第15話
数人の若い男たちに暴行をうけているのは画家志望の少年、
「おい! 止めろ! おまえ等……そこで何をやってる――」
群れに飛び込んだ
「五月蝿い! あっちへ行きな!」
「俺達を誰だと思う!」
「俺達は〈
「関係ない奴は引っ込んでいろ!」
「止めろったら!」
止めようとする脩にも容赦なく鉄拳が降り注ぐ。
脩も殴り返した。
「止めろと言ってるんだ! 止めろ!」
暫く揉み合う内にざわめきが広がった。
「おい、待て! こいつ――」
「日本人だぞ!」
「え?」
「ほんとか?」
「そりゃ、ヤバイ」
「日本とは関わるな!」
「もう、いい――ここまでだ!」
「行くぞ!」
潮が引くように若者たちは駆け去った。地面には血だらけの少年が残された。
「甲! しっかりしろ! 甲!?」
飛びついて抱き起こす脩。
「待ってろ、すぐ病院へ運んでやる」
甲は薄く目を開いた。
「病院は……いやだ。お願い……部屋に……僕の部屋まで……連れてって」
「――」
急な階段を背負って部屋へ運び入れる。
寝台に寝かしつけた少年は見るからに重篤だった。
「連中、折白党だろ? おまえ、あんな奴等と何の関わりがある? 一体、どんな問題起こしたんだ?」
折白党は魔都に巣食う凶暴な不良少年グループである。言うまでも無く巨悪の親玉、ギャング組織
「何か訳有りなら――畜生!」
思わず口をついて出る悪態。傷ついた少年を前に、迂闊で無力な自分自身を叱咤したのだ。
「俺が知っていたら、もっと早い内に相談に乗ってやったのに」
「いいんだ。大丈夫」
何処が大丈夫なものか。確実に浅くなっていく呼吸。少年は死にかけている。
脩は屈みこんで額の髪を撫で上げた。
「なあ? 病院に行くのがいやなら、医者を呼んで来るから、待ってろ。
細い腕が伸びて麻の背広の肘を掴んだ。
「それより、一つだけ、お願いが……」
「なんだ? うん?」
「姉さんを……呼んで来て。僕、姉さんに……会いたい……」
少年の目は窓辺のレインボーメーカーを見つめていた。
ちょうど、昇った太陽の陽射しを集めて部屋は七色の洪水。
突然、それら、粉々に散った虹の
「……
そうか? そうだったのか……!
「うん」
くそっ、
何故、気がつかなかった……
「わかった。すぐ、連れて来るよ。待ってろ!」
先刻、〈虹〉の姉の居室から飛び出した、その同じ勢いで
✙
「ど、どうしたんです?」
明け方、ホテルの部屋へ帰って来た、焦燥した脩の姿にヴォルツォフは驚いた。
「甲が死んだよ」
「え?」
鼻先に香水の小瓶を差し出す。
「ほら、今度こそ正真正銘……本物の〈虹〉だ」
反射的に受け取りながら、視線は脩の顔から離れない。
「……死んだって……あの甲君が?」
振り返ってマントルピースの上を見た。昨夜、その少年画家から買い上げた絵が置いてある。
青空の下、風に戦ぐ美しい花の群れ。
「……ハハハ、貴方、また、僕を担いでいる? お得意の与太話ですか?」
脩は事実だけを淡々と告げた。
「昨夜、
脩はソファに腰を落とすと煙草に火をつけた。
あれから――
《虹》へ走って姉、霓裳に事情を告げ、連れて戻った。
だが、部屋に入った時、既に少年は硬く強張り、息をしていなかった。
冷たくなった弟の頬に手を置いたまま、振り返って姉は言った。
『色々とご面倒をおかけして申し訳有りませんでした。もうお引取りください。この後は私だけで大丈夫ですから……』
「なんてこった! そんな……」
流石に呆然と立ち尽くすギルベルト・ヴォルツォフ。
「よせばいいのに。あいつ、危ない商売に手を染めていた」
煙を吸って、咳き込む。涙は、そのせいだ。
「まあ、可愛かったからなあ。甲の奴、客を取ってたんだよ。そのことが折白党にバレて、もめたらしい。上納金も払わず好き勝手に商売してたって、それで、制裁を受けたのさ」
「ああ、なるほど……」
ヴォルツォフは少年の下宿の階段で擦れ違った男を思い出した。
「おまけに、甲は霓裳の弟だった」
乱暴に髪を掻き揚げる。
「やっぱり、俺はカワイルカ以下だったな」
視野が全然効かない。世界がまるで見えていない。
「はあ?」
「何でもない。独り言だよ」
弟の屍骸を見下ろしていた虹の娘は気丈だった。
『お教えくださってありがとうございました、脩さん』
お辞儀の後、白い指がドアを差した。
『もう私だけで大丈夫です。どうぞ、お引取りください』
『だ、だが、これから色々と大変だろう? 葬儀とか埋葬とか――良かったら、力になるよ』
脩はボソボソと言った。
『これも何かの縁だ』
霓裳はきっぱりと首を振った。
『お心使い感謝します。でも、結構です。私たちには私たちのやり方がありますから――』
「『それぞれのなすべきことをなせ』……か」
ソファの背に頭を乗せると脩は天井へ煙を吐き出した。
《 ヨハネによる福音書 13章
あなたがしようとしていることを、今すぐ、しなさい 》
ヴォルツォフは覚醒したようにブルッと身震いした。ゆっくりと頷く。
「そうですね」
透明の液体の入った小瓶を手に自室へ向かう。
一度だけ、ドアの前で立ち止まって、頭を廻らせて少年の花園の絵を眺めた。美しい
ドアを開けた。滑るように中に入って、後ろ手できっちりと閉めた。
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