第48話完成間際6

「ったく、しゃーねーなぁ。イナリ!私らも出かけるよ。支度しな」


 街や多々良場への行き方が分からなくなってしまった俺たちを、緑とイナリが案内してくれる事になった。どうやら彼女らも街へ行く用事があるのだそうで、急ぎ早に外出の準備を始めた。


「拓也、キメたいネタあるか?」


 その準備というのは、道中に楽しむドラッグを用意する事らしい。俺はカナビスがあれば十分なんだけど、わざわざ時間を割いて案内してくれる彼女に付き合わなくてはいけないだろう。礼儀として。

 長い事歩くのを考えると、やっぱシャブかなぁ。でも切れた時がえらいからなぁ。どうしよっかなぁ。


「逆にどんなのがあるの??」


「何でもあるよ。スピード、エクスタシー、ヘロ…、あッ、アシッドもあるぞ!」


 お!それだぁッ!!比較的身体負荷の少ないアシッドを選択した。

『アシッド』というのは、『LSD』の事だ。幻覚作用や知覚の向上、思考や意識の変化をもたらすLSDを、カナビスと併用したらどうなるか、実験してみたくなったのだ。ジャンキーとはつくづく馬鹿な生き物である。

 イナリが用意してくれた物は、数ミリ正方の紙片であるブロッターだった。緑を経由して手元に届いたペーパーアシッドを舌に乗せ、再び緑たちの家をあとにした。


「あ、言い忘れたけど、市販のヤツより強いからね」


 服用した後に言う台詞じゃねーよなぁ。

 此方の世界に送られる前にいた現実世界、俺たちの国、日本で出回っていた嗜好品ドラッグは、緑の実家『ダイナモ製薬』で製造された物が殆どだった。そこのご令嬢曰く、薬物解禁に伴い、販売するドラッグはある程度効能を抑える事が、流通の第一条件であったそうだ。

 つまり俺が嗜んでいたネタは、効き目を大分落とした物だったのだ。その差は、アンダーグラウンドで取引されていた物の1/5程らしい。その代り、安価で手に入る様になったので、財布を圧迫しない程度で楽しめた訳だ。

 って事は、今口に入れているアシッドは、俺が経験したネタの5倍の威力を誇る物だ。それを理解した瞬間、俺の身体からは汗が吹き出し、見た事のないサイケデリックな世界が現れた。


「ちょっ…、まっ……ッッ」


 俺の知っているLSDってのは、せいぜい物がはっきり見えたり、音が良く聞こえたり、般若心経の意味が何となく分かったり、駆動輪の片方が空転した際に、もう一方に駆動力を伝えるくらいのもんだったはずだ(?)。なのに今、俺の目の前に広がっている空間は、五感たちがそれぞれの持ち場を離れて、自由にはしゃぎ回っている様な奇天烈な世界だった。

 匂いは重さを持ち、物体は声を持ち、音は色彩を持つ。JPEGのデータがMP3で再生されたらビビるでしょ?それが実際に起こっている。これが共感覚ってヤツかッ!!


「これはいかん…、これはいかんてぇ……。カナビス吸お」


 落着きを取り戻す為にとった行動は、当初の思いつきを実現させるものになってしまった。そのせいで、容易に踏み込むべきではない領域に突入した。


 当たり前の様に見えてしまっている音は、高さの違いで色が分けられていた。高音になるにつれて紫色がかかり、反対に低音になるにつれて赤色がかかっている。覚醒した俺の脳は、この法則の真意に素早く到達した。

『音』と『色』は、目から入るものと、耳から入るものという全く異なる感覚だ。しかし、この二つは大きな共通点を持っている。それは、どちらも『七つで構成されている』という事だ。

 音は『ドレミファソラシ』で七つ、色は『赤橙横緑青藍紫』で七つ。これは、波長の長さの違いでもある。加えて言えば、音楽の世界で『3コード』と呼ばれる基礎となる音は『C・F・G』、ドレミで言うと『ド・ファ・ソ』となり、ドを1と数えた場合の数字は『1・4・5』となる。これを色に置き換えると、基礎となる三原色は『赤・緑・青』となり、こちらも赤を1と数えた場合の数字は『1・4・5』となるのだ。この一致は偶然によるものなのか?

 俺は違うと思った。きっと感覚というのは、本を正せば同じ物で、受け取る五感によって変換が成されているに過ぎない。でも、だとしたら何故、異なるものに区別する必要があったのか。謎は深まるばかりである……。


「だから何だよッッッ!!!」


 長々とウンチクを垂れる内なる自分に、もう一人の俺が痺れを切らした。相当楽しい事になってんな、俺の頭。

 俺が自分自身に盛大なツッコミを入れると、緑とイナリはほぼ同時に頭を抱え、低くしゃがみ込んだ。


「たくや、いきなりさけんだら危ない」


「声が当たったらどうすんだ、バカヤロー!」


 共感覚により、質量を持つ波となった俺の声が、周りの物質に反響して襲いかかるのだそうだ。何を言ってるのか分からないが、それが分かっちゃうのが、アシッドの怖い所だ。同じ空間にいる者や、任意の相手と繋がってしまうネットワークが存在するのだ。言わずもがな、って感じで意思の疎通が可能になる。

 そんなジャンキーネットワークから外れてしまっている者が、この場にいた。あんずだ。


「たくちゃんたち、ズルい…。アタシだけ置いてけぼり…ッ」


 自分だけ取り残されてしまったと感じたのか、あんずは目に涙を浮かべていた。泣いているあんずを見るのは、これが二回目だ。しかし前回とは訳が違う。今あんずは悲しくて泣いているんだ。何とかしなくてはッ!!


「す、すまーんッ!あんず!!そんなつもりじゃなかったなかったんだけど…ッ。み、緑!あんずにも分けたってええ!?」


「あ、当たり前だ、バカ…ッ!早く食わせてやれよッ!」


 あんずの涙に動揺しているのは俺だけではなかった。アヤカシ同士のドンパチにも動じなかった緑まで、泡食っていた。あんず自身がやりたいってんだから、止める理由もないんだけど、進んで勧めるもんでもないので躊躇してしまったのが裏目に出た。

 プチパニックに陥っている俺たちは、すぐさまあんずにアシッドを渡し、口に入れる様に手解きをした。


「あんず、この紙を舌に乗せればええだけだでなッ。間違っても飲み込んだらかんぞ」


「…グスッ。はい…。わかりました。……、あーん…」


 目に溜めた涙を拭いながら、あんずはブロッターを口へ放り込んだ。LSDは彼女をどんな世界に誘うのか、予想も出来ない俺は、ただただあんずを見守る事しか術がなかった。バッドに入らなきゃいいが…。


「ど、どうだ…?あんず?」


「…えっ??あ、はい…。あれっ?あれれっ??」


 どうやら効果が出始めた様だ。表情筋が緩み、半分アヘ顔みたいになっている。こいつもこいつで、ジャンキーの気質があるよなぁ。カナビスもすぐに気に入ってたし。

 俺や緑が元いた世界でも、いくら薬物が法的に解禁されようが、身体が受け付けないヤツもいたし、偏見の目を持ち毛嫌いするヤツもいた。俺のお袋も、酒とタバコには何も言わなかったが、他のドラッグには良い顔をしなかった。とは言っても、お袋が生きていたのは、小学校六年までの話だ。ドラッグを嗜む様になったのは、それ以降の事なので、俺が薬物にのめり込むなんて知りもしないだろう。いや、もしかしたら見られてるかも。まぁいいや。


「あんず、大丈夫か…?」


「あっ…、あっ…ッ。たくちゃんッ!もういっかい、もういっかいしゃべってくださいッッ!」


「えっ…?ど、どうした…??」


「キャーッ♡たくちゃんの声がみえますーッッ!すっごーい!ふふッ」


 良かった、ちゃーんとダメみたいですね。

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