04-5

それから40分ほどたった後、慧は暗く寒い住宅街の道を白い息を吐きながら走っていた。

口の中はカラカラで汗はそれほど出ていない。

脱水症状に近いものが出ているのはわかっているが、今はそんなことを気にしていられない。

慧は暖房のきいた温かいバスの中でうたた寝をしてしまったために目的のバス停を寝過ごしてしまった。

ふと気がついて急いで降りたところは隣街の最初のバス停であり、反対方向のバスは運悪く数少ない時間にあたるため到着は一時間後。

そのために走って帰ることなってしまったのである。

やらかしたやらかしたやらかした。

これは、湊に確実に帰りの遅くなったことについて何か言われる。

いや、それどころか確実に閉め出される。

こんな寒空で一夜過ごしたら次の日見たこともない場所で目を覚ますことになる。

こんなことならチャリで行けばよかった。

しかし後悔先に立たず。

慧は全力で一心不乱に目的地へ向けて足を動かす。

そしてさらに約30分ほどしてから慧は息が絶え絶えで呼吸を整える間もなく急いで自宅の玄関のインターフォンを鳴らす。

間もなく扉が開き、灰色の髪をした少女が顔をだす。


「はーい……あ、お帰りなさい。遅かったねーどこいってたの?もう10時すぎだよ」

「はぁはぁ……僕がハァ、バスでハァハァ、起きれなくてハァ、隣街までいっ……てたよ」


呼吸の乱れた慧から鞄を受け取ってから何か悪いことを思い付いたようにニヤリと怪しくほほえむ。

しかし、息を切らしていた慧は肩で息をし、地面を見ていたために気がつかなかった。


「そんなにはぁはぁ言って、キモいよ。もしかして私を見て欲情した?うわぁ……そんな変態は入れません!」


そう叫び、彼女は力強く扉を閉めて鍵をかけてしまった。


「え!?……違う違う!!走って来たから疲れて息が切れてるだけだよ!……ちょっとマジで頼むから家に入れてくれよ!」


急いでいたので財布も家の鍵も全部を鞄に入れていたので家に入れず、困った慧は扉を軽くノックしながら湊にたのみ続ける。

あぁ、やっぱり締め出されるのね。

せめて水を一杯でいいから飲みたいなぁ。

慧はそんな情けないほどに淡い願いも叶うことはない。


「キャー!!はぁはぁ言って欲情した男が私の家に入ってこようとしてくるー!!」

「いや確かに息は切らして荒いけれども、絶体お前なんかに欲情なんかせんわ!」


万が一、無窮の時の中で一度でもそうしたことが起こってしまったとしたら確実に命は無い。


「おい!イタズラもいい加減に――ん?」


慧が必死に扉を叩いていると腕に手錠がはめられた。

焦って汗を飛ばしながら後ろを振り返るとスタイルの良いスーツ姿の女性が立っていた。

暗くてよく顔がわからないが、スーツ姿に手錠を持っているところを見るに恐らく婦警さんだろうか?


「あなたを不法侵入およびわいせつ行為未遂により現行犯逮捕します!」


そう言って婦警さんは慧の腕にはめられた手錠の反対側を自分の手首にはめた。


「え!!?ちょっと待ってくださいこれには非常に大切な訳がありまして」


このときは本気で焦って平謝りを繰り返した。


「問答無用、署までご同行ねがいます」


婦警さんは少し強引に慧の腕をぐいと引っ張った。


「ちょっ本っ当にすいません僕、その……忙しくてそんなことしてる暇は……いやマジで勘弁してください」


慧が必死に弁解しているといつの間にか扉を開けていた湊の笑い声が聞こえてきた。


「湊、何がそんなにおかしい」


慧はこの状況を作り出した元凶の方に振り返って怒り混じりの口調で言った。


「ごめんなさい、本気で焦ってる兄さんが面白くて、ぷっはははは!」

「笑ってないで弁解してくれよ」


そう慧が言うと湊はお構い無しに腹を押さえて笑いこける。


「あはは、その必要はないよ兄さん」

「なんで?」


現在の状況が分からない慧を見て湊はあきれたような表情で言った。


「まだ気がつかないの?その人は姉さんよ」

「え?」


まさか、と慧は恐る恐る振り返ると慧の姉さん( ? )は薄く小さく笑い、被っている帽子を取る。

同時に帽子のなかにバレないように隠していたらしい黒髪がさらりと風になびく。


「相変わらずだな。お前は」

「ね、姉さん!!」


慧は驚くと同時に安心してほっと胸を撫で下ろす。

姉さんが現れたこともあって湊は慧に対する外でのイタズラを終了し、みんなでリビングに入る。


「えぃ!っと……本当に久しぶりだね、姉さん元気だった?」


湊は嬉しそうに言いながら持ってきた温かい紅茶の入ったカップを慧と湊の姉さん『弩 智得(ちえり)』の前と反対側に置いて湊は彼女と向かい合うように椅子に腰掛ける。

名前から分かるようにこの人は血の繋がった姉ではなく義理の姉弟、姉妹である。

智得はすまないな、と言って白い湯気のあがる紅茶をゆっくり一口飲んでから続ける。


「当たり前じゃないか湊。しかし今日はたまたま暇がとれたから来ただけでな、また明日朝早くから仕事に戻らないといけないのだがな」

「忙しいんだからしょうがないよ。ね、兄さん」


湊はニコニコした顔をニヤニヤに変えてこちらに視線を移す。


「あぁ、そうかもね……でもそれよりもさ……」


慧は現在、二人が紅茶を飲んでいる横でロープによって逆さ吊りをされていた。


「これは一体どういうことなのかの説明をしていただきたいのだけれど?」


慧は上下逆さまになっている二人に聞くと姉さんがカップを皿の上に置いて口を開く。


「お前は湊に欲情したのだろう?」

「それ、信じてたの?!」


素早い返答。

もしもこれが漫才ならば確実に突っ込みを入れられたであろうと自負するが姉さんの場合、会話のほとんどにボケはない。

というか本気でぼけようとするときは姉さんは正直言って面白くない。


「いや、私は途中から見たのでよくわからないが息を荒くしながら湊に近寄っていき、扉を閉めるのは見たのでな」


確かにその辺りからなら湊がカバンも受け取った後なので端から見たら僕が湊を襲おうとしているように見えていたんだろうか?

第三者からの目線なんてよく分からないからなんとも言えないが。


「それは単に僕が走って帰ったから息を切らしていただけで……」


とりあえず慧は智得の誤解を解くために説明をし始めようとする。


「うむ、事情はさっきの湊の反応からしてイタズラだとは分かっている」


あ、やっぱ説明はいらないみたい。

その一言で慧はそう確信する。


「わかっているのなら、ここから下ろして縄を解いてくれませんかね?姉さん」


知得はダメだと言うジェスチャーをし、言った。

うわ、側にいる湊の嫌みな表情がすごいイライラする。

しかしそんな表情を迂闊にも慧は見せるわけにもいかない。


「まぁ、イタズラのことは私からも謝るがその時の行動が頂けないな……湊にカギをかけられたとき、扉を叩きながら叫んでいただろう、近所の迷惑を考えなかったのか」

「うぐっ、そ……それは」


確かに走り疲れていたし、さっさと風呂に入って寝たいと言う自分優先に動いてしまっていたのは自覚しているし、反省している。


「あー答えなくていい、まぁその前に答えられないだろうがな」


上手く言えないのは図星だけど……なんだろうあの言い方に納得のいかない。

なんて思ってしまうのはまだまだ僕が子供だと言うことなんだろうか。

慧は智得を軽く睨み付けるが、無視して紅茶を飲み始める。


「……。」

「ん、もうこんな時間か。さて、明日に備えてそろそろ寝なくてはな」


しばらくワイワイと楽しそうに会話をしていた二人は時計に目をやり、片付けを始める。


「あの~~ねぇ~~ちよっとぉ~おーい」

「何?兄さん。今、急がしいんだけど?」

「いや~そろそろおろしてはいただけませんかね?」


あーぼぅーとする。こりゃかんぜんにちがのぼってんなぁーいや、あたまがしただからおりてんのかな?

そんなことはどっちでもいいんだけど、湊も分かっているだろうにニヤニヤしながらこちらを見る。

慧は今、自分の顔が赤い顔をしていることと思考能力が鈍ってきていることを自覚する。


「帰ってきてそうそうにあたしを見て欲情した淫獣の縄を解いたりなんかしたらナニをされるか考えただけでも恐ろしい」


湊は顔はニヤニヤさせながら自分を抱き締めるようにしてブルブルと震えている。

わざとらしい……。


「はぁー……すまないが朝まで反省してろ。(ここでおまえを下ろした後の湊の反応がめんどくさいからな)」

「……?」


何やら姉さんからのアイコンタクト。

内容の全く分からない慧は部屋から出ていこうとしている二人に向かって叫ぶ。


「だから、ごかいだぁ!……ぁ……あ~」


だめだぁあたまにちがのぼって……いしきが……薄れ。

リビングの明かりが消えるとともに慧の視界も暗転する。


「あー頭に血が上ってきた」


結局慧はこの夜は吊るされてたまま過ごすのだった。


「うぅー……ZZZ」


逆さ宙吊り状態で眠っていると耐久性を失ったロープが音をたてて切れ、慧は思いっ切り後頭部を床にぶつける。


「~~っ!!」


頭が、頭がぁー!

声にならない苦痛の叫びを上げて慧は頭を両手で押さえようと毛布の中で悪戦苦闘しながらゴロゴロと机の周りを2、3回ほど転がった後、芋虫のように身体をくねらせてこの無駄にしっかりとした頑丈なロープの拘束を緩ませて自力で抜け出す。


「や、やっと出られた」


慧はフラフラと立ち上がって壁に表示された時間を確認する。


「4時35分か……ふぁあ~~うっ寒いな」


慧は大きなあくびをしながら自身を縛り、吊し上げてたロープをほどいて畳んで机の上に置いてから冷蔵庫の中に作り置きをしてあるお茶をコップに注ぎ、一気に飲み干す。


「はぁー寝たと思うんだけどなぁ……ちぇっ全然疲れがとれてないなやっぱり」


ダウンジャケットを羽織ってリビングルームから出、自分の部屋に戻る。


「う~~寒々」


慧は手探りで部屋の明かりをつけ、身体を震わせながら急いでヒーターの電源を入れる。

ベッドの上にダウンジャケット置いて


「さてと……せめてシャワーだけでも浴びとかないとな」


ぶつぶつと呟きながら持ってきたハンガーにかけて着替えを用意、シャワーを浴びて昨日から溜まった汗を流すために風呂場へ向かう。

数分後、汗をきれいに流して身体を温め、さっぱりとした慧は制服に着替え自室に戻ると学校の準備を終えて朝ごはんを作るために再びリビングに向かう。

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