81 春の珍事


 転移魔法......


 瞬時に離れた場所へ移動できるこの魔法は、ドラえもんのアイテムには及ばないものの、恐ろしく画期的な魔法だと言えるだろう。

 なにしろ、信号のない道路であっても、車での移動にはそれなりの時間が必要となる。だけど、この魔法さえあれば瞬時に移動できるからだ。

 ただ、倉敷さんの発動させた転移魔法で、板橋区にある帝京大学に辿り着いた僕は、いささか的外れな感想を抱いてしまった。

 というのも、僕達が辿り着いた場所は、その敷地にあるどの建物よりも高い場所だったからだ。


「ねえ、なんでヘリポートなの?」


 僕が抱いた素朴な疑問は、氷華や一凛にとっても同感だったらしい。


「まあ、眺めは良いのだけど、マーキングがヘリポートなのは気になるわね」


「なんとかとサルは高いところに登るってやつか?」


 氷華の疑問はまだしも、一凛の例えは、いくらなんでも空気が読めなさすぎると思う。

 案の定、倉敷さんから冷たい眼差しを向けられている。というか、思いっきりやり返されていた。


「一凛ちゃん、少しは口を慎みなさい。あなたの発言の方が、なんとか丸出しよ? サルじゃないんだから、もう少し空気を読みなさい」


「ふぐっ......」


 まあ、僕が言うのもあれだけど、どっちかというと、一凛の方が知能指数は低そうだよね。少なからず、倉敷さんの方が良識がありそうだもの。てか、それはいいとして、マーキングポイントが屋上じゃなきゃいけない理由でもあるのかな?


「ん? 屋上にマーキングした理由なら、唯花に聞いてよね。私の好みで決めた訳じゃないから」


 あれ? 好みで決めるんだ......


 いまだに不思議に感じていることを察したのか、倉敷さんが溜息交じりに視線を唯姉ゆいねえに向けた。

 その態度からすると、多分、転移魔法の制約とかの問題ではなさそうだ。


「う~ん、辿り着いた先が奴等よりも低い位置なのは嫌だもの。なんか見下されてるみたいでムカつくじゃない?」


 はぁ? そんな理由? そんな理由だけで、こんな場所にマーキングしたんだ......まあ、唯姉らしいといえば、らしいけど......それに到着地点がヘリポートなのは、雰囲気的にはおかしくないけど、全く利便性や制約には関係ないんだね......


 乙女モードの唯姉が、心底あほらしい理由を然も当然かのように告げてくるのだけど、誰もが呆れている様子だ。

 だって、仲間である倉敷さんと穂積さんまでもが、肩を竦めてる。


 はぁ~、まあ、それは良いんだけど......切迫した状況って、どうなってるのかな? 愛菜の話じゃかなり大規模な戦闘になってるみたいだけど......


 予め状況を聞かされてはいたのだけど、自分の目で確かめるために、僕はヘリポートの上を西側に向けて足を進める。

 そう、周囲を見回したところで、そちら側から煙が立ち上っているのが見えたからだ。


「うわっ! マジ? これは酷いわね」


「おいおい、これじゃ戦争じゃね~か」


 僕の後についてきた氷華と一凛が、ヘリポートから眼下の状況を目にして息を呑む。

 なにしろ、帝都大学のヘリポートから見下ろした景色は、まさに戦後の日本でも見ているかのような光景となっていたからだ。


 西側の景色は開拓が進んでいた所為か、ファンタジー化で発生した木々の姿はなかった。だけど、見渡す限りが瓦礫と化し、あちこちから火の手が上がり、黒々とした煙がもうもうと立ちのぼっている。

 そして、戦いの叫び声や悲痛な絶叫が、地上から遥か離れたここまで届いてくるのだ。


「お~っ、こりゃ、負け戦じゃないのか? あのクソガキ、ざま~ね~ぜ」


「ちょっと、唯花、なに毒づいてるのよ」


「ほんと、他人事なんだから! 今は仲間なのよ」


 色々と思うところがあるのだろう。燃え盛る瓦礫の景色を眺めながら唯姉が罵声をあげた。

 その隣では、倉敷さんと穂積さんが冷たい眼差しを向けている。


 そんな時だった。ヘリポートの南東側から叫び声が聞こえてきた。


「遅いよ! なにやってたのさ! もう大ピンチなんだよ! どうしてくれるのさ」


 ありゃりゃ、眞銅しんどう君、めっちゃ怒ってるし......


 二人の女性と共に現れた眞銅君が、今にも泣きそうな顔で喚き散らす。

 まあ、この状況だと、彼がご立腹なのも理解できる。

 ただ、その責任転換とも呼べそうな物言いに、少しだけカチンとくるのも事実だ。


 眞銅君って、思ったよりも小者臭がするね。だいたい、自業自得だと思うんだけど......


「うっせ! 一度は断った癖しやがって、都合のいいこと言ってんじゃね~ぞ、このクソガキ! どうもこうも、全部、お前の実から出た錆だろうが! ギャアギャア騒ぐなら帰るぞ!」


 あまりの物言いに誰もが顔を顰めている。というか、唯姉は容赦なく責任追及を始めた。

 すると、半べそとなった彼は、言い返す言葉すら思いつかなかったのか、すぐさま僕に泣きついてきた。


「う、うぐっ......てか、く、黒鵜君、助けてよ。このままじゃ、みんな狩られちゃうよ」


「まあ、そのつもりで来たんだけど、その前に、これにサインしてもらえるかな? 申し訳ないけど、うちの参謀長がサイン無くして助けるなって言ってるんだよ」


「参謀長? って、九重さん? うぐっ......あの人も鬼だね。うん、サインするよ。すぐするから。どれ、どれにすればいいの! 急いでよ」


 眞銅君は顔を歪めつつも、コクコクと何度も頷き、書類を出せと急かしてくる。


 この状況でサインしろというのも悪魔の所業だけど、九重さんって、こういうところはきっちりしてるんだよね......確かに、鬼だわ......


「萌、書面とペン」


「はいは~い!」


 結局、眞銅君は差し出された書類の中身を真面に確かめることなく、鬼が作成した悪魔の手形に己が名前を記し、僕等の連合国に加わったのだった。










 既に五月になろうという時期であり、暖かな日が続いている。いや、暖かいと言うと、少しばかり語弊があるかもしれない。

 だって、春と言えども、日中は完全に真夏日和となっているからだ。

 そう、今日も暖かいと言うよりも、暑いと表現するに相応しい日和だった。


 そんな真夏日和の陽を浴びている眞銅君は、暑さのためか、はたまた別の理由か、僕には察することが出来ないのだけど、額にびっしりと汗を浮かばせ、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


 まあ、普通の人なら驚くよね。でも、それよりも......


「眞銅君、驚いてないで撤退命令を出して欲しいんだけど」


「あっ、そ、そうだった。直ぐに撤退だ! 至急、全員に連絡を入れて」


「はい。了解しました」


 燦々と照らす日光を邪魔だと言わんばかりに、猛然と吹き荒れる雪......いや、吹雪に度肝を抜かれていた眞銅君が、直ぐに部下の女性に指示を送る。

 命を帯びた女性も慄いていたものの、彼からの指示を受けると、正気を取り戻してヘリポートから姿を消す。


 うへ~っ、あの走りっぷりからすると、只者じゃなさそうだね。


 その女性の移動速度を目にして、僕は思わず感嘆してしまう。

 ただ、いつまでも呑気にしてはいられない。

 せっかく、敵の隙を誘うために、春の吹雪を作り出したのだ。

 敵が度肝を抜かれている間に、味方の撤退を済ませないと意味がない。


 ああ、もちろん、春の珍事を作り出したのは、氷結の魔女こと氷華であり、その鼻高々な表情は、まさにピノキオ状態だ。

 だけど、大袈裟に張られた胸の方は、唯姉の半分にも満たないのが残念だ。


「じゃ、僕等は行くよ。唯姉、愛菜と萌をお願いね。あと、逃げてくる味方の援護を――」


「うん、分かってるよ。思いっきり暴れておいで」


 気を取り直した僕が後事を託すと、唯姉は笑顔で頷いてくれる。

 ただ、乙女モードの唯姉に違和感を抱いたのだろう。眞銅君は、虎の尾ならぬ、狂犬の尾を踏む。


「はぁ? なにそれ、狂犬、なんか変なもんでも食べたの? 気持ち悪いよ?」


 あっ、ヤバいって! 口は災いのもとって言うでしょ!?


 案の定、一瞬にしてんなの子モードに突入した唯姉の怒りを買うことになる。


「うるせっ! このクソガキ! 黙ってないとその舌を引っこ抜くぞ!」


「あうっ! な、なにするんだよ! それは、舌じゃなくて、アイアンクローじゃんか! いててててて! いたいよ~~~~!」


「黙れ! 握りつぶすぞ!」


「あうっ! ギブ! ギブッ! もう言いません! いたい! 放して! ごめんなさい! お願いします」


 あ~あ......言わんこっちゃない。これで学習してくれるといいんだけど......それよりも......


 危機感の足らない眞銅君に呆れつつも、僕は視線を氷華と一凛に移す。


「じゃ、大丈夫だとは思うけど、二人とも無理はしないようにね」


「あら、誰に言ってるの!? 私を誰だと思ってるのかしら。愚問よ! ぐ・も・ん」


「くくくっ、なにしろ、氷結の魔女で、氷の女王だからな」


 一応、彼女達に注意を喚起するのだけど、氷華が自慢げに胸を張ると、一凛が即座に揶揄い始める。


 ちょっ、こんな状況で揉め事なんて止めてよね。


「い、一凛のバカ! ふんっ! フェアリーモード!」


 僕の心の声が聞こえたとも思えないのだけど、氷華は不貞腐れつつも妖精力を発動させる。

 ただ、その音声コマンドは止めて欲しい。正直いって、他人の振りをしたくなるからね。


 その気持ちは、一凛も同じだったようで、すぐさま氷華にクレームを入れる。


「だから、それを口にするなって! 恥ずかしいだろうが! ほんと、厨二は......まあいいや、うちも変身するか、戦闘形態! ぐおおおおおお!」


 いやいや、一凛、戦闘形態も十分に赤面ものだよ。それに、その唸り声は、もしかしてスーパーサイヤ人なの? まあ、イエーーーーィよりはいいけど......はぁ、僕、恥ずかしくて堪らないんだけど、どうすればいいのさ。


 着物ドレス姿の氷華とビキニアーマー姿の一凛をチラリと横目にしつつ、僕はどこかに穴がないかと探してみる。

 もちろん、彼女達の服にではなく、僕が入り込むための穴だ。

 だって、みんなが、「何とかしろよ!」と言わんばかりの半眼を向けてくるからだ。というか、お前は違うよな? と責められているような気がしなくもない。

 ただ、眞銅君にとっては違ったらしい。


「素晴らしい! ビューティフルだよ! フラボーだよ! 最高にデリシャスだよ! 完璧だね!」


 ちょっ、眞銅君、きみ、どこの人なのさ......デリシャスって、間違っても食べないでよね。一応、僕の彼女なんだから、そんなキラキラした目で見ないでよ......触ったら燃やすからね?


 まあ、僕としても彼女達の服装は、二人きりなら悪くないと思うけど、人目があるところでは勘弁して欲しい。

 だって、大抵の人は、春の吹雪よりも驚くはずだからね。ほんと、珍事だよ。珍事。


「とにかく、行くよ! 時間がないんだからね」


「分かってるわよ」


「じゃ、いっちょ、暴れてくるか!」


 光り輝きながらも透き通る翼を羽ばたかせて、氷華と一凛が宙に舞い上がる。


「まじ!? それで飛ぶの? やばっ! カメラを持ってくるんだった」


 こらこらこら、なに勝手に撮影会をおっぱじめようとしてんのさ。僕の許可を得てからにしてね。てか、今度、僕も撮らしてもらおうかな~。いや、きっと、写すよりも脱がす方がドキドキするよね......


 興奮冷めやらない眞銅君に冷たい眼差しを向けながらも、僕は宙を蹴って雪が吹き荒れる大空へと舞い上がるのだけど、少しばかり邪な心が芽生え始めるのだった。









 猛然と降り注ぐ吹雪の中、僕は少しばかり後悔していた。


 しくじった......もう少し厚着でくるんだった......マジで寒いんだけど......


 魔法とはいえ、本当の吹雪に曝されて、一気に体温を持っていかれた。

 このやられ具合は、カ○リーメイトを食べた所為で、口の中の水分を一気にも持っていかれる状況に、酷く似ているように思う。


 でも、ここは我慢するしかないよね。だって、敵の気を引き付けないと、とても撤退できそうな状況じゃないし......


 そう、吹雪の魔法を発動させた理由は簡単だ。

 既に、敵と味方は混戦状態であり、助け出そうにも誰が敵かすら分からないからだ。

 だから、味方に逃げろと連絡し、敵が呆気に取られている間に撤退させる作戦なのだ。


 それはそうと、一凛の奴、間違って味方をぶん殴らなきゃいいけど......


 酷く不安を覚えた僕は、猛烈な吹雪で視界の利かない状況であるにも拘わらず、的確に一凛の行動を追う。

 なんてったって、縦割れの瞳が持つ能力は桁違いなのだ。

 吹き荒れる雪に遮られることなく、いつものように視界が利くのだ。


 ほんと、この目は凄いよね。我ながら感心しちゃうな。


 一凛の行動を追いながらも、自分の瞳の能力に感動する。

 だけど、そんな感情は一気に吹き飛ぶ。


「おらおらおら! 北板はさっさと逃げろ! 食らえ! ブラックスマッシュ!」


 ちょーーーーーー! 一凛、それはあんまりだよ! 味方に当たったらどうするのさ!


 何を血迷ったのか、彼女は一言だけ警告すると、地面に降りた途端に両手を振った。

 それは少しボクシングのワンツーのように見えるのだけど、あからさまに異なる攻撃だ。

 なにしろ、彼女の振った両腕は空を切り、誰にも届くことはない。だけど、彼女の拳から放たれた直径一メートルサイズの黒球が、銃を持った男達に襲い掛かったからだ。


「うわっ!」


「す、吸い込まれる!」


「た、助けてくれ~」


「ひぃーーーーー!」


 銃を持った男達は、まるでブラックホールに吸い込まれるかの如く、一凛がぶち込んだ黒い球体の中に消えていく。

 それを目の当たりにして、さすがに黙ってはいられない。


「ちょ、一凛、やり過ぎだよ。それって、味方にも被害が出るんじゃないの?」


「大丈夫だ。吸い込まれたからって死んだりしないからな。おらおらおら! 食らえ!」


 ブラックスマッシュの叫びにツッコミを入れる余裕すらなく、焦りを感じて一凛にクレームを入れるのだけど、彼女は顔色ひとつ変えることなく続けざまに攻撃を放つ。


 はぁ~、もう無茶苦茶だ......


 あまりの暴挙に思わず溜息を吐いていると、彼女は片方の眉を吊り上げながら視線を他へと向けた。


「黒鵜、うちよりも女王様を気にした方がいいんじゃないか? 向こうはもっと凄いことになってるみたいだぞ」


 一凛に促されて視線を向ける。そして、僕は凍り付く。いや、視線の先では何もかもが凍り付いていた。


「うそ~ん! マジなの? 本気で殲滅するつもりなの?」


「まあ、やつは考えなしだからな」


 一凛から考えなしの称号をもらうとか、氷華、君はどんだけなのさ!


 いつもなら人のことは言えないと、一凛にツッコミを入れるところだ。だけど、さすがに白銀の世界を目にしてしまうと、ツッコミを入れる余裕すらなくなる。


「一凛、頼むから程々にしてあげてね」


「ああ、分かってるさ。うちは女王様とは違うからな。くくくっ」


 結局、一凛の嫌らしい笑いにツッコミを入れる暇もなく、僕は氷華のもとへと、文字通り飛んで行くのだった。

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