第208話大人のやり方2

「は…??今、なんつった??クソババァ…」


「聞こえなかったかい?お前さんはこれから毎月、ウチに貝一本を持ってくるんだ。しおりと羽根田の坊やがいれば、このくらいの上がりはあったはずだからね」


 いくら何でもそれはボリすぎだろッ、という俺の文句は聞き入れられなかった。無い袖は振れない事を必死で伝えたが、終いにはおかみさんはとんでもない力技で俺をねじ伏せた。どうやったかは分からないが、賭場で借金を負う時の様に、俺のチップには負債記録が刻まれてしまったのだ。コレをやられると俺は都から出る事ができなくなる。

 兎にも角にも毎月1000万なんてどうやって算出するんだよ。バクチで稼ぐったって限度があるし、アルバイトなんかじゃ一月でどうこうできるワケがない。


「一日で1000万用意できたお前さんには難しい話じゃないだろ?まぁ、払えない時はウチで車引きでもやってもらうさ…。

 このみッッ!!お客さまのお帰りだ。裏口まで送ってやりな」


 有無を言わさず追い払われた俺は、突き付けられた現実を前に途方に暮れるしかなかった。今まで色んなピンチを経験してきた俺でも、金に困った事は一度もない。借金で回らなくなった首を括る人の気持ちが初めて分かった気がする。

 心ここに非ずの状態で放心していると、流石に心配してくれたのか、あんずが声をかけてくれた。


「た…、たくちゃん?だいじょうぶですか…?」


「あんず…。もし、俺を一晩自由にできるなら、いくら出す…??」


「は?」


 碌に頭が働かなくなった俺は、水商売を始めようとするほど気が狂っていた。こんな男を誰が買うというのだろう。そもそも酒の相手もできない俺がその世界でやっていけるワケないじゃないか。だけど、手っ取り早く稼ごうと思ったら、身体を売るしかない。

 世の中には男が好きな男もいるだろうし、逆に女が男を買う場合もあるだろう。自分で言うのも何だが、容姿はそこまで悪くないと思う。こりゃワンチャンあるんじゃねーか?などと、馬鹿げた事を考えていると、弱気になっていた俺にあんずが喝を入れてくれた。


「アホなこと言ってないで、はやくマチコさまのお店に帰りましょう?きっとひとしさまもみどりさまもたくちゃんの力になってくれますよ!…そ、それに……ッ


 それにッ、『アタシのたくちゃん』がこんなことで負けるワケないじゃないですかッッ!!たくちゃんはスゴいんですからねッッ!!!」


 その言葉に、俺はハッとさせられた。何をこんな事で面食らってんだ俺は。貝が必要なら貝を集めればいいだけじゃねーか。額が大きすぎて絶望的になってたけど、一人で抱えきれないなら仲間を頼ればいい。大体、払えない時は車夫をやれだぁ?俺がそんなくだらねぇ仕事やると思ってんのか、あのババァは。馬鹿にしやがって…ッ!

 あんずのお陰で正気に戻れた俺は、数少ない長所である『負けん気』を体中にみなぎらせた。彼女の言う通りだ。ここで負けたら男じゃない以上に、俺らしくない。


「あんず、サンキューな。心配かけてまってすまん。もう大丈夫だッ!」


 いつも通りの顔色であんずに感謝を伝えると、彼女は俺の胸に飛びついてきた。あんずも俺にはこうあって欲しいと考えてくれているのだろう。かわいいヤツめ。


「でも、たくちゃんのこと、まだ怒ってますからねッ」


 死にたいッッ!!


 ――――――――――………


 相変わらず'98にはカナビスを求める長い列ができていて、邪魔くさいなぁと思わずにはいられなかったが、これも俺たちが招いた事態だと自分を納得させた。

 列に割り込み店内に入ると、忙しなくスパイス中毒者の対応をする仲間たちがいた。しかし、働いているのはヨシヒロにマチコに桃子、あとハクトの四人だけだった。他の面子はどうしたのか気になっていると、もう隠すつもりもないのか隠し部屋の扉が開いた。


「おーッ、拓也ッ!!帰ってきたか。どうだった?良くねぇ事になったろ?」


 奥からひょっこりと顔を出した緑は、何故だか俺の境遇を予見していたみたいだった。最初からこうなる事が分かっていたのだ。そして、それだけでは終わらない緑は、先回りしてこれからの事を考えてくれていた。

 ここからは内緒話になると言う緑は、マチコに許可をもらい二階の部屋を借りて、俺たちを呼びつけた。彼女に呼ばれたメンバーは、俺とあんず、ひーとんとリュウジ、そして塩見だった。


「早速本題に入るけど、拓也はいくらふんだくられた??」


「毎月1000万持ってこいとよ…」


 金額を聞いたひーとんと塩見は驚愕を抑えられていなかったが、聞いてきた緑は特に驚く様子もなく、小さな笑いを漏らしていた。彼女曰く、『あのババァならそんくれぇやる』だそうだ。緑とやなぎ家のかみさんは面識があるのだろうか。

 彼女らの関係性は気になる所だが、話の本筋ではないのでその部分は隅に追いやり、差し当たって俺たちが何をするべきなのかを教えてくれた。


「欲望と背徳が渦巻くこの都じゃあ、1000万を稼ぐのに苦労はそんなにしねぇ。ただ、こんだけ纏まった額は個人ではムリがある。そこで、私たちは『商売』を始める必要が出てくる。そもそも塩見ちゃんはそのために都に来たんだろ?マチコも言ってたけど、お香や香水を扱ってる店は今の都にはない。これはいい商材になるはずだ。

 あんずちゃん、今日は麝香を着けてやなぎ家に行ったろ?何か反応はなかったか?」


「そういえば帰りぎわに、このみさまから『どこで香水を買ったの?』ってきかれましたッ!」


 それを聞くと、緑はしめしめと言わんばかりの悪い顔をしていたが、それ以上に塩見の嬉しそうな反応が目立った。少なくとも遊郭で働く女郎には需要があるという事は判明した。

 ターゲットとしては申し分ない客層ではあるが、それだけで1000万もの貝を工面できるはずがないと思った俺は、緑の提案に異議を唱えた。


「そりゃ真面なモンばっか売ってたら大した商売にはならねぇけどよ、都でよく見るバカ共を思い返してみろよ。スパイスなんてモンを有り難がってたんだぞ?ソイツらに私のシャブを売ったらどうなると思う??」


 緑は塩見のお香屋さんを、シャブも扱うお店にプロデュースしようとしているのだ。もちろん緑はシャブだけで済ませるつもりはないだろう。彼女の手にかかれば、ヘロでもコカでもアシッドでも生産可能だ。お香屋さんてよりは、ただのヘッドショップになっちゃうんじゃね?塩見さん的にはどうなのよ?


「だったら、各種ドラッグに適したお香を調合するのもいいかもッ!やった事ないからワクワクするなぁッ!」


 意外と乗り気だった。この子、そういう子だったんだ…。

 一流企業のご令嬢が直々にコンサルティングをしてくれるお陰で、塩見のお香屋さんの絵図面は進捗を見せたが、それを脇で聞いていたひーとんにはいくつか気がかりな事があった様だ。


「だけどよ、みどりん。シャブ練るにも場所がいんだろ。それに商品の供給ともなりゃ、人手が足りねぇんじゃねーか?」


「何言ってんだ、ひーとん?場所も人手も既にあんじゃねーか。私らにはよ……ッ」

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