迷っていると、ソロモンは口を開いた。


「ふっ、今日の私の態度を滑稽だと笑うか?」

ん?何の事だ?俺は考えた。そこで俺は思い当たった。ハリスに対しての態度の事を言ってるんじゃないだろうか。


「あの豚に対しての事か?何であんなろくでもなさそうな奴に気を使ってるんだ?」


「お前は面白い奴だな。この国でハリスの事を知らないなんて、そうはいないぞ。確かにあいつ自身はいい噂は聞かないが、あいつの親はこの国では絶大な権力を持っているんだ。あいつに目をつけられて領地を取り上げられた貴族なんていくらでもいる。俺の親は男爵の爵位をもらっているが、辺境の地で領民もいない土地で細々とやっている。目をつけられでもしたら、私の一族がみな路頭に迷うのだ。」


「貴族も大変なんだな・・・」


「ふっ、そうだな。しかし、私には野望があるのだ。いつか私が活躍して我が一族の地位を子爵、いや伯爵にまで高め領民が笑って暮らせる場所を作るのだ。」

そんな事を考えていたのか。それなら、権力を持つものに逆らわないのも仕方ないのかもしれない。


「そうか。なれるといいな。応援するよ。」

俺は同じ呪術研究会のメンバーであるソロモンをできるだけ助けてやろうと考えた。


「思えば、私は辺境の地で育ったので友と呼べるものがいなかった。それに誰かの陰謀によって学園では孤立してしまっていた。だからこんな話をしたのも初めてだ。これが友というものか。」

ソロモンは俺の顔を見た。

何て恥ずかしい事を真顔で言うのだ・・・しかし、素直に俺は嬉しかった。そして、よく考えるとこの世界に来て初めての人族の友達といえるのではないか。俺は仲のいい面子を思い返した。竜人、妖精族、獣人・・・どうやら俺には人族の友達がいなかったらしい。

それにしても陰謀とは何のことなのか。


「俺も人族の友達はいないからな。そう言ってくれると嬉しいよ。陰謀って何かあるのか?何か困っている事があるなら力を貸すよ。ソロモン。」


「そうか。すまないな。力を貸して貰えるなら助かる。実は私は学園で一般の学生と特別クラスの一部で不名誉なあだ名で呼ばれているようなんだ。誰かが私の活躍するのを妬んで、私の名誉を傷つけようとしているのだ。私はその元凶になった者を見つけ出し、名誉を傷つけた報いを受けさせようと思っているのだ。」

貴族社会で名誉を傷つけられるのは死よりつらいとか前の世界でもあった気がするが、そういうものだろう。ましてや、ソロモンは爵位をあげようと頑張っているのだ。そんな彼の足を引っ張るやつがいるとは・・・


「それはひどいな。わかった。できるだけ俺も協力するよ。」


「ありがとう。」

俺はソロモンと友情が深まったのを感じた。これは混浴に誘うチャンスではないだろうか。

俺がそれを切り出そうとした時、ソロモンは立ち上がった。


「そろそろ私は上がるとする。少しのぼせたようだ。」

そう言って、出口に向かった。その足取りは少しよろけていた。


「大丈夫か?」

俺は心配になって声をかけた。


「大丈夫だ。休めばすぐによくなる。アギラはゆっくり風呂に入ってるといい。」

ふらふらになりながら、温泉を出て行った。そんなにのぼせてしまったのだろうか。


そして、俺は少ししてから混浴へと続く扉を開けた。しかし、そこには相変わらず誰もいなかった。俺は温泉の中で待った。誰かが来るのを・・・


そして、脱衣所のほうから1つの人影があった。


出てきたのは豚・・・ハリスだった。向こうも俺に気づいたようだった。


「またあなたですか。1人で混浴風呂に入っているなどとんだ変態ですね。」

なんだと。俺は憤慨した。


「お前もじゃないのか?」


「私は妻と一緒ですよ。今脱衣所にいます。あなたは私たちを盗み見ようとしてるんでしょうが、そうはいきませんよ。ここも今から私たちが貸し切ったので、今すぐ出て行ってもらいたいのですがね。」

むっかー。なんて嫌な奴なんだ。こんな豚がいちゃついてる所など見たくもない。どうせ奴隷かなんかだろう。胸糞悪くなるだけだ。

俺は立ち上がり、男湯へと戻ろうとした。


「そう言えばあなたの顔にも死相が見えてますよ。あの魔法使いと同じようにね。生きたいと思うなら私のところに相談しにくるといいですよ。」

なんなんだこの豚は。死相、死相って、お前の目には死相しか見えてないんじゃないのか。そもそも俺が誰かにやられるなんて事は考えられない。俺は無視して男湯へと戻った。


男湯にはハリスに付き従う2人の男がいた。2人は俺に気づくと立ち上がって温泉から出てきた。

「お一人ですか?運が悪いですね。」

眼鏡をかけた男が俺に喋りかけた。そして、その横でガタイのいい男が拳を胸の前で合わせた。


なんだ、るつもりか。

そこで俺は気付いた。あの豚が死相、死相と言っていたのはこういう事なのかもしれない。付き従う2人に襲わせて、あの豚に許しを請わせようという事か・・・となるとティーエ先生も危ないことになるな。

先ほどはソロモンの話も聞いていたので、ハリスにむかついても何もしなかった。

しかし、ここで戦う事は正当防衛である。俺はこの2人を朝まで気絶させることにした。その方がみんなの安全のためにもいいはずだ。


ガタイのいい男は右腕をぐるぐる回しながら言った。

「今さら謝っても遅ぇぜ。ハリス様に反抗的な態度をとりやがって。魔法使いの女と違って、お前は殺しちまってもいいと言われてるんでな。」

決定だ。何の躊躇もいらない。


『 二重・身体強化ダブル・ブースト 』


俺はガタイのいい男の隙だらけの顎を打ち抜いた。それでガタイのいい男は床へと倒れた。

「なっ!!バ・・・・」

それを見た眼鏡の男は驚愕の声をあげた。しかし、その声が言い終わる前に眼鏡の男も気絶させた。

俺は2人を重ねて置いておいた。

朝まで目を覚まさないだろうが、裸でいてもこの暖かい気候なら死ぬことはあるまい。


俺は脱衣所で着替えて、部屋へと戻った。部屋ではソロモンはもう眠りについていた。テーブルには“皆で食堂に行くから来てくれ”と書かれた紙が置いてあった。俺はその紙を丸めてごみ箱へと捨て、食事をしてから、眠りについた。





「・・・ギラさん、アギラさん・・・聞いていますか?」

俺は向かい側に座っている男の声で昨日の回想から呼び戻された。


「つまり、あなたが2人を気絶させた後、混浴風呂に戻り、ハリスさんを殺したという可能性があるのです・・・」

俺はハリス殺害の第一容疑者として取り調べを受けていた。


しかし、俺には全く身に覚えのない容疑だった。それなのに、目の前の男は俺を犯人にしようとしているのだ。何とかしなくてはならない。無実を晴らすにはどうするべきか・・・


俺は考えた。そして、俺は閃いたのだ。こんな時はどうすればいいのかを俺はよく知っている。


俺は目の前で取り調べを行うエラリーという探偵にそれを行う事にした・・・









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