第17話
「これこそ、未知の新薬です!」
日頃冷静なギルベルト・ヴォルツォフが駆け寄って熱く語り出す。
「とりあえず現段階で知り得たことは全て報告書に記しました!」
やや悔しそうに歯噛みして、
「なにぶん、ホテルの寝室の簡易ラボでは限界がありますが――」
渡されたレポートにザッと目を通す
「……何処にも見られない強度のTHC……否CBD、正THC……THC含有量濃度…… むむ? THCって?」
「テトラヒドロ・カンナビノール。マリファナ、ハシシと同様の向精神作用を有す物質です。そこに示した通り、この魔薬は植物由来だと推測できます。その上、興味深いのは――」
脩は報告書を突き返した。
「わかった。数値の類は素人の俺にはお手上げだ。報告書は
改めて
「君たちの
「鮎川さん、貴方が、
突然の声。
いつからそこのいたのか、入り口近くに立っているのは《虹》のオーナー、フーディ・Gだった。
「フーディさん、では、やはり、貴方なのか……」
「ならば、まずお尋ねしたい」
背をピンと伸ばすと率直に質した。
「一体何の目的でこのような真似をなさっているのですか?」
返ってきた答えは
「私たちの目的は唯一つ。SURVIVAL 生き延びること、です」
ゆっくりと部屋の中央まで進む。フーディは落ち着いた声で言った。
「これから私がお話しすることを、どうか冷静に最後までお聞きください。貴方がたのような異国の御仁には多分に奇異に聞こえるかも知れませんが」
一旦息を継ぐ。
「〈虹〉は、薬ではなく、我が一族の呼び名です。私は虹族を束ねる族長なのです。
これはまあ、単にその家筋に生まれたからに過ぎませんが。
私たちは気が遠くなるほどの遥か昔から、この大陸で生き継いで来ました。そして、これからも、そうありたいと願っています。
私たちは現在1000人に満たない少数民族です。
が、歴代の王/支配者/統治者に優遇されて今日に至りました」
感慨深げに虹族の代表は首を上下に振った。
「悠久の歴史の中で生き延びて来たのですよ。どんな過酷な時代であろうと連綿と命を繋いで来たのです。その理由は、お気づきでしょう?」
フーディの視線が動いて、ユダヤ人青年の手の中の小瓶で止まる。
「そう、特別の〈秘薬〉のおかげです」
「――」
「いつの時代も、王たちは私たちの薬を欲しました。私たち一族だけが生産し供給することが出来る甘美な蜜を。
量は少ないとはいえ、この特産物のおかげで王たちに保護され、我が虹族は生き延びてくることが出来た」
「とはいえ」
ここで初めてフーディ・Gの温雅な瞳が翳った。
「今、私たちは未曾有の危機の前にあります。もはや隠しようもない終末の予感。我々が全く経験したことのない破滅の足音。世界中から押し寄せる軍靴の地響きです。いや、否定は結構。弱い、非力な一族だからこそ、私たち虹族は危機には敏感なのです。野生生物がそうであるように、ね?」
真直ぐに脩を見つめる。
「ねえ、鮎川さん? 我々は全く寄る辺なき
貴方がた異国の侵略者たち――失礼、でも、どのようにお呼びしたらいいのかな? 列強?――は、今回
頼るべき世界の真の新王を……!
どの国が来るべき世界の覇王であるか、を……!」
「どうやら」
《虹》の店長は微笑んだ。
「貴方の御国が、その真剣度、調査力においては一番のようですね? この大陸の次なる統治者……皇帝は大日本帝国と考えてよろしいのでしょうか?」
脩はどう答えていいかわからなかった。この場合、彼にできたことは、ただ視線を逸らさずにいること、それだけだった。
「この前、貴方が仰った言葉を聞かせていただきましたよ?」
―― 俺達日本人の庇護の下に入る。これこそ正しい選択だ。
そう遠からぬ未来に、上海租界全域は日本の統治下になる。
「頼もしい言葉です」
幾分声を和らげて微苦笑するフーディ・G。
「妹も、何処の国の御仁よりも貴方を一番信頼しているようです」
「妹?」
ここで初めて脩とヴォルツォフ――
衝撃が奔る。
「妹と仰ったのですか?」
喘ぐ脩。続いてヴォルツォフ、
「い、妹にこんな真似までさせて? いや、と言うことは――
戸惑いを隠せない脩とヴォルツォフだった。
「あ、貴方たちは一体……」
フーディは微かに眉を上げただけ。
「おや、言ったはずだ。我々はこの件では命がけだと。種族として命を繋ぐ――生き延びるためには何だってやる心構えです。こうやってこそ、長い長い歴史を生き延びて来られたのですから。この大陸の上で一体幾つの民と国が滅んだかご存知ですか?」
次に続く声は流石に掠れていた。
「甲については……困った存在だったのは認めます。弟は一族のこと以上に自分の夢を追い過ぎた。まあ、若さゆえ未熟だったと言えばそれまでですが」
姿勢を正して深く頭を下げる。
「弟の件で、ご面倒をお掛けしたことを、改めてお詫び申し上げます」
すぐに族長は話を本筋へ戻した。
「この大地に変動が起きると察知した時、我が〈虹の民〉は動きます。
今回も、例外ではない。時代の大きなうねりを感じて、有志を募り、
脩は最後の質問をした。
「では、この《虹》で働いている人間は全員、〈虹の民〉……貴方の言われる〈虹族〉なのですね?」
「そうです」
「了解しました」
工作員の顔に戻る。厳かな口調で脩は言った。
「早速、上官に報告させていただきます。僕は単なる末端の調査員――連絡役に過ぎませんから、これから先はもっと上の然るべき人たちが応対することになるでしょう――」
脩の腕を制したもう一つの腕。
「鮎川さん、待ってください!」
「? なんだ、ヴォルツォフ君?」
「その前に――僕からひとつ提案させてください。今回の件、今、聞いた全てを上層部へ上げる前に、僕たちが責任を持ってやるべき最後の仕事が残っていますよ!」
これには正直、脩は吃驚した。
「何を言い出すんだ、おまえ? 俺達はここまでいい。工作員の役割はここまで――」
「違う」
上司の困惑をよそにギルベルト・ヴォルツォフは自信に満ちた口調で言い切った。
「この秘薬の現場――〝原産地〟の確認をすべきです。その場所を実際にこの目で見て、納得しない限りは今回のこの話、僕は信用しません。安心できません」
「おまえ……」
思わず吹き出す脩。
「ホント、いかにも、ユダヤ人らしい完全主義者だな!」
「私が嘘偽りを述べているとでも?」
一方、虹族の長は少々不愉快な顔になった。
「この薬は、我々虹族だけが有し、受け継いで来た秘伝の特産物……時を超えた遺産ですよ?」
「何とでも仰ってください。だが、僕は、仮にも科学者だ。この目で見たことしか信じません。こんな液体――抽出物だけではダメだ。これだけでは上層部へ提出するに足る完璧な報告書は書けない」
頑としてヴォルツォフは譲らなかった。
「太古以来、貴方たちの一族が独占して生産していると言われるのなら――」
ズイッと一歩前へ出る。
「ぜひ、その生産地、或いは育成現場を見せていただきたいものだ」
「わかりました」
どのくらい時間が経っただろう。腕を組んで考え込んでいた族長は遂に頷いた。
「……それで貴方がたが納得されるのなら」
フーディ・Gは今この瞬間まで存在すらしていないかのように静かに控えていた妹を初めて振り返った。
「霓裳、
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