第209話大人のやり方3

 緑の講釈は小一時間ほど続き、それを真剣な眼差しで聞き入っていた俺たちは彼女の指示を受け、行動を次に移した。ひーとんとリュウジ、それに塩見の三人は、都の外にある元スパイス工場に。俺とあんず、そして緑とイナリの四人は、再びやなぎ家まで足を運ぶ事になった。

 ひーとんが破壊したラボには、もくもく亭の売り子たちや自警団本部に囚われていたならず者共を収監していて、やる事のない彼らは労働力にするには打って付けなのだ。緑はあの工場を、塩見のお香や彼女のドラッグを生産する施設に作り替えるつもりらしい。

 商品を作れば、今度はそれを売る『店』が必要になってくる。都で商売を始めるためには、自警団からの営業許可と、空いている店(たな)を借りなければならない。緑の描く絵図面は、その二つの項目をとっくに攻略していた。


「ひーとんたちはとりあえずラボの片付けからやっといて。使えるもんもあるだろうから、機材とか設備は選別して捨てるように。

 それじゃー、私らはやなぎ家に向かおっか」


 こうして二手に分かれた俺たちは、赤く染まる空の元、それぞれの目的地に足を運び出した。


 ――――――――――………


 本日二回目の訪問となる俺はやなぎ家の前まで来ると、あきらかに足取りが重たくなった。本来なら男子禁制の場所だし、今の俺は負債を負わされている身だ。それにここには俺を良く思わないミコトがたくさんいる。できれば避けて通りたい俺など気にも留めず、緑は裏口の戸を叩いた。


「すんませーんッ!やなぎ家さんに用がある者ですがーッ、お目通りをお願いしますーッ!!」


 すると、いくらも経たない内に開いた戸からは、一人の女郎が出てきては俺たちの姿を訝しむ視線を送ってきた。かと思えば、緑の顔を見るや否や急に態度を改めた。


「あらら?もしかして緑ちゃんッ!?幾分とご無沙汰でありんすなぁ。今日はおかみさんに??」


「そう。ちょっとケンカを売りにねッ。通してもらえる?」


 出迎えてくれた女郎とは面識があるらしい緑は、軽く言葉を交わしながらやなぎ家の中へと案内されていた。それに続く様に俺とあんずも押し入っていくと、その女郎からは手厳しい言葉を投げつけられた。


「そっちのボンは緑ちゃんのお連れ??コイツの事は知っておりんすよ。ウチのしおりちゃんを蔑ろにしたクズでございんすね。何しに来やがった?このボンクラ…」


 にこやかな顔から放たれるべきではない罵詈雑言に、俺の神経は辟易していた。まぁ、こんくらいで済んでる内は聞き流せばいいだけか。などと考えながら、もう慣れ親しんだ廊下を進み、おかみさんのいる奥座敷まで辿り着いた。


「おかみさん。面白いお客さまがお出でになりんした。お通ししてもよろしいでございんすか?」


「今日の来客はもう聞いてないんだけどね。まぁいいさ、入っておいで」


 おかみさんの許可が出た途端、緑は襖を勢いよく開けた。何してんのコイツ…、と思わずにはいられなかった俺だったが、案内してくれた女郎もおかみさんも、彼女の奇行を咎めるような事はしなかった。緑なら仕方ない、という事なのだろうか。


「よぉッッ!!ひっさしぶりだなぁッ、クソババァ!!!」


「ハァ…。みどりか…。本当に久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?このクソガキ…」


 やはりこの二人は面識というか関わり合いがあったみたいだな。その関係性は聞くまでもなく想像できるが、緑はここの女郎の一人だったんだろう。しかし、こんな腐れジャンキーが高級娼婦などできる気が全くしないんだが…、その辺を詮索した所で有益な情報にはならないと判断した俺は、話が本題に入るまで口を閉ざした。


「…で、一体何しにきたんだい??もしかしてまたウチで働きたいなんて言うんじゃないだろうね…?」


「んなワケあるか、クソババァ。てめぇが私のダチを食いもんにしようとしたみてぇだから、ケンカ売りにきたんだよッ!聞けばこの拓也に毎月1000万たかろうとしてんだろ?それを私が黙って見過ごすと思うか??」


 会話の内容とは裏腹に、二人の表情は至って穏やかなものだった。強い言葉を使ってはいるが、やっている事は腹の探り合いなのだろう。

 もし、緑が言葉通りにケンカを売りに来たのだとしたら、ひーとんたちを工場に向かわせた意味がない。つまり緑は、鼻から俺が1000万を譲渡する事を認めているのだ。それに差し当たり、商売を始めようとする前に、このおかみさんに許しを請わなければならない『何か』があるのだ。


「拓也に賠償させんのはまだいいんだよ。問題は『額』だ…。三谷ちゃんと羽根田がいれば毎月1000万の上がりがあっただァ?どうやって計算したらそんな莫大な額になんだよ…。何も知らねぇと思って吹かしこいてんじゃねーぞ……ッ」


 確かに俺も『1000万』はおかしーなぁ、とは思ってたんだよ。それに現ナマでやり取りをしない都のシステムを暴けば、三谷がどれだけ稼いで、羽根田がどれだけ浪費したかは一発で白日の下に晒される。そこを怠ったのは俺のミスだが、緑のお陰で額面の違和感が浮き彫りとなった。

 しかし、次に繋げた緑の言葉は、賠償の減額を迫るものではなかった。


「でもまぁ、拓也が一度首を縦に振ってるから、コチラとしてはその額で納得するしかねぇ…。ただし、条件付きだ。てめぇが羽根田に貸してた工場、あそこを私らに明け渡せ。そしたら毎月1000万払ってやってもいい…。それがダメってんなら、残念だがこの話は御破算だ…。全力で『やなぎ家』を叩き潰してやる……ッッ!!」


 緑の調べでは、あの工場の元々の所有者がこのおかみさんである事が露呈していた。完全に羽根田浩の持ち物であったとしたら話は簡単だったが、どうやらあそこは賃貸だった様で、貸主はやなぎ家のおかみさんだったのだ。あの工場でお香やドラッグの生産を目論む俺たちにとっては、この交渉は避けて通れない道だ。おかみさんの出方次第では俺たちの不利が芽を出してしまう。そうならない様に脅しをかけた緑のやり方は、吉と出るか凶と出るか…。


「羽根田の坊がいなくなった今、あそこはウチにとっても無用の長物だ…。お前さんらが使いたいってんなら貸してやるのもやぶさかじゃない…。

 ただ……、『店賃』は安くないよ…」


 それを聞くと、緑は無表情で立ち上がり、俺に向けてこう言い放った。


「拓也ァ…。ワリぃ…、御破算だ…。この建物の大黒柱切り倒すぞ。あんずちゃん、手伝ってくれる…?」


 銃の弾も申し分ないし、あんずの怪力があればこんな建物は半刻もあれば瓦礫にできる。交渉は決裂したものだと判断した俺たちは、何も言わずにおかみさんに背を向けた。そう言えば、この部屋にも太い柱が通ってんだよなぁ。今の内に『きっかけ』作っておくか…。

 そう思った俺は、胸のホルスターから1911を取り出し、照準を柱に合わせ、二回引き金を引いた。


 …ッバァァッンン…ッ!

 …ッバァァッンン…ッ!


 45口径の銃声を目の当たりにしたおかみさんは、『叩き潰す』と言った緑の言葉が文字通りの意味だと悟り、急激に態度を改めた。


「ちょっとお待ちッッ!!お前さん方ッ、早まるんじゃないッ!!もう少しだけ話をしようじゃないかッッ!!」


 お、ここまで取り乱すおかみさんは初めて見る。いい気味だ。汚い大人のやり方には、餓鬼臭いやり方が有効なのだと、俺は学習した。

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