第15話カナビス1

 貝が手に入る様になった事で、この世界での経済活動が可能になった俺たちは、買い食いしながら街を散策するのが日課になっていた。


「シゲさん、ちわー。兎串2本もらえる?」


「お、今さん。まいどッ!貝20でさぁッ」


 街の露店には、食材だけでなく調理した物を出す店もあった。中でも山から獲ってきた兎を串焼きにして売っている、シゲというヒトの店を重宝していた。

 童子を連れたミコトという事で、俺の顔は大した時間を要せずに街に知れ渡っていた。最初の内はあんずの存在に動揺を隠せない様子だった街のヒトたちも、彼女の愛くるしい姿に心を開いている様だった。


「シゲさん、こないだの事調べといてくれた?」


「あー、すんません。誰も知らねーみたいでして…。お力になれず申しわけありやせん…」


「いえいえッ!わざわざありがとうございます」


 俺が街に来ては食いだおれる理由は、旨いもんを食わせると笑顔になるあんずを観察する事と、多々良場の使い方を知っているヒトを探す事にあった。前者は毎回達成出来るのたが、後者の方は困難を極めた。

 間違いなく過去には使われていたはずの多々良場の伝統は、いつしか途絶えてしまっていたのだ。しかしそうなるとおかしな事になる。手水政策の為に作られたこの場所の伝統一つが失われてしまうほど、手水政策の歴史は古くない。

 経過する時間の矛盾が、この世界と元いた現実との間で生じてしまうのだ。こういう禅問答みたいな事を考える時は、カナビスが役に立つ。そのカナビスもあと数本を残し、底を着きかけていた。


「はぁー…、こりゃお手上げだわ。あんず、また神社まで付き合ってまえる?」


「はいッ。いいですよ、たくちゃん!」


 すっかり好物となった兎串を口いっぱいにほうばりながら、あんずは俺に応えた。その可愛らしい笑顔に周りにいた幾人かのヒトが見蕩れていた。彼らに対し、生憎あんずは俺のものなのさ、と俺の鼻の高さはクレオパトラを凌駕した。


「おいッ!オーブントースター!!」


「電子レン…、美奈じゃボケェ!!」


 相変わらず美奈は境内を掃除していた。他にやる事無いのかこの女は。

 此方に振り返り、申し訳程度に挨拶を済ませると、あんずの格好に興味を示した。


「あら、今泉くんに…あんず。こんにちは。あら?随分かわいい服着てるのね」


「えへへッ!たくちゃんに買ってもらいましたーッ!」


 貝は二人で集めたんだけどな。彼女の中ではそういう認識なのかと訂正する事もなく、前回のお礼と本日ここに伺った理由を美奈に伝えた。


「こないだはありがとな、多々良場はあんば良かったよ。でも誰に聞いても使い方分からんのだわ。どーなっとるの?」


「あぁ…、そうでしょうね。長いこと使ってなかったから」


 彼女の返答は俺の範疇に収まっていた。その予期していた答えに、『長い』とはどれくらいの時間なのか、何故受け継がれていないのか、多々良場を使った製鉄はもう不可能なのか、その辺りを詳しく教えて欲しいと懇願した。


「最初に説明しなかったかしら、ここは時間の流れが違うって。まぁ被行者には実感出来ないから仕方ないのかも知れないけど…。分かりやすく言うと、私たちが感じる1年の長さはこの世界で60年を意味するわ」


 は…?何を言っているんだ、この女は。俺たちの1年がこの世界で60年…?って事は、俺たちの1年がこの世界では60年って事か…ッ!

 俺の頭は処理落ちした。


「もっと簡単に言うと、私たちの1日はヒトにとって60日と考えていいわ。だからと言って私たちにはあまり関係ない事だけどね。ミコトとヒトは時間を共有出来ないから」


「ちょっと待てよ!毎日の様に会うおっさんがおるんだけど、何?そのヒトにしたら60日に一回会っとるって事になるんかてぇ!?」


 そう考えると、来年の今頃にはシゲさんはもういない…。あんずに酒をくれるおっさんも…。ヒトとの交流を深めると、別れを迎える度に心に負担をかけてしまうかも知れない。

 死別とは、俺の精神を大きく揺さぶるトラウマだった。それは俺に身寄りが無い事実に起因する。心の平穏を保つ為には、ヒトとは距離を置いた方がいい。そう思った。


「で、多々良場の事なんだけど、私の記憶では最後に使ったのは数年前なのよねぇ。だから街のヒトは誰も知らなくて当然なのよ。でも安心して、ちゃんと使い方はウチの神社に記録が残ってるから」


 そう言って美奈は一度社へ姿を消した。その記録とやらを取りに行ったのだろう。

 彼女が戻って来るまでの間、先ほどの時間の話が頭から離れずにいた俺は、無意識の内にあんずに疑問を投げかけていた。


「あんず…、俺と出会ってからどんなけ経った…?」


「んー、そうですねぇ。数日くらいじゃないですか?」


 もしやと思い聞いてみたものの、あんずが出した答えは俺の感覚と一致していた。そうか、あんずはヒトではない。時間経過の差異は彼女との間には生まれない事に安堵していると、美奈が巻物らしき物体を抱え社から戻って来た。


「これこれ。これ見れば多々良場はバッチリ動かせるはずよッ」


 差し出された巻物には、俺でも読める日本語で多々良場の使い方、製鉄の方法が図解説明付きで記載されていた。しかしそれを見る限り、大勢の人手が必要な様でとても一人で出来るものではなかった。

 まぁ、まだ何作るか決まってるわけじゃないし、追々考えればいいや。美奈から受け取った巻物をありがたくケツのポケットに突っ込み、新たな相談を彼女に持ちかけた。


「あとさぁ、カナビスがもう無くなってまいそうなんだわ。何とかならん?」


「こないだあげたので全部よぉ。だったらこれをウチに置いてった本人を訪ねたら?」


「おぉッ!ならほーするわ、その人ん所教えてちょー!」


 彼女の話では、『国枝くん』という被行者が海岸線を東に進んだ所に居を構えているらしい。その彼がカナビスを作った張本人だと言うのだ。俺のここでの生活を色鮮やかにしてくれているカナビスの生産者に会える事は、一抹の期待を俺の胸に抱かせた。

 またしても俺の助力になってくれた彼女に心からの礼を言い、教えてもらった国枝くんを訪ねる為にあんずと東の海岸線を目指した。


 その道中、美奈が口にした別れ際の言葉に、心を見透かされている様な気がしてたまらなくなった。


『今泉くん、多々良場を使って何しようが、何作ろうがあなたの自由だけど…、その為にはヒトが不可欠よ。ヒトから逃げない事ね』

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