45 戦いの代償
猛火、劫火、烈火、猛炎、焦熱、灼熱。
炎や熱さを語る言葉は多々あれど、この熱地獄を表現する言葉があるだろうか。
地面が、建物が、車が、電柱が、信号機が、道路が、木々が、そこにある何もかもが朱く染まり、溶けて一つに混じり合う。
それは朱い熱の湖となり、ぷくぷくと気泡が弾ける液体と化していく。
まさに、融解の湖と呼べそうなほどに、何もかもを溶かす灼熱の世界にベヒモスは浸っていた。
「グギョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!」
恰も命を削っているかのような叫びをあげ、奴は逃げ出そうと必死にもがく、もがく、もがく。
しかし、悲しいかな、奴の周囲は全て溶け出し、朱い熱の湖となっているが故に、空でも飛べない限りは逃げ出しようがない。
「ダメダメ! 退くわよ! 無理無理! 氷壁がアッと今に蒸発するわ。黒鵜君、遣り過ぎよ!」
「ちょ~~~! 逃げるぞ! 黒鵜! こっちまで溶けちまうーーーーー!」
僕達の前方に何度も氷壁を作り出していた氷華が、悲鳴の如き苦言を漏らす。
続いて、一凛も僕の腕を掴むと、叫び声を上げて一気に逃げ始めた。
「あつ、あつ、あつ――」
「あちっ、あちっ、あちっ――」
氷華と一凛は、悲痛な声をあげながら全速力で、疾風の如く空を駆ける。
一凛に腕を引かれている僕はと言えば、少し虚ろな意識になっているのだけど、その熱を心地よく感じていた。
ああ、命の炎だ......
なぜそう思ったのかは分からない。ただ、底知れぬ安らぎを感じているのは間違いなかった。
「もう、最悪よ! これ、禁呪指定にするわよ! はぁ~、リリと融合してなかったら、間違いなく私達も焼け死んでたわよ」
「マジで、失明するかと思ったぞ! なんだあれ。異常だ! 異常!」
生徒会のメンバーや特務隊『翔』が守る学校の上空まで、急いで戻ってきた氷華と一凛がクレームを入れてくる。
ただ、直ぐにそれどころではないと気付いたのだろう。氷華が魔法を放った。
「極氷壁! 学校まで燃え落ちそうだわ。みんな大丈夫かしら」
彼女の声で視線を下に向けると、まるで氷のグランドキャニオンを思わすような巨大な氷の峡谷が作り上げられ、その内側には、生徒会や特務隊が造り出し、殆ど溶けて無くなった小さな氷の壁があった。
ああ、危なかったんだ......ごめん......
「黒鵜! いくらなんでもやり過ぎだろ! ベヒモスを倒す前に、みんな死んじまうぞって......おいっ! 大丈夫か?」
氷華の作った氷の大地に舞い降りた一凛が、眉を吊り上げて僕を窘めてくる。
しかし、同じように降り立った僕がよろめくのを見て、彼女は文句を言うのを止めて支えてくれた。
「あ、ありがと......一凛......」
一凛に支えられた僕が感謝の言葉を口にしていると、氷華が心配そうにやってきた。
「ど、どうしたの? 酷い汗......」
声を掛けてきた氷華の顔が一気に青ざめる。
しかし、僕はそれを気にせず、彼女達に問い掛ける。
「や、奴は......ど、どうなってる?」
「亀鍋になってるわよ! 少しづつ焼け溶け始めてるわ。というか、私の出番が無くなったわよ」
「ありゃ~、マジで火鍋、いや劫火鍋だな」
氷華と一凛からベヒモスに通用していると聞いて、僕は安堵の息を吐く。
ただ、氷華に向けて否定の言葉を口にする。
「いや、出番がなくなって良かったよ。氷華、あの魔法を全力で使っちゃダメだよ」
「えっ!? 何を言ってるの? いったい何がどうしたの?」
驚く氷華の声を聞き、その魔法を使ってはいけない理由を教えてあげる。
「恐らく、今の僕は魔力枯渇なんだ。あの魔法を発動させた途端に、僕の全てが吸い取られるような気がしたよ。だから、あの魔法を使わないで欲しい」
「そうだったのね......調子が悪そうなのは、その所為なのね?」
「たぶん......ああ、もう朝が来てたんだね......気付かなかったよ」
僕は頷きつつも、薄れゆく意識の中で空が明るくなっていることに気が付く。
「なに言ってるのよ。明るいのはあなたの魔法の所為よ」
「そうだぜ、まだ真夜中だからな。てかさ、氷華、あの魔法のあとに氷の魔法をぶちこむつもりだったんだろ? その後にうちが止めって、うち、死ねるんじゃないのか?」
「あっ、気付いちゃった?」
「ごらっ!」
「てへっ!」
ベヒモスの断末魔とも呼べそうな叫びが轟く中、一凛が怒りを露にし、氷華は可愛く舌を出している。
そんな彼女達のやり取りを心地よく聞きながら、僕はまるで命が尽きたかのように暗闇へと落ちていくのだった。
視線の先には白があった。いや、どちらかと言えば灰色に近いかも知れない。
ただ、その一色が僕の視界を埋め尽くしている。
一面の灰色に驚きつつも、僕は自分が横になっていることに気付く。
「ここは......僕は何をしていたんだっけ......あっ! ベヒモス......氷華! 一凛!」
意識を失う前のことを思い出し、僕は慌てて身体を起こそうとするが、上手く力が入らずに失敗する。
「どういうこと? 身体が......」
氷華と一凛のことが心配で心音を高鳴らせながらも、身体を起こすこともできず、已む無く頭だけを動かして周囲に視線を向ける。
「保健室......この臭いは......保健室で間違いない......でも、どこの保健室? いや、これは汐入中学だ」
誰も居ない保健室の中を何度も確かめ、自分の記憶と照らし合わせる。そして、ここが自分の母校の保健室であることを思い出す。
その途端だった。ガラガラと喧しい音を鳴らして入り口の扉が開いた。
「黒鵜さん。良かった......全然目覚めないから心配してました」
「黒鵜先輩! 良かったです。先輩たちが目覚めないから、どうしようかと――」
「ん? ちょっとまって、今、達って言った? 氷華は? 一凛は?」
入ってくるなり、抱き着かんばかりに迫りくる
本来なら、ベヒモスのことを聞くべきなのかもしれない。でも、僕にとっては、奴よりも氷華や一凛の方が重要なのだ。
しかし、光は眼差しを伏せたまま首を横に振った。
「どういうこと? 二人はどこ!?」
今にもはち切れそうな心臓を抑え込むかのように、右腕で胸を押さえて愛菜に問う。
なぜなら、彼女は全てを見てるはずなのだ。そう、遠見の力で一部始終を知っているはずなのだ。
「愛菜! 教えてよ。二人はどこなの?」
押し黙る愛菜に視線を向けた僕は、食い入るように彼女を見詰める。
すると、彼女の後ろから入ってきた大和が、にこやかな表情で優しく窘めてきた。
「黒鵜くん、そんなに睨みつけたら愛菜が委縮してしまうよ?」
「あっ......すみません。そんな気じゃ......ごめんね。愛菜」
「いえ、黒鵜さんの気持ちも解かりますから......それで、氷華さんと一凛さんですが......」
謝罪する僕に、彼女は首を横に振った。そして、ゆっくりと僕の横――僕のベッドと並びになっている方向へと、見えない筈の眼差しを向ける。
彼女の視線の先には白いカーテンがあった。隣にもベッドが並んでいるはずだ。僕の記憶によると、確か、ニ、三のベッドがあった筈なのだ。
「えっ!? まさか......」
彼女の表情や視線から、そこに氷華や一凛が居ると知って、今までバタバタと暴れていた心臓が止まりそうになる。
僕は必死に力を込めて震える腕を伸ばし、カーテンをゆっくりと引き開ける。
「氷華? 氷華だよね? うっ......えっ? 力が入らない」
簡素なベッドの上に横たわる氷華を見て、僕は慌ててベッドから降りようとするのだけど、転げ落ちることすらできない。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫かい?」
「黒鵜先輩、大丈夫ですか、捕まってください」
ベッドの上でもがく僕を見て、愛菜と大和が声を掛けてくる。光に至っては僕を抱き起そうとしてくれる。
いつもなら恥ずかしくなるシチュエーションなのだけど、今の僕はそれどころではなかった。
光に捕まってなんとか立ち上がると、直ぐに氷華の側へと近寄る。
「氷華、どうしたの? 寝坊かな? ねえ、起きてよ」
焦りつつも氷華に声を掛けるのだけど、ピクリとも反応しない。それどころか顔色は悪く、胸の動きも小さいように見える。
さすがに、今は胸が小さいからなんて、冗談を口にする余裕すらない。
「どうしたのさ! なんで寝ての? ねえ、氷華!」
「先輩......」
力の入らない手で氷華の肩を揺さぶると、光が僕の手を優しく握り、首を横に振った。
混乱している僕は、それでも続けようとするのだけど、愛菜がゆっくりと口を開いた。
「戦いが終わった後、氷華さんと一凛さんから妖精が抜け出たのです。その途端、二人は倒れてしまって......」
「妖精が抜け出た? リリとララが?」
「はい」
「妖精はどこに?」
「荒川に戻りました」
「そう......分かったよ。ありがとう」
「ありがとうって、どうする気ですか?」
頷く僕を見て、愛菜が不安そうな顔を見せる。
その雰囲気からして、既に僕の考えを読んでいるようだ。だけど、僕は敢えて自分の考えを口にした。
「ちょっと、あの氷の女神様に会ってくるよ」
「やはりそうなりますよね......はぁ~、仕方ないですね。光さん、生徒会のメンバーを集めてください」
「は、はい」
諦めの溜息を吐く愛菜は申し訳なさそうに、僕を支える光へ頭を下げた。
光がそれに答えると、彼女は見えない瞳で僕を見詰めてくる。
「みんなが集まるまで、これまでの話を少しさせてください。というのも、黒鵜さんは三日間も寝たままだったんですよ」
「えっ!? 三日も? うっ......」
彼女から三日間と聞かされた途端、僕のお腹が空っぽだぞこんにゃろ! と大きな音で不平を述べる
「うふふ。その調子なら大丈夫そうですね」
お腹が鳴ることは元気な証拠だとばかりに、豪快な空腹音を聞いた愛菜が、とても幸せそうな笑顔となるのだった。
氷華と一凛が寝込んでいると聞いて大きなショックを受けた僕だったのだけど、続いて驚かされたのは、ベヒモスが死に至る前に消えて無くなったという話だった。
あれだけ苦労したのに、黒魔石の一欠けらも得ることができず、大きな湖を作っただけだと聞いて、僕はガックリと項垂れた。
そう、湖だ。てっきりクレーターになっているのかと思ったのだけど、朱く煮えたぎる融解の湖が熱を失うと、途端に大雨が降り出したとのことだった。
もしかしたら、灼熱の炎が上昇気流を作り出したことが影響してるのかもしれない。
実際の処は、定かではないのだけど、猛烈な雨が降りつ続いたという話だった。
そして、その雨が上がった時には、見事な湖が出来上がっていたらしい。
「凄いですよね。なにしろ、黒鵜湖ですから」
軍用車両から降りた美静が、感心した様子で告げてくる。
黒鵜湖って......誰のネーミングなの?
僕は呆れつつも脚を進めながら、愛菜の話を思い出す。
それにしても、あの学校に居た人達がこっちに合流したがるとは思わなかったよ......
残念ながら倒すことはできなかったのだけど、ベヒモスの脅威が無くなったことで、生徒会や特務隊『翔』のメンバーが引き上げようとしたところ、あの学校に居た避難者が助けて欲しいと頼み込んできたらしい。
僕等や生徒会、特務隊『翔』の力を見て感服したのだろう。誰もが土下座で頼み込んできたと言っていた。
ただ、僕等が意識を失っていることもあり、明里達はどうしたものかと悩んだらしいのだけど、氷川爺ちゃんから助けてやって欲しいと頭を下げられたようだ。
まあ、宮司だけあって、見捨てることができないのは当然かもしれない。
さて、愛菜や明里から聞かされた情報を思い起こしている僕なのだけど、現在はあの不思議な氷の女神様の処へ向かっている最中だ。
勿論、氷華と一凛は汐入中学の保健室で眠り姫となっているので、お留守番という立場だ。
そんな訳で、僕の同行者は、氷川兄妹、美静、晶紀、美奈、陽向というメンバーだ。
いつもとは全然違う面子なのだけど、これには色々と理由がある。
それは、集まった避難者の数がかなり増えたことで、今後のことを考え直したのだ。
そう、汐入地区では物資が少ないという問題があがり、拠点を北千住に移す計画を立て、殆どの者がそっちに手を取られている状況なのだ。
ということで、少数人数で移住計画を進めている北千住の街の抜けた僕等は、河川敷の手前で車を止めた。そこから徒歩で進み始めたのだけど、そこに今や少数となってきた魔物が現れた。
巨大な身体、反り立つ牙、獰猛で荒い鼻息、そう、ワイルドボアだ。
陽向の鍛錬をさせてもいいんだけど、時間も気になるし......さっさと片付けよう。風刃!
気が急く僕は、サクッと倒すべく右手を突き出して魔法を発動させる。いや、させたつもりだった。
ところが、何も起こらない。
あれ? あれれ? なんで?
「エアカッター!」
「おらおら! 喰らえっ! ファイナルメガトンキーーーーーーーク!」
僕が不思議に思って自分の手を見詰めていると、陽向と晶紀の二人がワイルドボアをサクッと片付けてしまう。
二人の攻撃で、ワイルドボアは悲鳴を上げる暇もなく絶命するのだけど、僕はそれどころではなかった。
なんで? なんで発動しないの? 風刃! 風刃! 風刃! 風刃!
魔法が発動しないことに不安を抱き、思いっきり焦り始めた僕は、何度も魔法を唱えるのだけど、全く以て何も起きない。
そんな僕の行動が気になったのか、愛菜が心配そうに声を掛けてくる。
「黒鵜さん、どうしたのですか?」
「ん~......実は......魔法が発動しないんだ」
話すべきかどうか悩んだのだけど、僕は彼女達を信用して魔法が使えないことを口にした。
「えっ!? それは本当ですか?」
「うん、何度やっても魔法が発動しないんだよ」
驚く愛菜に有りの侭を答えると、それを聞いた誰もが動揺していた。
なにしろ、彼女達からすれば、僕の魔法は桁違いであり、それが使えないと聞けば驚くのも当然だろう。
ただ、そこで大和が真剣な表情となって皆を見据えた。
「このことは、絶対に他言してはダメだよ。いいね」
「えっ!? どういうことですか?」
理由の分からない僕が首を傾げると、大和は真剣な表情で頷きながら説明してくれた。
「あの自治区は、黒鵜君のカリスマで成り立ってるんだよ。それが揺らげば、良からぬことを考える者が出るかもしれない。だから、このことは誰にも言ってはいけないよ」
「そうですね。でも、私はそのうち使えるようになると思います。ああ、根拠はないです。ただの勘ですけど......」
兄の言葉に頷きながらも、愛菜は僕を元気付けてくれる。
愛菜って、ほんとにいい子だよね......可愛いし......あっ、まずっ......
愛菜の優しさに感動した僕は、慌てて左右に視線を向ける。しかし、いつものように眦を吊り上げる二人の姿はない。
あっ......そうか......二人とも寝たままなんだ......
氷華と一凛のことを思い出した僕は、一気に心を萎ませてしまう。
あの二人が居ないと、こんなにも寂しいなんて思ってもみなかった。
そんなことを考えた所為か、僕の瞳から勝手に涙が零れ始める。
勿論、サングラスをしているので、僕が泣いているのを直に見ている者はいない。
だけど、頬を伝う涙を見た仲間達は、全員がしょんぼりと肩を落とした。
恐らく、僕が二人のことを考えていると察したのだろう。
「黒鵜さん、大丈夫ですよ。二人とも戻ってきますから」
僕の胸に両手を置いた愛菜が、見えない瞳で見詰めてくる。
そんな彼女の瞳からは、まるで宝石のような雫が零れている。
彼女の涙を見て、悲しいのは自分だけじゃないのだと知って仲間を見やる。
ただ、僕はそこで何かが足らないような気がする。だけど、どうしても思い出せない。
何かが足らない......なんだっけ......あれ? あれ? あれ?
「どうしたのですか?」
返事をしないどころか、首を傾げてしまった僕を見て、愛菜が不安そうに見つめてくる。
僕は首を横に振りながら自分の態度を誤魔化し、彼女の心遣いに感謝の言葉を告げる。
「ん~、いや、なんでもないよ。ありがとう。愛菜」
「い、いえ。こんな私でも、力になれたら......」
愛菜は頬を赤く染めてモジモジとする。
恐らく、自分の言動が恥ずかしかったのだろう。
そういうところも、とても可愛いと思える。
本来なら、氷華と一凛の二人が眠りに落ち、更には魔法が使えなくなったとなれば、僕は自分を見失うほどのショックをうけるはずなのだけど、愛菜に励まされたことで何とか持ち堪えることができたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます