65 少女と獣
暗闇、それは人に恐怖を感じさせる。
これまでは、そう思っていたのだけど、なぜか今はとても心地よく感じる。
あれ? 僕は何をしてたんだっけ......ん~思い出せないや。でも、まあいいか。なんかとても気持ちいいし、このままゆっくりと眠っていたい。
自分がなにゆえこの暗い世界に居るのかも理解できないのに、僕はその心地よさに流されてしまう。
だって、まるで羽毛布団に入ってうたた寝してるような気分なんだもの。
しかし、そんな暗闇の中で誰かの声が聞こえてきた。
「んーーー! あっ、ま、間違えた......」
「ガウッ......」
どこかで聞いたことのあるような女性の声色と、やはり聞き覚えのある鳴き声が耳に届いた。
ただ、鳴き声の方は、幾分か呆れた色を奏でていた。
ん? この声、このセリフ、あの鳴き声、誰だっけ......
「ねえ、あなたは誰?」
うつらうつらする意識の中で、僕は女性に問いかける。
「うほっん! わ、私が誰かなんてどうでもいいのよ。それよりも、与夢、このままでいいの?」
「ん? このまま? うん。気分がいいし、このままでもいいかな?」
あまりの心地よさに、話しかけてくる者どころか、僕の名前を呼んだことすら気にならないし、このままが最高な気がしてくる。
しかし、その声の持ち主はそうではなかったようだ。
「いいの? 氷華ちゃんが、一凛ちゃんが、愛菜ちゃんが死んじゃうわよ?」
「ん? 氷華......だれだっけ? 一凛? 愛菜? あれれ? 思い出せない。てか、与夢って僕の名前? 変な名前......」
「これは拙いわ。かなり浸食されてるみたいね。ねえ、与夢、このままだと、あなたは消滅してしまうわよ?」
消滅? ん~、なんか、それも悪くない気がしてくる......
なにを言っているのかもよく理解できないのだけど、それよりも僕をそっとしておいて欲しいと感じてしまう。
だけど、声の主は焦りを感じさせる声色で、必死に説得しようとしているみたいだ。
「このままだと虚無になるわよ? 本当にそれでいいの?」
「虚無? まあ、このまま眠れるのなら、それでもいいかな~」
「なに老衰前の年寄りみたいなことを言ってるのよ。このままだとみんな死んじゃうんだからね」
「みんな死ぬ? ああ、み~~~んな死んだら平和だよね。誰も居なくなるんだから。人間なんて居ない方が世の中が平和だと思うよ?」
女性の声を聞いて、僕は自分が思ったことをそのまま口にする。
だって、人間は自然を壊すし、他の動物を自分たちの都合で追いやるし、人間なんて居ない方が世界のためだと思う。
まあ、だからと言って自分が死ぬ気にはなれないけど......あれ? 虚無って、死ぬのと同じじゃない? でも、それも悪くないかな。
「こりゃダメだわ......」
「ガウガウ」
「そ、そうね。それがいいわね」
その声の持ち主は、全てがどうでもいいと思いはじめた僕に呆れたみたいだ。
だけど、獣っぽい鳴き声が聞こえると、なにやら思いついたようだった。
「じゃ、これを見てから同じことを言ってもらうわよ。さあ、どうぞ。ふふふっ」
ん? これって、なに? なにが起こるのかな? 真っ暗だけど......えっ!? なにこれ!?
声の主が自信ありげにしているのだけど、彼女の笑いが消えた途端、真っ暗闇に何かの映像が映し出された。
そう、それは無数の弾丸に晒されて、今にも泣きだしそうな少女の姿だった。
「こ、これって! ま、な、愛菜!」
『黒鵜さん、起きてくださ~い。もう、限界です』
ボロボロになった障壁に隠れた愛菜が、必死に声を放っている。
『くっ、こりゃ、想定外だぞ。どうすんだ氷華!』
『どうするって......眠りなさい! だ、ダメだわ。みんな意識を集中してるせいね。全然、魔法が利かないわ』
『くそっ、こんなことになるとは......うちの魔法もこれ以上は無理だしな。できりゃ、みんなを異空間にぶち込んで逃げるのにさ』
『だめよ。黒鵜君を置いてなんていけないわ』
『うんなことは分かってるっての。黒鵜も当然ぶちこむさ。できればな......』
一凛と氷華は愛菜の側まで戻っていたのだけど、どうやら打つ手なしで困っているようだった。
というか、二人とも完全に顔が強張っている。
「氷華! 一凛! 王様達がいない......氷華の魔法で異空間に取り込んだのか......でも、全員を入れるのは無理みたいだね。くそっ」
その映像では、氷華、一凛、愛菜、輝人、快の五人しか映っていない。
彼女の言葉からして、間違いなく他の面子は異空間に保護されているのだろう。
ただ、その許容量も限界みたいだ。
『ここは、ボクと快が囮になるから、愛菜ちゃんはその間に――』
『それしかなさそうだな。よし、ちょっくらオレが暴れてくるか』
どうやら、輝人と快が覚悟を決めたようだ。でも、二人ともかなり顔が引き攣っている。
まあ、あの弾幕じゃ、誰でもそうなるよね。
だって、二人が出て行っても、あっという間にハチの巣にされるはずだ。
「くそっ、ダメだ。今出たら絶対に助からないよ。ちくしょう! どうすればここから......いや、今ここから抜け出しても、力が抜けて戦えない状態だし......」
穴だらけのチーズの如き障壁に隠れる仲間を目にして、僕は一気に正気を取り戻す。
ただ、今の僕では、ここを抜け出すこともできなければ、戻ったとしても戦うことすらできないだろう。
それが理解できるが故に、血が滴らんほどに唇を噛みしめる。
「どう? まだ、あのままでいいとかいうのかな?」
「ねえ、あなたは誰?」
勝ち誇るかのように、花咲くような声色が問いかけてくる。
本来の僕なら、恥ずかしくて赤面してしまうと思うのだけど、自分の愚かさよりも、声の持ち主のことの方が気になる。
「ふふふっ、な・い・しょ!」
「ガルル」
「ふぐっ」
楽しそうに告げてくるその女性に不満を感じるのだけど、それを口にする前に、彼女は僕の思いを読み取って話を切り出した。
「でも、ここから出してあげるわ。それと、ちょっとだけサービスしてあげる。だけど、今回限りよ」
「えっ!? なに? サービス? それって、もしかして......」
彼女の言葉が何を示すのか、なんとなく分かるような気がした。もちろん、邪なサービスではないはずだ。ただ、それを尋ねようとしたところで、僕の意識は再び混濁しはじめた。
あっ、でも......まって、葵香! えっ!? 葵香? 誰だっけ? あいか......あい......か......
再び薄れゆく意識の中で、僕は思わず懐かしく感じる名前を呼んでしまうのだけど、それが誰かだったか、全く思い出せない。そして、それを必死に思い出そうとしたところで、僕の意識はぷっつりと途切れるのだった。
意識が覚醒するにつれて、激しい音が鼓膜を叩く。
更には、愛菜の悲鳴が僕の耳に届いた。
「快さーーーーん! て、輝人さーーーーーーん!」
くっ、遅かったか......
直ぐに視線を巡らすと、片脚を吹き飛ばされた快が転がり、片腕となった輝人が膝を突いていた。
よくも......ゆるさない......絶対に許さない!
「お前等、ゆるさねーーーーーー! 消えろーーーーーーー!」
僕は元の世界に戻って来た瞬間に爆発した。そう、奴らを爆発させたのではなく、自分が爆発したのだ。
周囲はクレーター状にえぐれ、僕は自分自身が燃え上がっていることを感じていた。
「な、なぜ、なぜあの封印から逃げ出せるのですか!? 燃えている? 燃えているか!? くっ、やはり人間ではないのか......」
「うっさい! このくそババア! てかさ、ボロが出始めてるよ! いや、そんなことはどうでもいいや。地獄に落ちてよね」
烈火の如き怒りに燃え上がる僕は、自分が物理的に燃えていることなど気にもならない。
それどころか、燃える自分の腕を突き出して、驚きを露わにするトリニシャに罵声を浴びせかける。
すると、仲間の声が聞こえてきた。
「黒鵜君......よかっ――何やってたのよ! ち、ちっとも心配じゃないけど、こっちは困ってたのよ!」
「黒鵜、おっせ~ぞ! ツンデレが泣きそうじゃんか。まあいいや、お帰り! もちろん、戦えるんだよな?」
「黒鵜さん! 良かった! 本当に良かったです」
氷華が涙目で必死にクレームを入れてくる。
その横では、少しウンザリしたような表情を浮かべた一凛が、チラリと氷華に視線を向ける。だけど、直ぐにニヤリとした笑みを見せた。
あはは、二人とも素直じゃないよね。まあ、それはそれで持ち味なんだろうけどさ。少しは愛菜みたいに素直になって欲しいもんだね。
涙をぽろぽろと零し、嬉しそうに声をあげる愛菜に視線を向けながら、僕は素直じゃない二人に不満を抱く。
そんな僕に、鮮血を流す輝人と快が声をかけてくる。
「く、黒鵜君! 生きてたんだね......くっ、つ~~~」
「黒鵜、あ、あとは任せた! オレはちょっと動けそうにないわ」
二人は見るからに重傷だし、かなり痛むみたいだ。まあ、その気持ちは痛いほど分かるよ。
「ごめんね。無理させちゃって......愛菜! 急いで二人を治療してあげて」
「あっ、は、はい!」
輝人と快の治療をお願いすると、涙を零していた愛菜が元気に答えてくる。
ああ、もちろん、現在も敵の銃撃が雨のように降り注いでいる。
だけど、僕が手を振るたびに、弾丸は飴のように溶けて地に落ちる。
「さてと、ちょっとウザいよ。少し大人しくしててよ!」
僕が右手を振ると、次の瞬間には振動を肌で感じるほどの爆発が起こる。
「ああ、派手に飛んでるね。でも、特殊部隊でスカイダイビングの訓練もしてるよね」
宙を舞う特攻服の男達を見やりながら、僕は軽口を叩く。
まさに悪魔の所業だけど、今の僕にはどうでもいいことだ。
そう、完全に切れた僕は、奴らが、死のうが、消えようが、大怪我をしようが、泣き叫ぼうが、全く関係ないのだ。
だけど、生き残る事だけは絶対に許せない。
なにしろ、僕の仲間という以前に、未だ大人にすらなっていない若者を、大勢の男が寄ってたかって殺そうとしていたのだ。死んで詫びるのが当然だろう。
少なからず、今の僕にはそれが真っ当だと思えるのだ。
「さあ、断罪の時だよ! 自分の罪を悔い改めてよね。爆裂!」
再び轟音と共に地響きが起こる。
トリニシャは周囲の状況を目にして驚きを露わにしている。
僕としては、彼女が魔法の餌食になっていない方が不思議だ。
「ど、どうして、魔法が......」
いやいや、こっちの方が驚きだよ。なんであの爆発で無事なのかな?
「知らないよ。いや、多分、神様の思し召しなんじゃない? それにしても、なかなかしぶといね。でもこれで終わりだよ? さあ、自分の行いを悔い改めてよね。そう、地獄で。焦土!」
「くっ!」
僕は引導を渡すと、即座にボロボロになった屋敷を焦土の魔法で高熱地獄へと追いやる。
「ぐあっ! くそーーーー! ゆるさねーーーー! ぐああああああああああああ」
超巨大な火柱となった屋敷から、トリニシャが放った憤怒の声が聞こえてくる。
ただ、放たれる呻き声は、もはや女性とは思えなかった。
ほんとうは、男だったんじゃね? ニューハーフだったのか? まあ、これで終わりだし、どうでもいいか。
少しばかり疑問を感じたのだけど、これで終わりだと思うと、どうでも良くなった。
そんなところに、氷華の声が聞こえてきた。
「どうしたのよ。力が完全に戻ってるじゃない。オマケに一人で燃え上がってるし」
「ん? あれ? なんでだろ。なんか頭にきてたから、全然気にならなかったんだよね」
首を傾げつつ、彼女に返事をすると、今度は一凛が声をかけてきた。
「てかさ、黒鵜、お前、熱くね~の」
「ん? なんのこと?」
そう、僕は頭に来ていた所為で、自分が物理的に燃えていることすらどうでも良くなっていたのだ。ただ、戦いが終わった今は、自分の状態に驚かされる。
「うわっ! あつっ! って......熱くないや」
「だって、炎に包まれてるけど、黒鵜君自体が燃えてないんだから、熱いわけないじゃない。あつっ! はぁ? めっちゃ、熱いじゃない! バカじゃないの? 私を殺す気?」
僕にとっては熱くないと告げると、ぶつくさとウンチクを垂れながら近寄って来た氷華が、あまりの熱さに飛び退きながら罵り声をあげた。
ちょ、ちょ、ちょ~、自分で勝手に近づいてきたんだよね? 僕に文句を言うのは筋違いだよ。
罵声を浴びせかけてくる氷華に不満を感じるのだけど、それに割り込むように一凛が泣きを入れた。
「もう無理! ギブ! 後は頼んだ」
そう叫んだ途端、黒い球が現れたかと思うと、そこから優里奈、夏乃子、ゼロファス、カルファロ、セルロアの五人が出てきた。
「あれ? もう終わったの? ごめんね。捕まっちゃって――輝人! だ、大丈夫!?」
キョロキョロと周囲を見回した優里奈が頭を下げてくる。しかし、大怪我を負った輝人の姿を見た途端に、焦って駆け出したかと思うと、愛菜に代わって自分が治療を始めた。
それに続くかのように、夏乃子が治療を受けている快に向かって叫ぶ。
「か、快! なんてひどい怪我」
「おっ、夏乃子、正気に戻ったのか?」
「あう......ごめん......ごめんなさい」
「いや、戻ったのならそれでいい」
顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろと涙をこぼし始めた夏乃子に、快は優しく頷いてみせた。
うはっ、快さんって思ったより優しいんだね......
いつも口の悪い姿ばかり見ていたので、彼のはにかむ姿は、僕にとってとても新鮮に思えた。
しかし、その時だった。
「ζυδερμ――」
燃え盛る炎の中から意味不明な言葉が聞こえてくる。
そう、精霊である氷華や一凛がいるのに、全く意味の分からない言葉なのだ。
その声に振り向いた途端、今度は後ろから声が放たれた。
「やめろ! 夏乃子!」
その声が聞こえた次の瞬間、僕の頭に衝撃が加わる。そして、僕は再び闇の世界へと戻ってしまうのだった。
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