疵
すぐに警察が来て、あの天使に成りすました女を取り囲んでいた男たちはあらかた逮捕された。群集も何人か事情聴取を受け、わたしも当然取り調べを受けたのだが、幸いにもわたしは止めに入っていた側だということが何人かからの証言ですぐ明らかになり、事なきを得た。
あの偽天使の方は、あのあと病院に搬送されて息を引き取ったようだ。スコップの一撃がもちろん致命傷となったのだが、それまでに逃げている最中に石を投げつけられたことや、捕獲されてから何度も暴行を受けたことで、体のあちこちから相当な量内出血していたらしいことも死の遠因となった。
彼女がキエフ芸術学校の学生であることは所持品からすぐに明らかになった。なぜあのような成りすましを行ったのか、その動機についてはなんの手がかりもない。
だが、あの暴行の後、岩の上でひっくり返され、目隠しと猿ぐつわを外された彼女の顔をまざまざと見たわたしには、なんとなく彼女の行動に説明を付けられずとも、その意味だけは感じ取れるように思えた。
彼女はきっと、天使の唯一性をうち破りたかったのだ。同じようにやれば、誰だって同じように衆目を惑わすことはできる。あの天使に何か神聖が宿っているのではなく、行為自体にドラマが仕組まれていたのだから、天使の持つ暴力的なカリスマ性は、彼女の無能を証明することにはならない。
彼女はコピーキャットとなることで天使を礼賛したのではない。天使の持つ価値を一市民の悪ふざけと同等の位置まで引きずりおろそうとしたのだ。
天使の正体、と題打って悲劇的なショーがテレビの上で作られた。偽天使の在学中のなんてことのないような、若さゆえの目立ちたがりだとかそういったことを、ことさらに心の闇と結びつけ、最後には精神科医がそれらしい説明をつけるだけのものだ。
また、この一件によって、天使に対するキエフ市民の暴虐性というのが、甘美に隠匿されたみなの共通の秘密から、公のもとで非難されるべき一部の奇行となったことは明らかだった。
昨日の今日まで天使が苦痛に身をよじれさせながら断翼されるアニメーションgifでマスをかいていたとしか思えないデブのコメンテーターも、剃刀を握りしめながら毎日天使に呪いの言葉を吐き続けていたであろう不細工のタレントも、みながみな、言葉の上では〝とんでもない猟奇性〟に対する非難を申し上げはじめた。
ある意味で天使はその死によってついに神聖を獲得しはじめたといっていいのかもしれない。
夫以外の子を孕んだ雌豚として一生指を指され続けただろう聖母マリアが、死後ようやっとお祈りの対象にまでなったように。生前は精神病患者の童貞として罵られ、疎まれたであろうミヤザワケンジが死後、女子学生にもっとも愛される詩人となったように。
しかし、天使がおとぎ話の中に登場できるのは少なくともあと十年は待たねばなるまい。実際に彼女と接した我々の感情が堆積物のうちに埋もれてしまうまで。
それまでは、彼女は最後まで自分勝手に犠牲者面して死んでいったことを恨まれ続けるだろう。このことについては確信しているが、彼女の死を本当に悲しんでいるものはなく、今だにキエフ市民の大部分は彼女のことを憎しみ続けている。
そもそも天使の正体があの女学生によるなりすましだった、と考える人が少ないのも事実だった。警察の発表上でも、マスコミの報道でも、これにてキエフの天使騒動は終わり、とするものが多かったが、誰もあれが本当に天使だったとは考えていない。むしろ、彼女を実際にみたことがない大多数の人間ですら、実在する天使にあの女学生が便乗しただけだろうと考えている。わたしからすれば、偽天使と明らかに姿形の異なるほんものの天使を一度見ているわけだから、なおのことであった。
ほかにも何人か、実際の天使を見かけた人物はいるらしく、たとえばその存在は街路で僧服に身を包んで声高に偽天使とは別にほんものの天使がまだキエフにおわす、と説教をぶつ僧侶や、今だに夜を徘徊してほんとうの天使を探そうとする男たちによって示された。
そして、あの日から、キエフの街は少しだけ物騒になった。
天使に対する怒りを自分の中で好都合に捻じ曲げて、彼女の権利を代弁することこそが正義であると確信するに至った一部の勘違いと、彼女に対する怒りを理屈の通らないものと分かりながらなお間違っていると認められないグループが、夜の街で出くわすとともにちょっとしたもめごとを起こすようになったのだった。
また、そのことがわれわれの苛立ちをひとつ増やした。天使は、かようにそこにいるだけで周りの人間たちに強い影響を及ぼしてしまう。しかし、彼女に一体なんの権利があるのだろうか?
われわれは、ある意味で彼女を無視してしまいたいのだ。彼女には実際になんの権利も実際的な中身もなく、単なる一隣人として目の傍にも止まらないものであってほしいのだ。なんとなれば、それはわれわれの無能を、無能ゆえの埋没をことさらに強調するものであったから。
この前の騒動で出会ったコプロラリアの女とは、なぜかその後も会うことが多かった。住む場所が比較的近かったのだ。明確に天使に憎しみを抱いている点が明らかであるからこそなせる会話をするうちに、自然とそのようになっただけではあるが。
そしてその女は、天使に対する憎しみが実にミソジニー的であることを指摘してくれた。
「だからねクソたれ小僧(以降彼女のチック症状としての汚言はこちらで勝手に割愛する)、あなたたち男って言うのは本質的にはどうでもいい性なわけ、たとえば男が五十人に女が一人の群れと、男が一人に女が五十人の群れだったら、どっちの方が多くの子孫を残せるか、って話。わかるでしょ? こうやって性的に弱くて二義的な役割しか果たさないからこそ男はその余ったエネルギーを肉体の強化だったり、それを使っての狩りだったりに費やすことでしか自らの価値を高められないの」
わたしのアトリエに勝手に入り込んだ彼女は、自由に酒を空けながら一息に話し始めた。
それでね、と女は続ける。
「だから、逆に返せば、女ってのは存在するだけでもう人類にとっては〝価値〟なの。だから、なにかを努力しないと認めてもらえない男たちは、その無条件に保証された女の価値を親指咥えてうらやむしかないわけ。」
彼女は確かにコプロラリアの常として、正直に告白すればわたしもどうしても白痴として捉えがち(また、単にそう捉えたいだけなのかもしれない)なのだが、少し話を聞かせるだけで奥に隠された――こういっていいならば、けしてドストイェーフスキイ的ではなく、オースティン的な――機知と正確性と、それに矛盾しない意地の悪いサービス精神をもってその知性を証明できた。
「ああ、もうわかった……われわれの天使に対する憎しみも、似たような構図なんだな」
「ってわけ。あの天使がたとえば単なる美男子だったとしたら、ここまでの嗜虐性ってのは見当たらなかったはずよね。……で、男たちってのは、そういう風に常に存在意義において女に負ける側だったからこそ、有史以来の長い時間をかけて、紀元前付近に聖書の完成を持って男系氏族社会を作り上げたのも、女性の権利や自由意思、能力を無視し続けてきたのも、ぜんぶあなたたちの業績と言えるけど。そういう圧迫は、女だけじゃなくてあなたたちの首も絞めてるの。……そのことに耐えられなくなった人間からミソジニーに走るようになるんだわ」
はあ、とため息を吐く女。物言いたげにわたしを下から見つめると、なおも言葉をつなぐ。
「天使は、いかにも男の抑圧から自由であるかのように振る舞うわね。その点が、あなたたちが耐えられない点のひとつ」
「ちょっと、待ってくれ。男が女を……いや、天使を憎むわけはわかったが、じゃあ、なんでお前まであの天使を憎んでるんだ?」
わたしがつい疑問を挟むと、女は軽く目を見開いた。予想だにしていなかった、という表情だ。しかし、すぐに悲しげににやりと笑い、
「でも、エミネムがギャルに受けてるのを考えたら当然じゃない? ミソジニーは男だけのものじゃないのよ。たとえば、男の根本的な劣等感によって社会的に正しく評価されない能力を高めてしまった女は、自分の性を、その重要さの無条件さのために恨むようになるはずだわ。わたしはわたしだから必要とされてるんじゃない、女だから必要とされるのだ、ってね。この思い込みはやがて自らの性の否定につながって行く……。女をまるで感情のないものであるかのように扱う男が案外モテるのも、この辺に理由があるのかもね」
ははあ、なるほど……。
「わたしは、こんな障害を持ってるから、女だから、って理由で必要とされることすらできなかったの……だから、あんなに愛されてしかるべき天使様を恨んでしまうのも当然だと思わない?」
この発言に、わたしは本来ならなにか同調をしてやるべきだったのかもしれない。しかし、自嘲交じりにそう述べる彼女にわたしは明確に殺意を覚えた。そして、全人類のないものねだりの墓場として用いられてしまっている天使に、はじめて心からの同情を覚えた。
「……それで、天使がここまで憎まれるふたつ目の理由だけど、あの傷跡」
「ああ、それについてはわかる気がする」
たとえば、あの天使が両方の翼をきちんと揃えていたならば、おそらく陰湿な憎しみはすぐに無関心に取って代わることが出来たはずなのだ。
「別に、奇形のくせに衆目を集めるな、そういう屈折ではなくて……もっとこう、なにか、見せつけられるようで嫌じゃない」
たとえば、目にあざを作って、腕に焼け焦げを作って学校に登校してくる少女が、わたしの出身であるウクライナ西部の小学校のクラスには必ずひとりくらいはいた。親の暴力という不可避の不幸を、ことさらに主張するかのような徴。
もちろん、その女の子に罪や責任はなにひとつとしてないのだが、それでも彼女には、〝ふつうの〟生活を送るわれわれに後ろめたさを感じさせるような権利は全くないのだ。
子供は正直だから、そういった虐待児はすぐにその越権行為をとがめられ、苛めの対象となる。虐待児は自分がなぜみんなに嫌われるかを理解しているから、泣くことすらできず、曖昧な笑みを浮かべてしまい、それが余計に癪に障る。
「どうしようもないのよ、あたしたち人間は。弱さを外から与えられなかった人間は、自分の中からそれを用意しないといけないの。だったら、幸運にも自然だとか、親だとか、社会だとかに否定してもらえたおかげで自分の責任を考えなくていいひとたちと、誰からも否定してもらえなかったせいで、こういう弱いひとたちに憎しみの目を向けなきゃいけなくなったひとたちと、どっちがかわいそうなのかしら」
わたしは興味のないふりを装って鼻から息を吐いた。
天使はついに右翼活動のシンボルに使われ始めるところまでいった。天使の右翼はウクライナのシンボル、もぎとられた左翼はベラルーシだとでも主張するつもりだろうか。そして、それは、今なお根強いロシアの呪縛から解き放たれるための翼。
必然的に過激になる夜のキエフの喧騒は、ついに警官隊がパトロールするまでになった。
今のウクライナは汚い。無様だ。それは、ベラルーシに一度旅行してみればわかる。キエフの街路はろくに掃除もされず、ドニプル川は汚染され、上水は別水系から取る羽目になった。すべてをロシアのせいにするのはお門違いだろう。だが、ソ連崩壊前はこんなではなかった。翻ってミンスクの街並みは、たしかに貧弱でさびしい。だが、そこに活動する人々の精神の調和は結果として街全体、国全体の調和につながっている。もちろんすべてはロシアの威光のもとにある……それでも、かれらを敗北主義と罵ることが誰にできよう? ウクライナ人に、その権利はあるのか?
右翼活動のシンボルとして天使が使われることはたしかに不自然ではない、が、天使はむしろわれわれにとって打倒すべきロシア、唾棄すべきベラルーシであって、侮蔑すべきわれわれの頑迷さを嘲笑っているのではないか?
しかし、だ。ふと気づいた。なぜ天使の翼が右にあったことにされているのだろう。いや、それよりも、偽天使はなぜ翼の位置を間違えたのだろう。
ボリスの執務室でひさびさに酒を呑みかわしながらその疑問を口にすると、ボリスは首をかしげた。偽天使が翼を逆の位置につけていたなんて話は誰もしていないというのだ。
「いや、でも俺が見たのは左だったはず……」
うっかりそう言ってから、はっと気づいた。やっぱり見てたんじゃねぇかとボリスが苦々しげに言う。
「まあ、そういうことなんだが……」
でもよ、とボリスはコンピュータのディスプレイに一枚の天使の写真を呼び出した。
「ほら、見てみろよ。右だろ?」
わたしは驚愕する。まさか、見間違え? そんなはずはあるまい、なら、どうして?
もしこの写真が本物だとしたら、あの女学生は正しい位置に翼を付けていたことになる。しかし、わたしの見た天使はそしたら、一体何なのだ?
矢も楯もたまらずボリスのオフィスが入ったビルを飛び出す。歌が聞こえる。その方向に走り出す。ボリスがわたしの奇行にどう思ったかは考えないこととする。
警官のサーチライトに怯えながら、できるだけ細い路地を、たまに上の方に目線をやりつつ行く。
走りながら、一つの発想が頭の中で出来上がっていった。
天使は、もしかして双子なのではないか?
当然の仮定がわたしのなかで組み立てられた。そう考えると、ひとつのありうべきストーリーが頭の中に組み立てられる。
きっと、片翼の天使は二人いて、このキエフで待ち合わせをしているのだ。わたしにだけ聴こえるあの歌は、片割れを呼ぶための歌で。
そう、わたしが見たあの天使も、あんな高いところにじっと座っていた。常識的に考えて、音かなにかの手がかりでもない限り見つけられるわけがない。
なのに、天使の目撃情報が相次いだのはなぜか? 地を駆ける天使の姿が写真に収められ、ヒドロパルクなどという場所に天使が現れたことを皆が信じた?
それは、おそらく、地を駆けて片割れを探す天使をこそ市民はキエフの天使と認識していたからだ。
右翼の、地を行く天使は何度もキエフの市民に発見され、妨害され、今の今まで左翼の――わたしの知る――天使に出会うことが出来なかった。そして、彼女を待つ左翼の天使は歌い続けたのだ。
なんの根拠もない想像ではあったが、どこか確信を持った私はキエフの街を、聖ソフィア大聖堂を目指して走った。彼女はそこにいるはずだ。
息を切らして走るわたしを急かすかのように、歌が途絶えた。この時間に歌が途絶えることは普段ない。まさか、左翼の天使も誰かに捕まえられたのか?
大きな音を立てて街を駆けるわたしに警官もすぐに気付き、あとを追ってきたようだ。しかしそれすら今はどうでもよく、聖ソフィア大聖堂の正門を堂々と開けてその敷地内に入り込む。
簡素で力強いウクライナ・バロック建築を月明かりが照らしている。
天使はどこだ? あのチタン色の翼の輝きをわたしは必死になって探した。
歌が聴こえない以上、手さぐりで探すしかない。外周をぐるりとして見つけることが出来なかったわたしは、思い切って聖堂の内部に入り込んだ。鍵はそもそも存在しない。
いた。
乙女オラントの像を目の前に、彼女たちはいた。
わたしの前に姿を現した左翼の天使が。キエフ市民の前に姿を現した左翼の天使が。彼女たち、サンダルフォンとメタトロンはやっと会えた、とでも言いたげにやさしげな表情で、キエフ市民を巻き込んだすべての騒動に全く無関心であるかのようだった。しかし、今となってはそんなことにいらだちを覚えることはなかった。
ひとりの天使はわれわれを不快にさせるのだが、ふたり揃うと不思議とそれはあまりに自然すぎて――というよりも、不自然さが一切なくて――もはやなんの感情をも抱かせることはなかった。
そしてわたしは気づいてしまう。
彼女たちの奇形は、片翼であることではない。
彼女たちが持つ傷跡は、翼を断ち落とされたためにできたものではない。
彼女たちの傷跡はつまり、そこでもう片方とつながっていたことを示している。
左翼の天使と右翼の天使の傷跡は遠くからでも一致することが見て取れた。間違いない。彼女たちの奇形とは、肩甲骨の周りが癒着した形で生まれたシャム双生児であるというところにあったのだ。
しかし、わたしの愕然も気づきも、彼女たちになんの意味も与えることはない。天使たちは執拗にわたしの存在を無視し続ける。そして、それは当然のことであった。呆けたようにそれを眺めるわたしは、自分が床に座り込んでいることにも気づいていなかった。
ふたりは抱き合って、確認するかのように何度かはばたく。
あの一人分には大きすぎる翼は、二人分の体重を支えるためで。完全に息の合った一対の翼は、ふたりをまるで花びらであるかのように宙に軽く持ち上げた。
ちょうどそのとき、何人かの警官が大聖堂のきしむドアを開ける音がした。
天使たちは天窓を両手で押しあけて、そこからキエフの空へと飛翔する。
警官は床に座り込むわたしに一瞬目を向けたのち、わたしの視線をたどってすぐに天使たちの存在に気付く。
天使たちはもう後姿しか見えない。
銃声。
天使の遺体は発見されなかった。錯乱した警官の撃った弾は当たらなかったのかもしれない。しかし、弾は聖堂内のどこからも見つからなかった。
双子の天使がキエフの街を去ったという知らせは公式にはもちろん発表されず、メディアにすら流れることはなかった。だが、発狂して発砲した警官の処分などから噂は広まってゆき、ついにキエフ市民のほとんどがあの夜に何があったかを正確に知るところとなっていた。
それよりも興味深い話があとひとつだけある。そのあとキエフの街であるときはこっそりと、あるときはおおっぴらに売り買いされるようになったものがあるのだ。天使の羽である。
いかにも自然界には存在していないように思えるチタン色の重厚な、本物らしいものから黒や白の鳥の羽をそのまま並べただけと思しきもの、果てははなから人工物であることが明らかなおみやげ品レベルのものまで、わたしは財力の許す限りそれらを買って集めた。
本物らしい羽だけを集めて翼を形作ろうとするだけで、一対どころか優に五、六対は作れそうな量になることには苦笑せざるを得ないが、これはこれでキエフの市民からの天使たちに対するアポロジャイズなのだろう。
天使たちの欠けた翼は、ボリスにとって民衆の無教養であった。コプロラリアの女にとって彼女の障害であった。わたしにとっては金にならない絵筆だったのだろう。キエフ市民の大部分にとってそれは失われた誇りと多少の天然ガスだったのかもしれないし、男たちにとっては女の傲慢さ、女たちにとっては男の理不尽さであった。
だが今や彼らは片割れを見つけたのだ。
わたしはそれからも時折夜のキエフを歩いては、歌が聴こえないか、聖堂の屋根に腰かける不届きな天使がいないか、羽の一枚でも落ちていないかと探すことがある。そして、期待を裏切られるとこうつぶやくのだ。たとえその言葉が一面の真実をすら捉えていなかったとしても。
「わたしたちはお互いに片翼の天使であり、お互いを抱き合っていないと飛ぶことすらできない……」
翼ある疵 田村らさ @Tamula_Rasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます