56 奥の手


 気が付けば、いつのまにか昼も過ぎて、少しばかり陽が傾いたように感じる。

 しかし、気候的にそれほど暑くない地方なのか、肌を焼くような熱を感じることはない。

 ただ、激しい戦闘で身体の熱が上がっていく。それなのに、背筋には冷たい感覚が走る。


 くっ、これが勇者の本気なのか......これじゃ、掠っただけでもタダじゃすまないよね......


 小柄な僕どころか、相撲取りでも真っ二つにできそうな大剣が、袈裟切りに振り下ろされる。

 その攻撃で生み出される風切り音を耳にしただけでも、生半可な威力でないことは容易に理解できる。

 何度となく繰り出されたその攻撃を、僕は避けるのがやっとだった。

 というのも、僕の持つ細い日本刀では、あの大剣の攻撃を到底受けきれないからだ。


「どうしたの? ボクを殺すんじゃなかったのかな?」


 こちらは避けるだけでも息も絶え絶えという状況なのに、輝人は大剣を自由自在に操りつつも、まるで準備運動だと言わんばかりに涼しげな様子を見せている。


「ちょっと、病み上がりでして......てか、弱いも苛めはダメだって教わりませんでしたっけ? 苛めは社会の悪だよ?」


 いまだ左肩が完全に癒えていない僕は、痛むせいで肩を竦めることもできずに負け惜しみを口にする。

 なにしろ、そもそも少ないマナも絶対的にピンチな状況なのだ。


 今更だけど、僕の異常治癒能力はマナを消費する。

 ただでさえ、ここにきて戦闘を繰り返しているのに、マナが持つはずもない。

 お陰で僕の脳内マナゲージは、ゼロまであと一目盛のところを指している。

 ちなみに、脳内マナゲージは円状に見えていて、時計に見立てると、六時方向がゼロで、満タンは五時方向だ。そして現在の針が指し示しているのは、ゼロから一目盛であり、それは時計の七の位置ではなく、一分を意味する一目盛だ。そう、時計で言うなら長針が三十一分を指している状態なのだ。


 因みに、現在の僕のマナは、通常でも七の位置まで届いていない。

 なんとも悲しく寂しいマナゲージなので、普段はあまり思い浮かべないようにしている。


 そんな僕に向けて輝人は、ニコリとした笑顔を向けてくる。その可愛らしさは、年下好みの女性が見れば、間違いなく食いついて放さないだろう。


「何をいってるのかな? ボクには分かるんだ。そう、感じるんだよ。君の桁違いの強さを。この大剣がヤバイヤバイって伝えてくるんだ」


「へ~、もしかしてインテリジェンスソードっていうやつかな?」


 唸りをあげて振り下ろされる大剣を避けながらも、僕は興味を惹かれて思わず問いかけてしまう。

 輝人は何がツボにはまったのか、楽しそうな様子で大剣を横なぎにする。


「あはは。やはりその言葉を知ってるってことは、日本人、いや、オタク系かな? 正直、ボクはアニメやラノベが好きでさ、こういう世界に憧れていたんだよね」


 なるのど、どうやら輝人は僕の同類みたいだ。いや、違う。僕は何をしてもハマり切れないし、どれも齧った程度でしかない。


「僕はオタクというほど精通してませんよ。なんでも中途半端なただの空想男です」


「ボクも似たようなものさ。こんな状況じゃなかったら、きっと友達になれたんだろうけど......今なら優しく倒してあげるから、さっさと負けてくれないかな?」


 身体強化の魔法を駆使して、輝人の痛烈な一撃を避けつつも肩を竦めてみせる。痛みを感じないところをみると、どうやら左肩の傷は治ったみたいだ。


「いえ、僕も色々あってそういう訳にもいかないんです。申し訳ありませんが、そろそろ本気でいきます」


「そうか......それなら、ボクも本気でやることにするよ。雷迅!」


 ちょ、ちょ~、それで本気じゃなかったの? マジ!?


 ハッタリをかましてみたのだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。

 僕の言葉を聞いた輝人がワードを口にすると、彼の身体が一気に加速した。


 くっ......マジなのか。この状況で速さでも追いつかれたら、僕に勝ち目なんてないじゃん......


 一気に迫りくる輝人から逃げるように回り込むのだけど、すぐさま追いつかれてしまう。


「いくよ! 今度は当たると死ぬからね」


「こないで! 殺さないで! 勘弁してよ!」


 大剣を肩に担いだ輝人が少しばかり真面目な表情で忠告してくるのだけど、僕としては願い下げとしか言いようがない。

 なにしろ、これまでは速さが勝っていたからこそ何とかなっていたのに、速さまで互角になってしまっては、どう足掻いても太刀打ちできないからだ。


 くっ、どうする......このままじゃ......うぐっ......


 輝人が放った横なぎの一撃を紙一重で避けたものの、その衝撃破で胸が切り裂かれる。

 人族軍兵士の血で赤黒く染まっていた僕のパーカーが切り裂かれ、今度は己が血で赤く染まっていく。


「黒鵜君! 絶対に許さないわ!」


「黒鵜! この野郎! 張っ倒す!」


 鮮血を撒き散らす僕の姿を目にした氷華と一凛が、悲痛な叫びをあげたかと思うと、直ぐに罵声を張り上げた。

 しかし、見た目ほど傷が深くないと感じた僕は、二人のことではなく、この状況を打開する策を考えることに思考を向ける。


 まずい、まずい、まずい......あの強力な攻撃を躱しきれない......どうする。真面に受けたら刀も粉々になっちゃうよ......


 絶対絶命のピンチに、僕は焦りを募らせていく。そんな末期状態の僕の耳に愛菜の声が届く。


「黒鵜さん、おじいちゃんの言葉を思い出してください」


 顔を青くした愛菜が、まるで祈りを捧げるかのように両手を胸の前で固く握りしめたまま、必死に逃げ惑う僕に潤んだ瞳を向けている。


 氷川の爺ちゃん......たしか――


「黒鵜君が持っていた剛の力は鳴りを潜めた。しかしじゃ、だからと言って悲観することはない。君は柔の力を身につけることができるはずじゃ。剛を知っているからこそ、柔の力の使い方も分かるはずじゃ。なにしろ、君には類い稀な瞳があるのじゃ。それは愛菜をも超える眼だと言えるじゃろう。力を失った今こそ、更に強くなるためのチャンスじゃ。故に、落ち込むことは何もない。己が力を信じるのじゃ」


 ――だったっけ......


 柔ね......確か、柳になれって言ってたかな? こうなったら、試してみるしかないか......


 僕はイチかバチかで柔の技を試みてみる。

 一応は氷川の爺ちゃんから幾つかの手ほどきを受けているので、全く初めての試みではないのだけど、こんな強敵相手に実践するのは少しばかり度胸が必要だ。

 それでも、このままでは完全に詰んでしまうのだ。だから、自分自身に言い聞かせる。


 僕がやられたら、愛菜や魔族が奴らの慰み者になるぞ......いいのか、与夢! 奴らに蹂躙されるんだぞ! いいわけないよね......よし、絶対に勝つぞ。


 悲惨な未来を想像しつつ、自分に負けたら終わりだと言い聞かせた僕は、振り下ろされる大剣を躱しつつ、その剣の腹に刀を叩きこむ。

 その力ない一撃で、僕自身は反動で距離を取る。しかし、輝人の大剣は軌道が逸れて地面を破裂させていた。

 それは、これまでにないチャンスだった。

 強烈な一撃で地面を裂き、土砂を巻き上げるほどに破裂させた輝人は、いまだ態勢が整っていないのだ。

 それに引き換え、僕は反動を利用することで難なく彼の背後へと回り込んだのだ。


「やばっ! しくじった」


 素早く回り込んだ僕が、隙のできた輝人に襲い掛かると、彼は顔を引き攣らせる。

 その表情は、誰が見ても大ピンチだと感じるほどに、切迫した状況を露わにしていた。

 しかし、だからといって、僕は手を抜いたりはしない。


「遅いですよ」


「あっ、輝人! だめ! やめて!」


 がら空きの背後に刀の一撃を振り下ろそうとした時、僕の耳に優里奈ゆりなの悲痛な声が入った。しかし、このチャンスを逃す手はない。


「悪いね。これも勝負なんだよ」


 僕は聞こえないだろうと思いつつも、謝罪の言葉を口にしながら刀を振り下ろす。

 ところが、その途端に輝人の口が、ニヤリと吊り上がった。


「金剛!」


「なっ! だ、騙された!」


 輝人を切り裂くはずだった僕の攻撃が、固い音を立てて跳ね返される。

 どうやら、『金剛』とは身体を硬化するためのワードであり、初めから隙を作って僕を誘い込む作戦だったのだろう。

 大剣から手を離した輝人が、もの凄い速度で僕の懐へと飛び込んでくる。


「じゃ、これを食らって貰おうかな」


 初めから、これが狙いだったのか......


 微笑む輝人が右腕を振りぬいた途端に、僕の腹に強烈な衝撃が加わる。その異常な力は、僕を成す術もなく錐揉み状態で吹き飛ばすのだった。









 木々が砕ける音が響き渡るのと同時に、骨が折れる音が聞こえてきたように思う。

 というか、力の入らない腕や足のことを考えると、折れているのは気のせいではないようだ。

 おまけに内臓までやられているようで、僕は苦痛と共に鮮血を吐き出す羽目になった。


「ごふっ......これは致命的かも......どうしよう。戦おうにも身体が動かない」


 苦痛に呻きつつも、動かない身体を確認して絶望的な気分になる。

 というのも、ただでさえ自分を上回る力を持っている相手に、こんな状態で戦えるはずがないのだ。


「ダメだ。弱気になるな。何か方法があるはずだ。これまでだって......」


 これまでのピンチを思い出したのが失敗だった。だって、これまでのピンチは、いつだって強引な魔法で片付けてきたのだ。ここまで追い込まれたのは、巨竜と戦った時以来だ。いや、敵がそこまで迫っていることを考えると、あの時よりも質が悪いと思える。


 くそっ、このままじゃ、でも......なにか方法はないのか......やっぱり、僕は誰も守れないダメな男なのか......


 悪夢とも呼べそうな未来を想像し、僕は自分の弱さに歯噛みする。

 そんな時だった。パーカーの横にあるファスナー付きのポケットから、黒く怪しい形をした瓶が転がり落ち、ヒンヤリとした固い音を響かせた。

 どうやら、壁をぶち破った時にパーカーがズタズタになったみたいだ。

 だけど、僕はパーカーのことよりも黒い瓶を見て、イリルーアと宝物庫へ行った時のことを思い出す。


「あちゃ~、忘れてた......僕ってバカだね......でも、これを飲んだら死ぬかもって言ってたような気が......」


 そう。宝物庫で役に立つものを探した時に、愛菜は杖を手に取り、僕はこれを貰ったのだ。

 でも、この黒い瓶に入った液体の説明を聞いた時に、飲むと死ぬ可能性があると聞かされた。

 それでも、マナが大きく回復する秘薬だと聞いて、僕は覚悟を決めて手にしたのだ。そして、その時のことを思いっきり忘れていた。これこそが奥の手であることも。


「すでに手遅れかもしれないけど......このまま何もできないよりはいいよね。くっ、つっ......」


 痛む右腕を何とか動かして黒い瓶を拾う。

 急いでガラス細工の蓋を開けようとするのだけど、左腕が折れていて言うことを聞いてくれない。


「この状況で、これが役に立つとも思えないけど......うんごっ!」


 不安な気持ちを押し殺しながら、僕は瓶の蓋に食らいつくと、右手を強く握りしめて思いっきり引き抜いた。

 瓶の蓋が上手く抜けたのは良いのだけど、その途端に瓶の口から怪しい煙が漏れ出し、吐き気をもよおす臭いが立ち込める。


「ちょ、ちょ~、臭いだけでも死にそうなんだけど、マジでこれ飲めるの? 絶対に飲み物じゃない気がしてきた」


 臭いを嗅いだだけで、絶体絶命というか、死への階段を登るような気になってくる。

 しかし、ここで止めるわけにもいかないのだ。なにしろ、負ければ愛菜達がどんな目に遭うか......


「ちくしょう! ふんぐっ......ぐふっ、ごふっ......ぐげぇ~~~~~~~。うううううぐぐぐぐぐぐっ」


 覚悟を決めて飲み干したのだけど、あまりの不味さに吐き出しそうになる。というか、直ぐに全身を焼くような痛みが体の中から沸き起こり始めた。

 あまりの苦しみに、僕はのたうち回る。右手のみならず、動かなくなっていたはずの左腕で胸を掻きむしる。

 これほどの苦痛を感じたことがるだろうか。それほどまでに耐えられないほどの激痛だった。しかし、僕は似たような苦痛を感じたことがあることを思い出す。


 こ、これって、巨竜にやられて死にかけてたと時に感じた苦痛と同じだ......あの時は、誰かに何かを食わされたんだっけ......えっ!? あれは誰だったっけ? 思い出せない......


 悶絶しそうな苦痛の中で、僕は思い出せない何かに意識が捕らわれる。


「あれくらいで死んだりしないよね? でも、これで決まりかな?」


 苦痛で意識を朦朧とさせつつも、忘れてしまった大切な何かを思い出そうとしていると、大剣の勇者――輝人の声が聞こえてきた。

 どうやら、もがき苦しむ僕の有様を見て、自分の勝利が決まったと感じているのだろう。ニヤリとした顔が僕の瞳に映る。

 だけど、そうはいかない。この苦しみも、僕が勝利するための糧なのだ。


「ぐふっ......甘いですよ。やっぱり、あなたは甘い。ここで僕に止めを刺せないようじゃ......それじゃ、愛菜を任せるわけにはいかない」


 焼けつくような身の内の痛みを感じながらも、僕はヨロヨロと立ち上がると、脳内マナゲージを確かめる。


 マジで? これだけ苦しんだのに、たったこれだけ?


 強気の発言をしたまでは良かったのだけど、マナゲージを確認して僕は愕然とする。

 というのも、ゼロに近かったゲージの針が時計でいう七の方向を指していたからだ。


 これじゃ、どうにもなんないよ......いや、まさか......もしかして......


 一瞬、何もかもが終わったと感じたのだけど、直ぐにこれまでのマナゲージの動きを思い出し、とんでもない仮説に思い至る。

 そう、実のところ、僕のマナゲージの満タンは途轍もない量であり、現在の量でもかなりの魔法が使えるのではないかという仮説だ。


 もしかしたら、このマナ量でも以前ほどとは言わないまでも、かなりの魔法が使えるとか? いや、今は戦いに集中する時だ。刀......くっ、あんなところに......


 意識を戦いに戻した僕は、手放してしまった刀の位置を確認して歯噛みする。

 なぜなら、陽の光を反射させて輝く刀は、建物の外に転がっていたからだ。


「そうかもね。でも、ボクは君のことを殺したくないんだ。勿論、仲間にも殺しなんてさせたくない」


 僕が歯噛みするのを他所に、輝人は己が気持ちを吐露する。

 しかし、それこそが大甘の証だ。


「あなたの気持ちは分かるよ。でもね。自分の大切な者が守れないと知っても、そんな甘いことが言えるの? いえ、きっとこれから先、そんな自分の愚かさに公開する時が来ると思うよ」


 昔の自分を見るようで、思わず意識が刀から輝人に向いてしまう。

 だって、本当に甘々だった自分を思い出すからだ。

 そして、自分の弱さに嫌気がしてくる。


「僕はそんな思いをしてきた。だから、知ってる。負けたものの末路を......僕自身はそれでもいいけど、愛菜に辛い想いはさせたくない。そんな訳で、ちょっとドーピングしちゃた。優しいあなたには申し訳ないのだけど、大切な者を守れないのはもう嫌なんだよね」


「ドーピング?」


 僕の態度を訝しく感じたのか、輝人は少しばかり警戒の色を見せる。

 しかし、それを気にすることなく、僕は自分が何者であるかを口にする。


「そう。ドーピングで少しだけ以前の僕に戻ったと思う。炎獄の魔法使い黒鵜与夢に! 悪く思わないでね。あさ、破壊の時が来た。爆裂!」


 卑怯だと罵られようと構わない。僕は大切な者を守るためなら、何にでもなってみせるさ。そう、それが悪魔であろうと、死神と呼ばれようと。


 右手を突き出した僕は、以前――ベヒモスと戦う前の頃のように易々と魔法を放つ。

 その途端に、懐かしい爆裂音が響き渡る。


「刀も悪くないけど、やっぱり僕は魔法使いの方が向いてるみたいだ」


 一瞬にして眼前を吹き飛ばし、それを見やりながら、自分的に魔法を放つ方がしっくりくると感じる。

 すると、僕の頭上に飛んできた氷華と一凛が嬉しそうに舞い始めた。


「黒鵜君、力が戻ったの? 復活? もしそうなら、ぎゃふんと言わしてやらないとね」


「やったぜ! 黒鵜! こうなりゃ無敵だ! がっつり食らわせてしまえ」


 どうやら、僕の魔法を見て復活したと感じたのだろう。二人は嬉々として腕を敵に向けて突き出す。


 そうだね。ちょっと暴れさせて貰おうかな。身体の方も治ってるみたいだし。


 黒い瓶に入っていた秘薬はマナのみならず、身体の治癒や精神の回復にも効果があるみたいで、全く痛みを感じることはなかった。

 僕は折れていたはずの脚を踏み出し、爆裂の魔法による破壊の光景を懐かしく感じつつ、転がっている刀を拾う。


「て、輝人! 魔法なんて、卑怯です」


「輝人! 大丈夫か! ちっ、魔法も使えんのかよ」


「な、なんてことすんのよ! 不意打ちなんて、なんて卑劣な奴」


 爆裂の魔法で吹き飛ばされた輝人を目にした優里奈、快、夏乃子が声をあげる。

 どうも僕が魔法を使ったことが不服なようだ。

 でも、それはおかしな話だ。だって、輝人だって魔法を使っていたのだ。僕が魔法を使うのを悪のように言うのはお門違いだと思う。それとも、攻撃魔法が卑怯なのだろうか。いや、どっちでもいい。僕にとって、大切なのは仲間を守ることなのだ。


 外野のクレームを無視して、僕は周囲を確認する。

 輝人はモロに爆裂の魔法を食らったようで、少し離れた場所に転がっていた。

 しかし、瞬時になんらかの魔法を使ったのか、それほど酷い怪我を負っているようには見えない。


「悪いけど、僕は止めを忘れたりしないよ。それに一騎打ちを望んだのも、あなただからね。ごめんね」


 僕は形だけの謝罪を口にしながら右手を輝人へと向ける。

 完全に形勢逆転しているのだけど、ここで浮かれるほど能天気ではない。これまでに、気を緩めたとたんに酷い目に遭うなんて、嫌というほど経験してきたからだ。


「さよなら! 爆――」


「輝人! やめてーーーー!」


「ぐっ......かはっ......く、くろ、う、さん......」


 僕が魔法のワードを唱えようとしたタイミングで、優里奈の悲痛な叫び声が響き渡ったのだけど、それと同時に一発の銃声が轟いた。

 そして、次の瞬間に、僕の瞳に悪夢が映った。


「ま、ま、愛菜ーーーーーー!」


 愛菜がいまだ育ち切っていない幼い胸を赤く染めていた。

 その赤き血は僕の思考を真っ黒に染める。


「だ、だい、じょ、うぶ......ま、ほうで直します......」


 そうだ。愛菜には再生魔法がある。一発の弾丸で死ぬはずなんてない。

 僕は全速で愛菜に駆け寄りながら、自分にそう言い聞かせる。

 しかし、建物の陰から出てきた人族の兵士が次々と銃弾を撃ち放つ。


「くっ、かっ、ごほっ......く、くろう、さん......ご、め......」


 次から次へと撃ち込まれる弾丸で、愛菜の身体が踊るかのように揺らめく。


「愛菜ーーーーーーーーーーーー!」


 地に倒れる前に愛菜を抱きとめた僕は、彼女の名前を叫びながら、己が弱さを憎み、己が甘さを悔やみ、己が愚かさに怒り、そして、愚かな奴ら――人族を根絶やしにすると決意するのだった。

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