第32話政策と制作1

「おはよう、今泉くん。さっそく向かおうか」


「おぅ、おはよ。その前に、今日の払い持ってきたかて」


「もちろん」


 ムラゲの家へ案内する為、明朝氏家は多々良場を訪ねて来た。今日も大量の貝を持って。

 目的の場所は、街の南東に位置する森の中らしい。俺たちがいる多々良場は、街を挟んで反対側にある。朝メシも食いたいし、街を縦断するルートでムラゲの家を目指す事にした。


「あんず、何食いたい?」


「兎がいいですッ」


 夕べも食ったじゃねーか。しかし、兎かぁ…。もうシゲさんの兎串は食えないんだよなぁ。こういう気持ちはちょっと堪えてしまう。死に別れはいくら経験しても慣れるもんじゃない。

 考えてみれば、下手人を裁いたあんずの行動は彼女の分の怒りだけだ。俺の心の埋め合わせは誰がしてくれるんだろう。あー、腹立つ。

 決して煮えきる事のないモヤモヤを抱えつつ、あんずのリクエストに応える為、昨日のジビエ屋さんに足を運んだ。


「ごめんくださーい」


「いらっしゃいッ!あ、これは今さん!まいどでやすッ」


 ここは肉を販売するお店であって、基本調理などは行っていない。失礼を承知で、兎肉のぶつ切りを串焼きにしてくれないかとお願いすると、店主のおじさんは快く聞き入れてくれた。


「じゃあ、それ三本ください。氏家も食うだろ?」


「いいのかい?頂くよ」


 しゃーなしやぞ。

 兎が焼けるまでの間、やる事もなく紙巻のカナビスを吹かしていると、あんずが酒を貰いに行きたいと言い出した。酒配りのおっちゃん家はすぐそこだったので、あんずの要求に許可を下すと、彼女は軽やかな足取りで駆けて行った。

 そんなあんずを見ながら、昨日の氏家との会話の中で産まれた小さな疑問を、彼にぶつける事にした。


「なぁ、氏家。童子って、アヤカシって何なの?」


「言葉で説明も出来るけど、多分君にはまだ理解出来ないと思うよ」


「いいから教えろや、ダボハゼ」


 アヤカシとは端的にいうと、ミコトの成れの果てらしい。この世界で被行者が絶命すると、霊だけが宙ぶらりんの状態になり、そこかしこに漂っているアヤカシの気と混ざり合うと事で、形を変え新たな生命体になると言う。

 なるほど、サッパリ分からん。


「え?ミコトって死ぬの??」


「だから『そこ』なんだよ。俺たち被行者は既に死んだ状態で此方に送られて来るんだよ?それなのにまだ生きてるつもりでいる愚か者は、ミコトとしての自覚が足りてないんだ。まぁ、そういう人が殆どだけど…。鰯の頭はこの世界に必要ないんだよ」


 氏家が言いたい事は俺には伝わらなかった。俺だって死んだっていう実感ねーし。

 つまり、死ぬはずのないミコトが間違って死ぬとアヤカシになるっていう事か。結局意味分からんわ。だってミコトって死なないんでしょ?それが何で死ぬのかも分かんねーし、『アヤカシの気』って何だよ。このダボハゼときたら、俺の疑問全然解決してくれねーじゃん。

 未来から来たクソ雑魚サイボーグの無能っぷりに落胆していると、酒で満たされているであろう壺を抱えたあんずが、満面の笑みで駆け戻ってきた。


「たくちゃーん!お酒もらえましたーッ!」


「良かったな、あんず」


「今さーんッ!焼けやしたよーッ」


 丁度兎も焼けた様だ。店主から三本の串焼きを受け取り、それぞれあんずと氏家に手渡すと、その瞬間あんずは焼けた兎にかぶりついた。物を食べる時に出る特有の笑みをあんずが浮かべた事で、この兎串の味には太鼓判が押された。

 遠慮せず食ってくれ、という意味を込めて顎を動かして催促してやると、それを受け取った氏家も兎の肉に口を付けた。どうやら彼の口にも合った様だ。

 腹ごしらえも済み、ムラゲの家を目指して街を出る頃には、あんずの酔いがいい感じに回っていた。


「あー!そうだ、ダボハゼさんに言いたい事があったんですよーッ」


「な…、なんだい…?(ダボハゼさん!?)」


 急にあんずが氏家に声をかけ出した。珍しい事もあるもんだ。どんな指摘をするのか興味の湧いたおれは、黙って彼女の言葉に耳を傾けた。


「たくちゃんに変な物与えないでくださいッ!迷惑ですッ」


「昨日のエロ画像の事かい?今泉くん、ちゃんと隠してたじゃないか。何でバレたの?」


 俺が聞きてーわ。何でバレたんだろ?

 声なき俺の疑問は、ちゃんとあんずの口から答えを得る事が出来た。


「『匂い』で分かりますよッ!あのはだかからは何か如何わしい匂いがしました。きっと良くない物ですッ!」


 そうです。その通りです。あれは男の慰み者になる事を選んだ卑しい雌豚の姿です。良くない物です。でもね、男にとってはそれが良いんです。たまらないんです。

 昨日あんなに貶していたギャルの裸も、もう二度と見ることが出来なくなってしまうと、愛おしさが芽生えてくる。こういう気持ちはちょっと堪えてしまう。死に別れはいくら経験しても慣れるもんじゃない。

 っていうか、あんずさん…。めっちゃ怒ってますやん。相当イヤだったんだろうな、他の女の裸を持ち込んだ事が。その怒りの矛先を、俺ではなく氏家に向けている。多分、彼女は俺を責める事が出来ないのだろう。そもそもこのダボが元凶だしね。

 あんずのロジックでも氏家は悪者になっているらしく、流石に可哀想になって来たので助け舟を出してやった。


「あんず。氏家もさ、悪気があった訳じゃねぇんだで、それくらいにしたりゃー」


「なに偉そうな事言ってるんですかッ!たくちゃんだって受け取ったくせにッ!!」


 杞憂だった。怒りの矛先は、ちゃんと俺にも向けられた。そうなると氏家の援護なんてしてられない。こいつをスケープゴートにして、さっさとあんずの信用を取り戻そう。


「俺の知らん内にこいつが勝手に余計な物描いとったみたいでよぉ、おーじょーこいたて。でも、せっかく描いてくれたもんを悪い様に出来んがや。だで仕方なく貰うしかなかったんだわ…」


「は?そもそも君が最初に『エロd――――……」


「じゃかぁしゃあッボケエェェェッッッ!!!!」


 危ない危ない。エロ話を持ち掛けたのは俺だという、あんずが知らなくてもいい事実を明かされてしまう所だった。

 何とかやり過ごせたと思っていた矢先、あんずの次の台詞が俺と氏家を凍りつかせた。


「とにかくッ!次同じことやったら…、"ブ チ 殺 し"ますよ…」


「「は…、はいぃ…ッ」」


 死なないはずの被行者が死ぬこの世界で、彼女は『殺す』と言った。既に死んでいるミコトを殺す事など本当に可能なのか。その答えは彼女の存在が証明していた。彼女は『アヤカシ』なのだ。

 っていうか、あんずさん…。めっちゃ怒ってますやん。

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