第18話カナビス4

「おはよー、いずみくん」


 その日は国枝くんの優しい声から始まった。

 昨日のカナビスがまだ残っている様で、頭と身体が少し重たく感じた。既に目覚めていたあんずは、ハクトと朝食の準備を整えていた。いつの間に仲良くなったのだろう。二人は笑顔を交わし合いながらお勝手と居間を行き来していた。

 洗顔を済ませ、用意された朝食の卓に座った。


「簡単な物しかなくてごめんね」


「いやいや、こっちこそ朝メシまでよばれっちゃってごめん」


 テーブルには、焼いた魚と白米に汁物、完璧に近い朝食が並べられていた。普段は杏子を始めとする果物や、街で買うファストフードの様な物ばかり食べていたので、料理という物に飢えていたのかも知れない。というか元いた世界でもこんな立派な朝食を口にした事は滅多にない。

 国枝くんのおもてなしに感動していると、隣ではあんずが何やら困っている様子だった。


「た、たくちゃん…。この小さい棒はなんですか…?」


「え?箸だがや。あ、もしかして箸知らんのか」


 童子のあんずは今まで箸を必要とする食事を摂った事が無いのだろう。果物、野菜、魚、動物、ヒト…、全て丸齧りしてしまえば済む話だ。だからと言って手で食べさせる訳にもいかないので、国枝くんにスプーンでも借りようとした時、ハクトが箸の使い方を手解きし始めた。


「あんずちゃん、まずは一本をこうやって持って、その下にもう一本差し込むんだよ」


「こ、こう…?」


「そうそう。そしたら上の箸が人差し指と中指で動かせるでしょ?」


 あんずは四苦八苦していた。使える様になってしまえば簡単に操れる箸だが、それを習得するには多少時間がかかる。世の中の親はこういう苦労もしてんのかなぁ、なんて思っていると、あんずは汁物に入っている具材を一つ掴む事に成功した様だ。


「あッ、たくちゃん!見てくださいッ!出来ましt――――…ッ」


 パシン…ッ


 あんずの握撃は、掴んだ具材ごと箸を粉砕させた。口へ運ばれるはずだった一欠片の野菜は、原型どころか素粒子レベルで木っ端微塵にされ、その後の掃除も必要無いほどだった。

 不本意なイリュージョンを披露してしまったあんず、そんな失敗されるとも思って無かったハクト、未だに何が起きたか把握できてない男二人。ハイライトを失った八つの瞳が、再び光を取り戻すのには多少の時間を要した。


 ポンペイの完成である。


 ――――――――――………


「これが僕自慢のカナビス畑だよッ!今日収穫する分はここからここまで」


 食後に案内された国枝くん家の裏手には、幾つかのエリア分けされたスペースに所狭しとカナビスが生えていた。

 初めて植物として眺めたカナビスは背丈が2mくらいの草で、天に向かって真っ直ぐに茎を伸ばしていた。その先端や分かれた枝の先には、ぎっしりと毛の様な物が房状に生えていて、その周りをキラキラした結晶が覆っていた。どうやらこの結晶が、俺たちの糧になるらしい。


「僕といずみくんで枝を切っていくから、ハクトとあんずちゃんはそれを運んで干しといてね」


「んじゃ、やったろみゃーか」


 国枝くんに指示を受けた俺たちは、言われた通りの仕事に専念した。女の子二人はキャッキャしながら作業している。それを横目に得意の単純作業に没頭していると、昨夜は語り足りなかったのかカナビスについて国枝くんがまた語り始めた。


「最初は大変だったよ。カナビスが雌雄異株だなんて知りもしなくて、無駄に受粉させては失敗作にしっちゃったり。でもその中に雄の花粉から逃れた株が一つだけあって、それを挿し枝してクローンを増やしていったんだ。今は雄の株を村で管理してもらってて必要な時に種子を残せる様にしてあるんだ。ここにいるのは女の子だけなんだよ。シンセミアだけなんだよ!」


 今現在バシバシ切り倒してる物を女の子って呼ぶなよ。罪悪感が出てくるだろーが。

 しかし植物を思い通りに育てるってのは相当難しい事なんだろう。なんたって口が聞けないからな。彼が費やしたであろう苦労と時間を想像しながら、それよりも作業に集中していた俺は生返事気味に彼に応えた。


「ふーん。何か大変だったんだなぁ」


「そうだね。カナビスの生態を把握するのに5年、改良するのに10年。ここまで来るのに15年もかかったよ」


「え…それってヒトの時間で…?」


「違うよ。『僕たちの時間』でだよ」


 もう下手に驚いたりするのはやめていたので、彼の言葉に対する反応は小さいもので済んだ。15年という時間は俺たちにとっても短いものでは決してないのだが、ここに住むヒトにすれば900年の間国枝くんは存在している事になる。そりゃ『クニさま』なんてアダ名もつくわ。

 いや、ちょっと待てよ。それだとやっぱおかしい事になる。


「国枝くん、生年月日教えてまえる…?」


「え?1985年の8月2日だよ」


 昨夜の雑談で、彼は俺と同世代だという事は分かっていた。小さい時好きだったものや流行ったものが同じだったからだ。生年月日からすると俺の2コ上になるので、手水政策を受けたのも2年前のはずだ。なのに何故彼はここで既に15年も過ごしているのだろう。

 答えが見つかりそうにない矛盾をまた発見してしまった。しかし、深くは考えない事にした。考えてもどう仕様もない事は、どうだっていい事なのだと自分に言い聞かせ、問題を隅の方へ追いやった。


「よしッ!ハーベストはこれで終わりッ。いずみくん、お疲れ様」


「よっしゃー、終わったーッ」


「あ、全部終わりじゃないからね。まだハクトたちがやってるトリミングと乾燥が残ってるから」


 仕事はまだ続くらしい。収穫した残りのカナビスを北に面した窓の所まで運ぶと、ハクトとあんずが茎や枝から生えた大きな葉っぱを毟り取っていた。葉を取り除き、花穂だけとなった枝を軒下に吊るし乾燥させれば完了の様だ。

 女子二人の仕事に仲間入りしようとすると、あんずが小さな愚痴をこぼした。


「たくちゃ~ん…、これ手がベタベタしますぅ~」


「ははッ!あんずちゃん頑張った証拠だねー。そのベタベタもうちょっと我慢してね。後でご褒美になるから」


 そうして俺たち4人でかかった作業はあっという間に終わりを迎えた。


「本当だ、でら手ぇベタベタする…」


「みんなお疲れ様ッ。これからハシシを集めるから手出して」


 労いの声をかけながら、明らかにナイフの様な物を片手に国枝くんは要求した。手を出せ…?何するつもりだよ、それで…。

 あんずも俺と同じ様な危険を感じたのか、俺の一歩前で臨戦態勢に入った。


「警戒しなくても大丈夫だよ。このベタベタはカナビスの樹脂なんだよ。それを温めたナイフで集めるだけ」


 この状況を全て理解しているハクトは、ベタついた手を国枝くんに差し出した。その小さな手の上を彼のナイフが撫でると、刃は黒い塊を集めながらハクトの地肌を露わにした。


「洗って落ちる物じゃないから、こうした方がキレイになるし、ハシシも取れるから一石二鳥なんだ」


 慣れた手付きで俺とあんずの手からベタベタをこそぎ落とすと、4人分の手に付着していたカナビスの樹脂が消しゴムくらいの大きさの塊になった。彼はその塊を軽く揉んでから少し千切り、昨日の試験管の受け皿に詰めて渡して来た。


「はい、いずみくん。収穫のボーナス『ハシシ』だよッ。楽しんで」


 言われるままにハシシの煙を身体へ取り入れた瞬間、五感のリミッターが全て解除された。

 地面に接した両足にかかる自身の体重が、どの様にバランスを取ればこの不安定な二足歩行を維持できるか。目に映る景色を再現するには色が何色必要か。耳に届く木々の擦れる音を奏でる風はどの方角から来たのか。その全てが完璧に察知出来る。顕微鏡を覗いたみたいだ。


「たくちゃん、アタシもアタシもッ!」


 試験管を持ったまま一時停止している俺を見て、あんずもハシシに興味を向けた。国枝くんを経由して試験管を受け取ると、彼女も大いに煙を吸い込んだ。


「あ、あー……」


 俺と同じ感覚に陥ったのか、彼女も試験管を持ったまま一時停止した。なにコレ、クッソ間抜けやんけッ!!俺もさっきまでこうだったのか…。

 あんずから回ってきたハシシを吸い尽くしたハクトも、国枝くんに試験管を渡すとフリーズした。新たなハシシを詰め直し、肺の中をその煙で充満させると彼の動きも止まってしまった。

 これどーすんの?仕方ないので国枝くんから試験管を奪い、俺は再びハシシを体内に招き入れた。


 モヘンジョダロの完成である。

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