第142話国枝クリニック3

「つきあってもらっちゃってごめんね、しおりちゃんっ」


「いいのいいの。本当に途中まで一緒だから」


 桃子に頼んだお使いの目的である薬屋まで、三谷が道案内を買って出てくれた。桃子だけでは、おそらく辿り着けなかっただろうから、またも三谷の意向に助けられてしまった。

 コミュニケーション能力の高い女子二人は、あっと言う間に親友の様な仲になり、道中の会話に華を咲かせていた。同い年の同性という根本の共通点以上に、バッチリと噛み合う何かがあったのか、二人の談笑は盛り上がる一方だった。


「あっ、そいえばさーっ」


 その会話の中で、桃子は思い出したかの様に三谷に尋ねた。


「しおりちゃんって、たくやくんの事スキなの??」


 唐突な話題の路線変更に、幾何かの戸惑いを隠せなかった三谷だったが、言葉の意味を理解すると同時に、深く被ったキャスケットの下で、確実に頬を紅く染めていた。桃子の質問は、図星を突いていたらしい。暫く続いた沈黙を破った彼女は、その理由を静かに語り出した。


「たくちゃんはね、私の王子さまなの……」


 ――――――――――………


 俺と三谷は、家が三軒も離れていない近所同士だった。そのまた近所に小規模な公営団地があり、学校が終われば学年男女関係なくみんなで集まってそこで遊んでいた。やる事は専ら『ケードロ』だった。

 俺はその団地で遊ぶグループの中心的メンバーのポストに就いていて、同じ様なヤツがあと三人いた。その四人が二手に分かれ、同じチームにしたい子を指名する、という方法でチームを分けていた。


「たくちゃんは絶対に、三番目か四番目に私を選んでくれたの。だから私は、売れ残って惨めな思いをせずに済んだんだぁ。

 でも、私はどんくさいからすぐ捕まっちゃって…。でもねッ、そうすると必ずたくちゃんが助けにきてくれるのッ!」


 三谷を指名していたのは、彼女が使えるからではなく、真逆の理由があった。自分で言う程、三谷は戦力にならない。『ケーサツ』の時はテキトーに遊ばせておけばいいが、『ドロボー』の時には足を引っ張る地雷にしかならない。そんな彼女が別のチームで粗相をすれば、囲まれて責め立てられる未来が容易に想像できる。そうならない為に、彼女を目の届く範囲に置き、しくじればすぐにケツを拭えるようにしていたのだ。それに、俺には監視の死角を通る秘密のルートがあり、いくら味方が捕まろうが、確実に救出できる自信があった。


「たくちゃんは私の事、守ってくれてるつもりだったんだろうし、私もたくちゃんに守ってもらうのが当たり前だと思ってた。私は囚われの姫で、たくちゃんはそれを助ける王子さま。それがずっと続くんだと思ってた…。でもね、それは4年生の最後で終わっちゃった。

 桃子ちゃんって、たくちゃんの事、どのくらい知ってる?」


「たくやくんから聞いたワケじゃないけど、ご家族の事はだいたい…」


 俺がひーとんと死闘のタイマンを興じた後、当の本人である俺がぶっ倒れてるのをいい事に、氏家が緑や桃子に俺の生い立ちをベラベラと喋っていたのは知っていた。俺自身も、俺の身に起きた不幸を隠したりするつもりはないので、ダボがいくら俺の素性を晒そうと文句は言いたくはない。でもやっぱり納得がいかないので、次アイツに会ったら否応なく殴る事にした。


「お兄ちゃんの事があってから、たくちゃんは団地に遊びに来なくなっちゃったの…。最後に一緒に遊んだ時の事はよぉく覚えてる…。

 たくちゃん以外の子がみんな捕まっちゃって、いつもならたくちゃんが助けにきてくれるのに、いくら待ってもきてくれなくて…。

 その内みんなの門限になっちゃったから、その日はそのまま解散したんだけど、帰る前にもう一回たくちゃんを探そうと思ったの。前にたくちゃんから『ここなら見つからないから、困ったらここに隠れろ』って言われてた場所があって、もしかしたらってそこに行ってみたら、たくちゃん蹲って泣いてた…。

 あんなに頼りになるたくちゃんが、私の王子さまのたくちゃんが、目も当てられないくらい泣いてるの見たら、私何もできなくって…、その場から逃げ出しちゃった…。ずっと守ってもらっておいて、それはないよねッ。

 それで、たくちゃんとはそれっきり……」


 三谷は、深く被ったキャスケットのツバで隠しながら、目に溜まった涙を指先で拭った。ズビーッと一度大きく鼻を啜った彼女は、への字の眉毛を携えた笑顔で、桃子の質問をこう結論付けた。


「私、たくちゃんの事は大好きだよッ。愛してる。

 …、でも私はたくちゃんのお姫さまにはなれないの。なっちゃいけないの…」


 ――――――――――………


「ほらッ、あそこが薬屋さんだよッ!もう看板が見えてるでしょ??」


「あっ、ほんとだーっ。しおりちゃん、ありがとーっっ!」


 三谷の昔話を織り交ぜた二人の会話は、道中途切れる事はなかった。目的の薬屋がある路地まで案内された桃子は、三谷との別れを惜しんだ。それほど彼女とのお喋りが楽しかったのだろう。しかし三谷の方はケツカッチンなので、油を売っているヒマなどない。

 早々と別れの挨拶を切り出そうとした三谷は、急ぎながらも桃子の身の安全に関わる助言を残して、遊郭へと消えて行った。


「桃子ちゃん。お買いものが済んだら、車(人力車)と駕籠を乗り継いで『'98』に戻って。コレ、タクシー券二枚ねッ。車で『北の広場』に向かって、路地に入ってから駕籠を探すんだよッ。分かった?」


「う、うん…。わかった…。ありがと…」


 最後に怒涛の捲し立てを食らい、渡されたタクシー券を握り絞めたまま、桃子は暫くフリーズしていた。三谷が教えてくれた尾行の撒き方を、頭に叩き込むのに必死の様だ。でも、そんなに難しい指示出されてないだろ!いい加減にしろ!

 何とか自分なりに帰りのルートを構築した桃子は、タクシー券をヨシヒロからのメモに握り替え、薬屋の暖簾を潜った。


「いらっしゃ~い」


「すいませーん、ここに書いてあるヤツ欲しいいんですけどーっ」


 店主であろうミコトの子にメモを渡した桃子は、思わず鼻を塞いだ。物凄い悪臭が漂っていたのだ。その臭いの正体は、スパイスの煙だった。

 しかもこのミコト、他の中毒者とは違った吸引のし方をしていた。原理としては、俺たちが普段使うボングと同じだが、ビジュアルが違う水パイプを用いていたのだ。それは中東でよく見られる水タバコ、『シーシャ』に酷似していた。とにかく、紙で巻いたジョイントなんかよりも何倍もの煙を一度に吸えるシーシャのせいで、店内は副流煙の巣窟と化していた。

 間接的に吸ってしまったスパイスの煙で、桃子の判断力や注意力は自由落下に等しい速度で低下した。そもそもが低いんだけど。

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