第131話開戦前6

「改めて初めまして。『塩見千秋』と申します。手水政策を受けて三年経ちますが、ずっとお香の研究をしていたので、あまりこちらの世界には詳しくありません。どうぞよろしくお願いします」


 互いの紹介も兼ねて、俺たちは二回目の休憩を取る事にした。この塩見という女の子が、今まで何処で過ごしていたのかまでは詮索したりしなかったが、あんずやハクト、イナリの様なアヤカシを見るのは初めてだったらしい。ひーとんや緑曰く、アヤカシはそれほど珍しくはないそうなのだが、アヤカシに縁がないミコトは、とことん縁がないみたいだ。前に緑が、『アヤカシ連れは十中八九こっち側』だと言っていたが、それが関係しているのだろうか。

 俺たちの計らいでトラックに便乗する事になった塩見だが、そもそも彼女が歩いて都を目指しているのには、歴とした理由というか、やん事ない事情があったからだ。彼女は貝の持ち合わせが、全くなかったのだ。ある程度のおあしがあれば、ヒトを雇って運んでもらう事もできなくはない様だが、貝がないんじゃどうしようもない。だから彼女は自分の足で歩くしかなかったのだ。


「ご一緒させてもらうのは、すごく助かるのですが、私には払える運賃がありません…」


「そんなのいらねーよ。今更一人増えた所で大して変わんねーし、このまま歩かせる方が夢見がわりぃからなッ」


 路銀のない塩見は、対価を払えない事を危惧していたが、それを一蹴する様なひーとんの台詞に、彼女は安堵の表情を浮かべていた。彼女を見つけたのが俺たちで良かったかも知れない。この世界には、碌でもないミコトもいるので、『貝がないなら身体で払え』と乱暴される可能性だってあった。

 それでも塩見は、ロハで乗せてもらう事に抵抗があったのか、都で売るつもりだった商品を広げ、俺たちに譲ってくれようとした。


「せめてものお礼として、お一人ずつ好きな物をお選びください。私のオススメは、この『蘭奢待(らんじゃたい)』ですッ!他にも『伽羅(きゃら)』『沈香(じんこう)』『白檀(びゃくだん)』などがありますッ。どれも良い香りですよ~ッ」


 彼女が見せてくれたのは、香木を原料とした固形のお香だった。何だかイチイチ格好いい名前がついているが、その名前に負けないくらいの芳しい匂いの物ばかりだ。火を着けて焚いたらもっと凄いんだろうな。このお香を焚きながら、あんずと二人でカナビスを楽しめたらどんなにステキだろう…。などと、一人で妄想を広げていると、桃子がお香以外の商品もある事に気づいた様だった。


「この小さな瓶に入ってるのって、もしかして香水??」


「あッ、そうですッ!香水のラインナップもあるんですよ。こちらは花を原料とした原始的な物なので、現代の香水に比べると香りの強さは劣りますが、ピュアでナチュラルな香りが楽しめますッ」


 彼女の言う通り、香水は『バラ』や『ジャスミン』『シトラス』といった花から作られる物が殆どだった。その香水のラインナップの中に、俺の目に留まる香りの商品があった。


「ねぇねぇ、塩見さん。この『ムスク』ってヤツさぁ、もしかして『麝香』のこと??」


「はいッ、そうですッ!ムスクを選ぶなんてお目が高いですねッ!コレは中々の自信作なんですよ~ッ」


 『麝香』とは、ジャコウジカの雄から採れる香料で、漢方の薬剤としても知られている。甘くて粉っぽい匂いが特徴だ。何故、俺がこの麝香に反応したかというと、手水政策を受ける前の現世で、麝香のポマードを愛用していたからだ。俺はこの香りが大好きなのだ。

 そんな事はともかく、『麝香』が存在する事に、俺は一抹の疑問を抱いた。原料となるジャコウジカは主に、チベット、ネパール、モンゴルといったユーラシア大陸の内陸に生息している。日本にはいるはずのない鹿なのだ。

 それ以外にも、緑が作るヘロインの材料のケシや、弾薬に使った木綿も、元来日本には分布していない植物だ。つまりここは、現世でいうユーラシア大陸に位置しているのだろうか…。と、推測した俺は、次に放った塩見の言葉に打ちのめされた。


「ジャコウジカは無理を言って『海外』から輸入してもらったんですよ~ッ。何とか繁殖に成功しましてムスクを作る事が可能になったんですッ!」


 おい、今何つった??海外??海外ッ!?!?この子、こっちの世界には詳しくないとか言っておきながら、物凄い事実をブッ込んできやがった!

 いや…、考えてみれば至極当然の事かも知れない。俺たちが普段生活しているエリアは海に面している。その海の向こうに何もない方が不自然だ。しかも、塩見の口ぶりからすると、海外と貿易までしちゃってる。俺が知らないだけで、この世界は想像以上に広いのかも…。


「なぁ、ひーとん、ヨシヒロ。海外があるって知っとった??」


「海の外については噂で聞いたくれーだな」


「海外の事は知らなかったけど、試しに計算してみたら、この世界は『地球』と殆ど変らない大きさだとは分かってたよ。でも、そんな貿易までしているなんて…」


 かなりの古株であるひーとんもヨシヒロも、海外についてはそんなに明るくない様子だった。まぁ、ひーとんはそんな事に関心はないだろうし、ヨシヒロもずっとカナビスを研究してたから仕方ないか。っつーか、一体誰に無理を言えば、海外から鹿を輸入してくれるんだよ。と、疑問に思った時、俺に戦慄の様なものが走った。

 トラックやバイク、それに俺が持つ拳銃の存在だって、他のヤツからしたらにわかには信じがたい事かも知れない。そして、それらを実現させる為には、氏家の様な二一組の協力が不可欠だった。つまりあのダボハゼ共は、二〇組のミコトの『やりたい事』をサポートする役を担っているのではないか。俺はそう直感した。


「ま、まぁええわ。とりあえず、俺はこのムスクを頂いてこうかな」


 俺たちは、それぞれ好きな商品を一つずつ譲ってもらった。アヤカシ共はお香や香水に興味を示さなかったが、あんずは俺が手にしている物は気になる様で、頻りに色々と聞いてきた。ベラベラと御託を並べてもしょうがないので、俺は瓶の蓋を開け、麝香の香りを一度あんずに嗅がせた。


「ふぁぁ…。なんだかふしぎな匂いですッ。アタシ、コレ好きかもッ」


 麝香の香りはあんずのお気に召したみたいだ。それならと思い、俺は数滴の香水をあんずに振りかけてやった。そのついでに、俺も匂い嗅いでみたら、現世での記憶が溢れだし、懐かしい気持ちになった。色んな想いが交錯する中で、俺は三谷にお礼をしなければいけない事を思い出した。


「塩見さん、お土産用にもう一個ムスク包んでまえん?そっちのお代は払うでよ」


「かしこまりましたッ!ありがとうございますッ」

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