第163話国枝クリニック8

 自警団の一人がマチコの店に乗り込んでくる直前、その場をあとにした面々は、散り散りに逃亡していた。都の立地の詳しい軽度中毒者の子たちは、桃子と塩見を連れて比較的安全な場所へと移動した。目指す先は、奇しくも高桑が入り浸っていた居酒屋、『怪鳥』だった。適度に狭く、殆ど常連しか訪れないこの店は、身を隠すのに適していると判断したからだ。

 カナビスと食事で大分回復したとは言え、病み上がりには変わらないこの子たちは、桃子と塩見の身の安全を第一と考えてくれて、駆け足で怪鳥まで案内した。


「そんなに走ってだいじょうぶっ!?ってゆーか、私の方がキツいかも…ッ!」


「桃子ちゃんッ!もうすぐ着くから、もうちょっと頑張ってッ!」


 服作りの才能にしかステータスを振らなかった桃子は、体力や運動神経に自信がなかった。しかし、追われている身で、そんな悠長な事は言っていられない。もしかしたら、自警団はすぐそこまで迫ってきているかも知れないのだ。

 ぜいぜい言いながら必死に付いて来る桃子を引き連れた彼女たちは、入店するやいなや、怪鳥の大将に掻い摘んで状況を説明し、匿って貰えるよう進言した。


「大将ッ!私ら、六人なんだけど、上の座敷使わせてッッ!!」


「なんだ、お前ら。久しぶりに来たかと思ったら、そんなに慌てて…」


 彼女たちの慌てっぷりを少し訝しんだ大将は、詳しいワケも聞かず座敷に案内してくれた。この手の厄介事は都では日常茶飯事なので、トラブルには慣れっこなのだ。

 大将の計らいで漸く腰を落ち着ける事ができた少女六人は、誰もアルコールを頼まなかった。こんな時に酔ってる場合じゃないと理解している様だ。しかし、ここまで駆け足でやってきた彼女たちの喉はカラカラだったので、それぞれ好きなソフトドリンクとシーザーサラダ、人数分のお茶漬けを注文した。


「これからどうしよっか…」


「ハクトちゃんたち、心配だなぁ…」


 ハクトに看病された元中毒者の子たちは、『'98』に残った治療班への心配が拭えなかった。カナビスによる治療を受けなかったら、この子たちもいずれは『サピエンス』を使用する重度中毒になる可能性が大いにあった。そんなおぞましい未来から自分たちを救ってくれた恩人が、今まさにピンチを迎えている現状に、何もできない歯痒さを感じずにはいられなかった。

 運ばれてきたドリンクやフードに手を付ける彼女たちは、お通夜みたいな雰囲気の中、この先どうすればいいのか、答えを探し倦ねいていた。そんな最中、彼女たちに吉報が入った。桃子にヨシヒロからのコールがかかってきたのだ。


《桃子ちゃんッ!桃子ちゃんッ、聞こえるー??》


「ヨシヒロくんッッ!!無事なのっっ!?自警団はっ!?どーなったのっ!?」


《大丈夫、心配いらないよ。それより気がかりなのは、羽根田くんたちだ。なんとか彼らと合流して欲しいんだけど…》


 桃子が勝手に連れてきた薬屋、羽根田は都で商売をしているので、既にヤサは押さえられているだろう。ヨシヒロの裏ワザによって命の危機は脱したとは言っても、未だ治療が必要な患者を抱えた彼が今どこにいるのか、誰も知り得なかった。

 そういう情報が欲しい時に頼れるのがマチコなのだが、自警団に目を付けられている『'98』に戻るのは自殺行為だ。それに、彼女から情報を手に入れるには貝がいる。ヨシヒロには幾らかの貝は渡してあるが、この先貝が入用になる場面があるかも知れない。無駄使いはできないと踏んだヨシヒロは、羽根田の捜索を桃子たちに頼るしかなかったのだ。


「私、はねだくんの店に行ってみる…。たぶんいないと思うけど、今できるのはそれくらいだから…」


《危ない仕事を押し付けちゃってごめんね…。でも本当に危険だと思ったら、すぐに逃げてッ!もし自警団に捕まったら、僕の情報を売ってでも自分を守るんだよッ!!いいねッ!?》


「まかせてっ!私だって治療班の一人なんだから、すこしは役に立ちたいの…ッ!」


 いつもは自分を『バカ』だと卑下し、服作りしか能がないと言っている桃子は、意外とガッツがある。そうでなければ、コウヘイくんという恋人を失った絶望から帰ってくる事もできなかったであろう。それに、仲間の足を引っ張りたくないという思いは、誰よりも強かった。

 桃子は他のメンバーに薬屋へ行く事を告げて、怪鳥から飛び出していった。


 ――――――――――………


「え~…っとぉ、たしかこの辺だったと思うんだけど…」


 昼間に三谷と歩いた道のりを思い出しながら、桃子は羽根田の薬屋を探していた。しかし、夜になると雰囲気がガラッと変わる都は、彼女の記憶に齟齬を生んでいた。既に何度も薬屋の前を通り過ぎている事に気づいていない桃子は、大通り同士の交差点からルートを辿り返す事にした。

 道行くミコトに薬屋の場所を尋ねても良かったのだが、羽根田からミコトが薬を求める不自然さを教えられていたので、安易な真似はできなかったのだ。

 必ず自力で探し出す決意を固めていた桃子は、幾度目かのトライで漸く薬屋の場所を突き止める事に成功した。


「ぜったいここっ!ここでまちがいないはずっ!」


 羽根田一人で切り盛りしているこの店は、夜になれば看板が下げられ、扉には大仰な施錠がされていたので、家探しの難易度をあげていたのだ。やっと確信の持てる建物を見つけた桃子は、表から中の様子を窺おうとした。だが、厳重に戸締りされている事や、窓から明かりが漏れていない事に、中に誰もいないのだと悟った。


「せっかくここまで来たけど、空振りだったかな…」


 人気のなさに肩を落とす桃子だったが、正面の扉の隙間に挟まった紙がある事に気づいた。その紙には、桃のマークが描かれていた。おツムの足りない彼女でも、流石にコレが自分への手紙だという事は理解できたみたいだ。

 その手紙を手にする前に、桃子は一度辺りを見回し、誰も見ていない事を確認してから急いで手紙を抜き取った。万引き犯かな?

 その場で手紙を開くのを躊躇った桃子は、人通りが少ない裏路地まで移動してから、羽根田からのメッセージを受け取った。


『桃子ちゃんへ

 せっかくここまで来てもらってすまないけど、俺はここにはいないんだ。今は隠れ家に身を潜めてる。患者の容態は安定してるから安心して。

 それで、隠れ家なんだけど、この手紙では場所を教える事ができないから、北の広場まで行ってくれ。そこでクモ助をしている『ヤマモト』っていう駕籠屋を探すんだ。ソイツに会ったら、『カレタダイチニミズヲカケヨ』と言うんだ。あとはヤマモトに任せればいい。

 くれぐれも自警団には気を付けてッ!     羽根田和政』


 桃子はその手紙を懐にしまい、北の広場へ向かった。

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