第143話国枝クリニック4

 桃子がお使いを果たそうとしている頃、マチコの隠し部屋では、ヨシヒロとハクトによる治療が続いていた。三谷が連れてきた中毒者の友達は、軽度の子が四人と重度の子が二人だった。軽度の子たちは、スパイスの欲求をカナビスで誤魔化す事に成功していて、慢性的に感じていた頭痛や吐き気が和らいでいる様子だった。

 その中には、食欲まで取り戻した子までいて、マチコに店屋物の出前を注文してもらう始末にまでなっていた。それまでずっと食べられなくて苦しい思いをしていただろうから、何かを食べたい気持ちになるのは、すごくいい事だ。

 ヨシヒロの猛反対を押し切って、『うな丼』だの『天丼』だの脂っこいものを注文した女子たちは、腹ごしらえが済む頃には、看病してくれているハクトとお喋りを楽しめるまでに回復していた。


「あーッ、おいしかったぁー!食べれるって幸せーッ」


「ハクトちゃん、ありがとね。コレ、カナビスってゆーんだっけ?すっごく落ち着く香りなんだね。スパイスなんかより、こっちに先に出会いたかったなぁー」


 軽度の子たちは、このまま食事・カナビス・睡眠の三つを与えておけば、何日かでスパイスの毒は抜けきるだろう。カナビスによる治療は、軽度の中毒者には有効な事が判明した。特効薬並の効き目だ。

 しかし問題なのは、重度の子たちだった。30分~1時間の間隔で起きる発作は、その都度彼女たちに壮絶な苦痛を与える。呼吸や体温調節などの機能は著しく低下し、意識も途切れ途切れだ。完全に意識を失ってしまえば苦痛を軽減させられるのだが、睡眠促進の効果があるカナビスを、彼女たちは受け付けなかった。ここまで症状が進むと、薬としてのカナビスより毒としてのスパイスが勝ってしまい、治療を難航させていた。

 発作は、苦痛がスパイスの欲求を連れてやってくる。重度の中毒者は、すべからく高桑のカノジョも使用していた『サピエンス』という最上級のスパイスを常用している。サピエンスのラッシュを経験してしまうと脳に癖が付き、ソレでなくては満足できない身体になってしまうのだ。ジャブやヘロインに匹敵する衝撃を脳が覚えてしまっては、カナビスの陶酔では梨の礫だ。


「ハクト!マチコちゃんからもっと毛布もらってきてッ!」


 ヨシヒロは焦っていた。自律神経がとうの昔に崩壊してしまっている重度の子たちは、コウヘイくんやみゆきちゃんと同じ様に、体温が低いのに汗が止まらない症状が顕著に出ていた。ヨシヒロは少しでも体温を上げようと、患者の上に毛布を重ねたが、発汗は止まらなかった。このままでは脱水症を引き起こしてしまう。何とか水分だけでも摂取させなくては、と思い白湯を飲ませようと試みたが、それすらも飲めないほど衰弱していた。スパイスの煙で喉の粘膜をやられ、例え白湯でも刺激に耐えられないのだ。

 体温も上げられない、汗も止まらない、水も飲んでくれない…。おまけにカナビスが発作を抑えられるのは10分がいいトコときた。その後は、反動で苦痛が増してしまう。ヨシヒロは完全に手詰まりの状態に陥ってしまった。

 この状況を打破するには、桃子に頼んだお使いの品が不可欠だった。


「桃子ちゃん、まだかな。トラブルに巻き込まれてなきゃいいけど…」


 ――――――――――………


 一方その頃、薬屋ではヨシヒロの不安が現実のものになろうとしていた。

 桃子からメモを受け取った薬屋の店主は、内容を確認するや否や顔色を変え、下から覗き込む様に桃子を訝しんだ。その表情に、一瞬で危機感を覚えたものの、桃子にはその危機を乗り越えるだけの余裕は既になかった。


「ベンゾジアゼピン系をはじめとする睡眠導入薬。ベンズアミド系の精神向上及び食欲増進薬…。お嬢さん、コレ一体何に使うの??」


「と…、友達が病気になちゃって、薬が必要だからって買いにきたんです」


 それを聞いた店主のミコトは、目を伏せながらも口角を上げ、ドス黒い笑みを浮かべていた。今の問答だけで、桃子の言葉からいくつかの矛盾を見抜いたのだ。一見、何の当り障りのない桃子の台詞に隠れていた矛盾は、言い逃れができないレベルに達していた。


「お嬢さん、いいコト教えてあげよっか?まず、ミコトは病気にならない。知らないならよく聞いて。ミコトの身体は、日の境で睡眠を取る事でリセットされる。具合が悪くなっても、次の日になれば治るんだよ。キミの友達ってさ、もしかして眠れなくて食べれなくて落ち込んでるんじゃない?

 それとこのメモ。キミの友達は医療か薬学を学んでたのかな?じゃないとこのメモは書けないよ。そんな知識を持つ人が、自分で買い物できないほど具合が悪いの?それって何かヘンだよね。

 これらの点と点を結ぶと浮かび上がってくる事実は、『医学薬学に関する知識を持った者が、スパイスの中毒に対する治療を行っている』ってゆー事になるんだけど、どうかな?当たってる??」


 桃子は何もレスポンスできないでいた。このミコトの言う事は非の打ち所がないくらい理に適っていて、しかも得た的はど真ん中をブチ抜かれている。彼の言葉を肯定する事も否定する事もできない桃子は、沈黙という形で態度に示した。その静寂をYESと受け取った店主のミコトは、それまでの不敵な笑みとは一変して、優しい笑顔になった。


「やっぱりね。昨日『もくもく亭』の従業員が一人拉致られたって聞いたから、こういう事が起こるんじゃないかと思ってたんだよねぇ。あ、でも安心して。別にキミを取って食おうとか、邪魔しようとかはしないからさッ。何なら手伝おうとも思ってるくらいだよ」


 このミコトはスパイスを使用していながら、スパイス根絶の片棒を担ぐと言い出した。協力者が増えるのに越した事はないが、そもそも何で手伝おうと思ったのか。それは彼自身もスパイスの中毒に苦しむミコトを救いたいと考えていたからだ。スパイスを使用していたのも、身体や精神にどれだけの影響があるかを確かめる為だった。自分を実験台にして、スパイスの吸引で起こる症状に有効な薬を、彼も研究していた。

 しかし、いくら不眠や食欲不振の症状を改善しても、どうにもならない問題があった。それは、『スパイスの欲求』だ。こればっかりは何かで代用する事もできなかった。このピースが埋まらない限り、重度の中毒から抜け出す可能性は、針の穴ほどもない。彼の考えるスパイス中毒の治療は、そこで頓挫してしまった。そんな時、スパイスの根絶を企む俺たちが現れたのだ。

 この瞬間、彼は俺たちの仲間に加わった。

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