第13話お買い物5
「おーっ、着いたなぁ。海」
「着きましたねー。海」
暫らく続いた森の中の道を抜けると、入江状になっている浜辺に出た。ここは漁場か何かなのか、入江の両端には人工的に積まれたと思われる石の壁が出来ていて、潮の流れをせき止めている様だった。そのおかげかこの辺りは波が穏やかで、潮干狩りするには丁度いいかも知れない。
浜辺の様子は把握出来たので、貝を取る前に多々良場というのを拝見したかった。
「どっかに建物みてえなのねーかぁ?詳しい場所までは聞いてなかったもんな、チクショー」
「じゃあ、ちょっと見てみますね」
そう言ってあんずは両膝を深く踏み込ませ、その勢いで遥か上空へ飛び上がった。昨日俺に披露した跳躍は彼女にとってつま先程度の力だったんだろう。こんなのに命狙われたら一溜りも無いぞ。あんずが味方で本当に良かった。恐怖と安堵の中、俺が貸したシャツの裾から見えるクマさんパンツをただ眺めていた。
「たくちゃん、ありましたー!あっちです!けっこう近いですよ」
「お、おう。ほうか」
あんずが指差したのは入江の西に位置する森の方角だった。今の脚力を見せられると、あんずの『近い』がどれほど信用出来るものなのか分からなかったが、とりあえず彼女の示す方へ歩みを進めた。
「思ったより立派だがや」
発見した多々良場は、美奈の社や桃子の店同様木造のちゃんとした建物だった。中は土で出来た大きな窯の様な物と、シーソーみたく左右に傾く床板の様な物が敷地の大半を占めていた。俺はこれが何か知っていた。これは日本古来の製鉄所に違いない。それにあんずと街で見た『コヨミ』は金属で作られていた。つまりこの世界には鉄を作り加工する技術がある。具体的なアイディアはまだ出てこないが、これは絶対何かに使える、そう確信した。
「たくちゃーん、これ何ですかー?」
「ん?こりゃ釜戸だな」
そうか。この方法での製鉄は数日に渡る作業を要する。だからここで不自由なく過ごせる様、台所や寝床が完備されているのか。居住環境としてはこれ以上ない代物かも知れない。何か運命的なものを感じ、俺はますますここが気に入った。
「おい、あんず!ここに住もまい!」
「はいッ!じゃあアタシ、寝座から荷物持ってきますね」
あんずは一旦荷物を取りに戻り、その間に俺は貝を採取する事にした。
再び入江にやって来た俺はその辺に落ちている手頃な枝を拾い、無造作に浜を掘り始めた。美奈に見せてもらった貝の姿を追い求めて手を進めていくと、記念すべき最初の貝を手に入れた。
「これを最低でもあと399個かぁ…」
想像してたよりも結構な重労働と果てしない目標を目の前に、終わらない仕事は無いんだと自分に喝を入れ、手元に貝を増やしていった。元から単純作業が得意だった俺はいつの間にか夢中で手を動かしていて、数こそは数えていないが両手で持ちきれるかどうかの貝が集まった頃、休憩を入れる事にした。
「いっぷくいっぷく」
『カナビス』という未だ実態の知れない、紙に巻かれた植物片に火を着けその独特な香りを噛み締めていると、さっきまでは朧ろ気だったタバコとは違う『違和感』が正体を現した。
あ、あれ?何だこれ。何だこの感じ。耳に届く波の音や肌で感じる風、眼前に広がる海の景色、五感を刺激するその全てが愛おしい。溢れ出す多幸感。そう、これは『トリップ』だ……ッ!
やべぇぞ。何かキマってきたぞ。すげぇ…、こんなの初めてぇ…。絶対こいつのせいだよな、そう思い確認の為もう一度深く吸い込みむと、さっきした学習はどこへ行ったのかというくらい盛大にむせた。またもや止まらない咳の苦痛から逃れる様に仰向けに寝転ぶと、脳内のシナプスが一斉に開放を始めた。
時間の進む方向、三次元の構造、公転する地球、その周りに浮かぶ月、光、陰……、『手水政策』。取り留めのない思考の点と点が一直線で繋がり、その延長線上に……
―――神を見た―――
「たくちゃーん!もどりましたー!」
あんずの声が聞こえて我に帰れた俺は、手に持ったカナビスが少しだけ短くなっている事に経過した時間がそれほど長くなかったのだと悟った。
「おかえり、あんず。早かったな」
「えへッ。アタシも貝取るの手伝いますね……、ってたくちゃんどーしたんですか!目ぇ真っ赤ですよッ!」
「マジでッ!?」
これまでに経験した薬物のラッシュ状態とは本質が全く異なるものではあったが、回路が焼け付きそうな速度で駆け巡った思考のせいで、毛細血管が少し傷ついていたみたいだ。しかし何だったんだろう、何か核心的ものに触れた気がしたんだが…。正気を取り戻した今では、何を見たのかもう思い出せないでいた。
「まぁええわ、結構大変なんだてぇ。こんな枝しか使えるもん無くてよぉ。ちっとも掘れーせんのだわ」
「わかりました。掘ればいいんですねッ」
あんずは右手をズボッと浜に差し込むと、そのまま腕を大量の砂ごと振り上げた。巻き上げられた砂と共に幾つかの貝の姿が確認出来たが、方向を全く考えていなかった為に物凄い勢いで海に消えて行った。その光景が妙に可笑しく、カナビスのせいでハイになっていた俺は笑い転げた。
「わーっは!!すげぇ!でぇらやるやん、あんず!!うっははッ!」
「あはッ、失敗しちゃいました…」
この可愛い生き物と楽しく貝を集め、彼女が寝座から持ってきた小さな壺をそれで満たし、今日やるべき事を終える頃にはすっかり夜も更けていた。
「あーッ…、体中砂まるけだわ。水浴びれる所とかねーかな」
「あ、それならさっき井戸ありましたよ」
多々良場の裏手には、あんずの言う通り井戸があった。精製した鉄を冷やしたり、生活の為にはもちろん真水が必要となる。これはあって然るべき物だった。しかし随分使われていない事は明白だったので、井戸の脇に横たわっていた釣瓶で何回か水を汲み取り、ゴミや汚れを取り除いた。
「おっし!綺麗な水になった。あんず、先浴びてええぞ。俺はその後浴びるで」
「いーんですか?じゃ、お先にいただきますッ」
「俺が中入ってから脱げよ?」
「わッ、わかってますよ!」
お互いその日の汗をサッパリ流し、今日から俺たちの居城となるこの多々良場で床についた。あんずは昼間に貰った酒を飲み干し、既に寝息を立てている。その横で俺は、何本目かのカナビスに火を着けた。あの強烈な思考の旅に、俺は魅せられてしまったのだ。その再現とまではいかなかったが、揺り篭の中にいる様な陶酔感に浸っていた。目を閉じるとより一層感じる波の音が、薄れ行く意識の中でいつまでも響いていた。
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