デート9


それがどう言う意味なのか、理解できないような平和な人生を送りたかったものだ。

考える前に身体は動いていた。


このタイミングで萌からメッセージが届くと言うこと。

そして、その内容が、

『目の前のこの男から急いで距離を取れ。住所がバレない様に』

であること。


恵一はエレベーターへと走った。

ガチャガチャと音を立てながら、これでもかと『閉』のボタンを押す。


扉が閉まるのが、やたらとゆっくりに感じた。


「あっ」と言う形で口を開いた男が、おろおろとこちらに駆けてくる。


閉じきったとき、

ひし形に細かく線の入ったガラス窓の向こうに、ペタリっと男の手が触れた。


近い。

男の手のひらで視界が塞がれる。

親指の付け根から小指へと走る痛々しい傷跡があった。


エレベーターが作動するままに、男の姿は下へ下へと消えて行く。

あの後恵一は、萌の言う通りに動いた。










「あいつがどうかしたのか?」


あれっきり特に変わった事は起こらなかったはずだ。

どうして今更そんな話をするのか。


「明後日の深夜にそいつがまた来るんだ」


「は?!なんだって?」


「インターホンを押して」


「何で今頃来るんだよ」


「さあ」


「…………って、ん?お前、今『インターホン』って言ったか?」


「うん。

そいつだけど、インターホンを押してから階段の陰に隠れて、ピンポンダッシュみたいなことを繰り返して、兄さんが出て来るのを待ってるのが視える」


「え」


と、言うことはだ……


「家バレてんじゃないか! 何だそれ! 一ヶ月間、姿見せなかったのは、俺の部屋突き止めるのに一ヶ月かかっただけってこと?!」


「だから、これから兄さんの家に一緒に行きたいんだ。今夜の内に会社で必要なものとか、着替えとかまとめよう。で、家に来て」

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