79 良案は口に苦し


 学長室に置かれた革張りのソファーは、かなり高価な物らしく、とても座り心地が良かった。

 ただ、それに座る僕の気分は、依然としてモヤモヤとしたままだ。

 なにしろ、マンティコアの親玉を倒したまではよかったのだけど、突如として現れたクマのヌイグルミがイケてなかったからだ。というか、イレギュラー過ぎだと思う。

 だって、倒したはずの親玉を復活させてしまったのだ。

 それこそ、出来上がった卵焼きがニワトリになって逃げて行ったくらいの残念さだと思う。

 まあ、それでも、再戦を申し込まれなかったことだけは救いだろう。

 あの状況だと、さすがに僕のマナがヤバい状態だったからだ。


「それにしても、あのヌイグルミって何者かしら。マンティコアの親玉も大人しく頭に乗せてたし......」


 だよね。氷華の言う通りだ。僕もそれが気になって仕方ないんだよ。


「しらね~。てか、あの熊太郎の野郎、せっかく親玉を黒鵜が倒したのに......」


 一凛......熊太郎の野郎って......雌かもしれないよ? てか、僕にとっては君のネーミングセンスの方が残念かも......


「いや、一番の問題は、奴が逃げたということだ」


 そうだね、眞知田さんの懸念は当然だと思う。だって、逃げたとなると、また来る可能性があるもんね。


「というか、それ以前に、黒鵜くん達の攻撃力は異常よ。完全に俺TUEEEモードじゃない」


「だよね。あれじゃ、私達がいくら頑張っても、歯が立つわけないわ。殆ど最終兵器よ。最終兵器!」


 倉敷さん、まあ確かに僕TUEEEなんて喜んだ時期もあったけど......というか、穂積さん、最終兵器って......それも、二回も言ったよね? いや、僕としては無駄な対戦が無くなって良かったんだけどさ。


「ちっ......」


「はぁ? いま、舌打ちしたわよね?」


「うるせっ! ジャリ!」


「ジャリ......これは、乳牛を懲らしめる必要がありそうね」


「ちょっ、ちょっ、ちょっ~、眞知田さん、氷華、もう止めてよ! そんなことをしても無駄だよね?」


 安堵する僕を他所に、眞知田さんの舌打ちが放たれると、氷華が眦を吊り上げて食って掛かる。

 どうやら、氷華と眞知田さんの相性は、かなり悪いみたいだ。

 なんとか、宥めすかせてその場を収めるのだけど、この調子だといつ戦いになるやら......


 もう、勘弁してよね......


 ああ、現在の僕等だけど、片付けもそこそこに、学長室で休憩させてもらっている。

 というのも、片付けを手伝うと申し出たのだけど、誰もが恐れ多いと首を横に振ったのだ。

 そんな彼等彼女等の怯えるような視線が辛く、僕等は居場所を学長室に移して休憩することになった。

 そして、今は怪我人の治癒をしている愛菜達を待っているところだ。


「すみません。お待たせしました」


「はぁ~、疲れた......」


「疲れたって......萌さんは何もしてないよね?」


「何言ってるの。ちゃんと水道を使えるようにしたでしょ?」


 ノックの音に反応した眞知田さんが、入室の許可を出すと、愛菜、萌、和理、三人が入ってきた。

 ただ、愛菜は遅れたことを申し訳ないと感じているのか、謝罪の言葉を口にしながら頭を下げてきた。

 その後ろから入ってきた萌は、とてもお疲れの様子なのだけど、見事に和理に突っ込まれている。

 でも、どうやら、彼女はご都合主義魔法を発動させたみたいだ。だけど、氷華はそれが気に入らなかったみたいで、顔を顰めている。


 氷華って、思ったよりも策士というか、細かいことに拘るよね......いや、まあそれはいいや......


「気にしなくていいよ。それよりも、みんな、ご苦労様」


「いえ、ありがとうございます」


 労いの言葉をかけると、愛菜は直ぐに嬉しそうに笑顔を見せたのだけど、どこかいつもと雰囲気が違うように思う。


「何かあったの? 元気がないみたいだけど」


「いえ、特に、何があった訳では――」


「ああ、愛菜はみんなから聖女だと拝まれっぱなしだったんだよ」


 少し陰りを見せる愛菜に声をかけると、彼女は問題ないと首を左右に振る。しかし、萌が彼女に変わってその理由を教えてくれた。


 まあ、彼女の再生魔法を見れば、そうなるのも仕方ないよね。だって、いまやみつるとタメを張るほどだもんね。でも、やっぱり特別視されるのは辛いよね......


 炎獄と呼ばれて崇められがちな僕としては、彼女の心境が痛いほどわかる。

 実際、周りの人達に喜ばれるのは嬉しいのだけど、それも崇めるほどの感謝になると、どう反応してよいやら分からない。

 だって、魔法で異常な力を得たとはいえ、僕等はいまだ高校生程度の年齢なのだから、戸惑っても当然だと思う。


「大変だったね。愛菜、こっちで一緒にお茶でもしよう」


「はいっ!」


「むーーー! 愛菜だけ? あたしも頑張ったのに......」


「あうっ......ごめん。萌と和理も、こっちでお茶にしよう」


 愛菜を労うと、萌が対応の違いに不満を感じたみたいだ。頬を膨らませている。

 正直言って、悪気はないし、萌をないがしろにしている気もないんだけど、平等に対応するって難しいよね。

 そういう意味でも、僕はまだまだ未成熟なのかな? 大人の男なら、上手くできるのかな?


「ところで、マンティコアは殲滅できたんですか?」


 僕が自問自答していると、ソファーにちょこんと座った愛菜が尋ねてくる。

 ただ、その問いは、この場に沈黙をもたらす。


「えっ!? 倒したんじゃないの? だって、ダーリンが戦えばイチコロだよね?」


 沈んだ場の雰囲気に驚いたのか、萌が空気を読まずに......いや、読む以前に、どんよりとしたこの場の空気を斬り裂いた。

 逃がしてしまったのは僕なのだけど、なぜか誰もが沈痛な表情を見せた。

 やはり、今後のことを考えると、気分が沈んでくるのだろう。


「実を言うとね。こっぱマンティコアは排除したんだけど、親玉には逃げられたんだ」


「えっ!? 黒鵜さんが戦ったんですよね?」


 いつまでも沈黙を続けても仕方ないので、取り敢えず事実を伝える。

 すると、愛菜が驚きの声を漏らした。


 う~ん、そんなに驚くことかな~。僕の殲滅力って、思ったよりも期待度が高いんだね。いや、それは良いとして、話を進めるとしようか。


「そうなんだけどさ、想定外の敵が現れちゃって――」


 愛菜がその愛らしい瞳をぱちくりとさせているのを見て、自分への期待度について考えるのだけど、それを棚上げして、ヌイグルミ事件について説明する。


「ヌイグルミですか? それはまたファンタジーですね」


「実は、そいつが最強魔獣だったりして」


「というか、そのマンティコアの親玉が、素直に従うところが怖いですね」


 愛菜、萌、和理、戦闘を見ていない三人に、あの時のことを掻い摘んで教えてあげると、それぞれが驚きつつも感想を口にする。


 そうなんだよね。恐ろしくファンタジーで、自分の目が信じられなくなるほど奇怪で、呆れるほどに奇想天外で、気が抜けるほどにユーモラスな見た目だったんだよね。


「まずは、あの見た目だよな。どうみても生物には見えんし、めっちゃ愛嬌があったし、うちもあんなヌイグルミが欲しいぞ」


「見た目というか、どう見ても布素材にしか見えないのに、あの炎の中で燃えないのが不思議よね」


「いや、やっぱり脅威は、一瞬で奴を元通りにした力だろ」


 一凛、氷華、眞知田さん、三人が今更ながらに問題点をあげていく。

 まあ、一凛の発言に関しては、問題点と言うより感想や欲求になっている。てか、彼女にヌイグルミという組み合わせは、この中で一番似合わないような気がするんだけど、もちろん、そんなツッコミは入れられない。


「でも、あれが襲ってきたら、どうやって戦うの? 見た目は愛らしいけど、恐ろしく厄介な敵になりそうだわ」


 あの時のことを思い出したのか、倉敷さんが両腕で自分の身体を抱いて身震いする。


 そうなんだよね。あれが敵になった場合が最悪だ。

 だって、どれだけ倒しても、瞬時に回復させてしまうのだから、持久戦をやったらこっちが負けるに決まっている。それに、あの意外性を考えると、強力な攻撃力を持っていてもおかしくない。

 ただ、うだうだといつまでもヌイグルミについて議論をしていても始まらない。

 というのも、僕はもう一つの問題について気になっているからだ。


「ねえ、ヌイグルミについては、別途、対策を考えるとして、それよりも気になることがあるだ」


 僕が話を変えると、誰もが視線を向けてくる。

 全員が意識を向けてきたところで、僕はずっと疑問に感じていたことを口にするのだった。


「あのさ、あの時、誰が大学の敷地から攻撃したのかな?」









 恥ずかしながら、僕等は安全地帯の条件――安全地帯から攻撃したら敵が入ってこれるという事実について知らなかった。

 だけど、ここ葛飾王国では周知の事実だったはずだ。

 でも、マンティコアが安全地帯に入ってきた。ということは、誰かが攻撃したと考えられる。

 そこから導き出される答えは、誰かが意図して敵を招き入れたということだ。

 もちろん、他の可能性もあるのだけど、それは限りなく無に近い。いや、無いと断言できるだろう。

 だって、マンティコア向けた攻撃を見た者がいたからだ。


「ちくしょう! いったい誰だ。誰があたい達を嵌めやがったんだ。くそっ!」


 眞知田さんが毒づきながら、悔しそうに床を蹴る。


 散々と調査してみると、攻撃事態を目にした者は多々いたのだけど、残念なことに、敵を招き入れた犯人を見つけることは出来なかった。

 そうなると、少なからず謀略という言葉が浮かんでくる。

 おそらく、氷華もそう感じたのだろう。自分の意見を口にした。


「さすがに、マンティコアを連れてきたとは思えないけど、招き入れたことは事実よね。そうなると、ここには反乱分子、いえ、どこのかは分からないけど、敵対勢力の間者が紛れ込んでるんじゃない?」


 まあ、氷華の意見は尤もだけど、それを見つけ出すのは至難の業だね。それこそ、うそ発見器でもあれば別だけど......


「ねえ、唯花、どうする?」


 爪を噛みながら、ずっと考え込んでいる眞知田さんに、倉敷さんが不安そうな表情を向ける。

 だけど、眞知田さんには、なんら対策が思いつかないのだと思う。黙ったまま、首を左右に振っていた。


 間者か......まさかマンティコアを連れてきたとは思えないけど、獅子身中の虫となると、かなり厄介だね。

 さて、どうするべきか。というか、間者の目的ってなんなんだろう。間違っても暗殺じゃないよね。だって、もしそうなら、これまでに何かの行動を起こしていてもおかしくない。でも、眞知田さん達の反応を見る限りじゃ、そんな出来事があったようには見えないし......というか、僕ならどんな対策を執る?

 普段は味方に成りすましている間者。それを黙らせるのなら、普段からチームで活動をさせる。そうすれば、迂闊なことが出来なくなると思うけど、なんか疑心暗鬼になってくるな~。

 いっそ、放置したらどうなるだろうか。好き勝手にやらしても、魔獣が来ない限りは何もできないよね? 精々が情報を他所に漏らすくらい。情報なら何とか隠蔽できるし、大した被害じゃないような気がする。いや、そういうのって、九重さんに任すとか。そうだ。それがいい。


 色々と悩んだ結果、僕は一つの案に辿り着いた。というか、僕にとっては最高の案であり、これ以上の解決方法は見当たらない。


「ねえ、眞知田さん、やっぱり九重さんと組まない?」


「ん? どうして九重が出てくるの?」


 僕の提案を聞いた途端、考え込んでいた眞知田さんが、形の良い眉を吊り上げた。

 相変わらず僕に対してだけ乙女モードの彼女は、眉を吊り上げているものの怒っている訳ではないようだ。ただ、いかにも理解できないという表情を向けてきた。そう、マスカレードを装着していない現在は、その表情がありありと分かるのだ。


「潜んだゴキブリを退治するのって大変だよね。でも、それなりの道具やアイテムがあれば、それほど苦じゃないと思うんだ」


「くくくっ、あはははははは。九重はバルサンなの? あはははは」


 僕の例えに問題があったのか、眞知田さんは腹を抱えて笑い始める。

 さすがに、九重さんに申し訳ないと感じて、慌てて言葉を取り繕う。


「ごめん。今のはナシね。僕が言いたいのは、餅屋は餅屋だってことだよ」


「ああ、分かってるわ。ただ、なんでも煙に巻く奴に、バルサンはお似合いだわ。でも、それって同盟に参加しろってこと?」


 同盟か......同盟に関しては氷華の意見が尤だと思えるし、同盟はイマイチだよね。


 いまいち同盟に乗り気でない僕は、眞知田さんの問いに答えられなくなる。

 すると、氷華が話に割って入ってきた。


「なにッてるの。乳牛! もう結論は見えてるでしょ」


「ちっ、乳牛、乳牛、うるさいジャリだな。それって、自分にないからひがんでるようにしか聞こえんぞ。悔しかったら少しは大きくしてみろよ」


「うぐっ......」


 棘のある氷華の言葉に、眞知田さんは毒で返す。

 その辺りは、有る者の強みなのか、眞知田さんは勝ち誇ったかのようにニヤケている。というか、大きな胸を揺すっていた。

 当然ながら、返す言葉のない氷華は、揺れる胸を睨みつけながら押し黙るしかない。

 ただ、それで満足したのか、眞知田さんが僕に視線を向けてきた。


「まあ、ジャリの物言いはムカつくけど、どうやら言いたいことは間違ってないみたいね。分かったわ。与夢、あなたが王に成りなさい。私はあなたに仕えるわ」


「ええええええええええっ! ど、ど、どうして、そうなるのさ」


 予想だにしていなかった言葉に、僕は度肝を抜かれてしまう。

 だって、僕みたいな頼りない若造が、王なんて考えられない。というか、間違ってもやりたくない。


「何を驚いているのよ。そのために対戦してたんじゃない」


「そうだぜ。対戦も勝ったし、黒鵜の実力も理解したみたいだし、今更、乳牛も自分が王に成るなんて言わんだろ?」


 驚きと拒絶で凍り付く僕に、氷華と一凛が呆れた顔を向けてくる。

 だけど、そう簡単に聞き入れられない僕としては、必死に抵抗するしかない。


「そ、そんなこと言ったって......ぼ、僕には無理だからね。無理。無理だよ。だいたい、他の人が王になって、荒川自治区を引き取ってくれたら、お役目ごめんでのんびりできると思ってたのに......こんなのって、あんまりだ。というか、王なんて、絶対に無理だからね。やらないからね」


「心配しなくても大丈夫よ。ちゃんと私が手伝ってあげるからね」


「それは、それでちょっと心配かも」


「確かに、策士としては、氷華ちゃんや九重さんの方が向いてそうよね」


 僕が自分の意見を主張すると、眞知田さんが優しくフォローしてくれるのだけど、倉敷さんと穂積さんにとっては、不安要素でしかないみたいだ。

 おまけに、眞知田さんの発言が気に入らなかったのだろう。氷華と一凛が食って掛かる。


「乳牛は必要ないわ。私が居るもの」


「でかいのは乳だけにしろ! この牛!」


「なんだと! このコッパ!」


 結局、そのまま大喧嘩が勃発して、王様話はうやむやになるのだけど、今にも戦いになりそうな女性陣から被害を受けないように退避した僕は、これからのことを考えて憂鬱な気分に陥るのだった。

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