3.

 第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル公邸。

 皇都デグランディにて、それは壮麗に誂えられた庭と二階建ての屋敷、使用人や近衛隊のための宿舎などを持つ。特筆すべきは常駐する近衛隊の数である。常備兵120――彼らが利用する宿舎もかなりの大きさになる。実際には一日のうちに何度がローテーションが組まれているが、非番の交代要員も含めればその倍以上が第三皇子の警護を担当していることになる。これは第三皇子が軍に強い所縁ゆかりがあるためであり、多くはほとんど彼の私兵に近い。

 公邸を訪ねた岡島はその顔ぶれを眺める。女性の比率が高く、その多くが胸部に「見事」という他ない豊かなものを誇らしげに実らせていた。それでいて歴戦の兵らしく全身の筋肉はすらりと引き締まっている。その光景は皇子の趣味を連想せずにはいられなかった。


「よく来てくれた。かけてくれたまえ」

 岡島は曠野あらのを連れて呼び出しに応じ、応接間に通された。

「さっそく本題へ移ろうか。そちらでもとっくに掴んでいるとは思うが――」岡島の様子を窺うように、皇子は話した。「弟の――つまり、第四皇子ブエルに不審な動きがある」

「と、おっしゃいますと?」岡島はきょとんとして続きを促す。

「なんだ、知らないふりか? ま、いずれにせよ話すことは変わらない。やつのもとに見知らぬ人物が出入りしている。行き先不明の非公式な外出も増えた。そして、皇国の機密資料に関心を示している素振りがある」

「もう少し詳しい内容を伺えますか」

「主な行先はレイティリス魔工。やつが懇意にしている企業だ。公邸に出入りしているのは男女の二人組。それくらいだな。その先は君たちの仕事だ。あいつがなにかやらかそうとしているなら、それを止めろ」

「なにか、とは?」

「わからん、が、確実になにかを企んでいる。直接問い詰めたが適当にはぐらかされたからな。なにもなければそれでよい。なにかあるのは間違いないがな」


「どう思う、曠野」

 二人は第三皇子のもとを離れ、相談を始めた。

「なにかしようとしているのは第三皇子の方で、我々の目を逸らすためのブラフ、とか」

「想像としては楽しいな。だが、殿下の仰った内容はほぼ正確だ」

「ですね。第四皇子はなにかを企み、動いている」

「ただ、兄の第三皇子にまで不審な動きを知られているのは不可抗力か、あるいは意図してのものか、だ」

「どうでしょうね。あえて情報を漏らしていた可能性もあると?」

「考えすぎかもしれん。微妙なところだが、本気で秘密裏に動いているつもりなら痕跡を残しすぎている気がしてな。我々も第四皇子に直接話を聞いてみよう」

 内部犯罪調査室はもともと、第三皇子の起こした不祥事をきっかけに設立された。

 皇子の持つ非公式な権力の濫用、それが二度と起こらぬようにと皇王によって指示されたものだ。よって、彼らの主な仕事は皇子の監視にある。そしてその目的は、事件を起こしてしまってからの逮捕ではなく、皇族の権威を守るため事件をそもそも「起こさせない」ことにある。岡島が「意図して情報を漏らしているのではないか」と訝しんだのはその点である。第四皇子はなにかことを起こすにあたり、内部犯罪調査室のその性質を利用しようとしているのではないかと考えたのだ。


「申し訳ありません。ブエル殿下は現在、不在となっております」

「というと、二日前から?」

「はい。あのとき以来、一度も帰っていません」

「遅かったか。殿下は護衛や使用人を連れていたか?」

「近衛隊を一人。ロイ・イヴァナズ、殿下が最も信頼しておられる忠実な臣下です。最近はずっと病に臥せっていたようでしたが……」

「例の訪問者についてはなにかわかったか?」

 内部犯罪調査室はそれぞれの皇子のもとに近衛隊や使用人に内通者を潜ませている。皇子らからすれば、それは公然の秘密である。岡島と今話しているのがその一人だ。

「以前お話した、何度か殿下のもとを訪ねている不審な二人組でしょうか。残念ながら、なにをお話になっているかまではわかりませんでした。ただ、人相の似顔絵は描けています。こちらです」

「助かる」岡島は手渡された似顔絵を眺めた。

 男と女。細部までよく特徴が捉えられている。

 男の年齢は30代ほどだろうか。長めの白髪を後ろに束ね、精悍な顔立ちをしている。鉛筆画であるため着色はされていないが、注釈によれば瞳は濃い群青色をしていたらしい。腰には長い刀を差している。

 女はもう少し若く見える。黒の短髪。真っ赤な口紅に黄金に輝く瞳。表情は道化のような笑みを浮かべている。似顔絵だけでもただならぬ雰囲気を感じさせた。

 隣には簡単な全身図と身長の推定値があり、男は185cmほどで女は170cm。そして、二人が共通して身に着けていた首飾りのスケッチも別途描かれていた。宗教的な象徴を思わせたが見慣れぬ形で、錨のようにも見えた。あるいは、紐を掛ける円に足が二本生えたような形だ。

「この首飾りは?」

「不明です。特徴的なものでしたので、なにか手掛かりになればと」

「集団魔術の帰属性を高める標章のようにも見えるな」

「そうですね。特に女性は大事そうに撫でている様子でした」

「他になにか気づいた点はあるか? 些細なことでもいい」

「少しすれ違った程度ですので……印象としましては、二人ともかなりの魔術者であると思いました。女性の方は絵にも表れていますが、どこかゾッとするというか……」

「男の方はどうだ?」

「単なる印象ではありますが、女性とは不釣り合いで、誠実そうに感じました。殿下に対して対等であるかのような態度も気になりました」

「十分だ。ありがとう。第四皇子の行方はこちらで調べる。近衛には捜索を自重するよう伝えてくれ」


 ***


「お、ついに事件か? いい加減仕事がしたかったところだ」

 本部へ戻り、会議室へ一同を招集する。その意味を察したアズキアは意気揚々としていた。岡島はその様子をちらりと確認する。レックの報告を鑑みるに、その態度は虚勢のようにも思えた。ひとまずそれは置く。

「第四皇子に妙な動きがある。得体のしれない人物との接触。レイティリス魔工への頻繁な出向。そして、二日前から彼は行方知れずになっている。なにかが起こっている、あるいは起ころうとしている。それを探らねばならない。そして、事件を未然に防ぎ、“起こらなかった”ことにするのが我々の仕事だ」岡島は似顔絵を取り出す。「皇子と接触していたらしい人物だ。一応聞くが、見覚えのあるものはいるか?」

 各員はまじまじとその顔を眺める。目を凝らし、記憶を探るが、首を横に振る。ただ一人が顎に手を当てたままじっと絵を眺めていた。

「この首飾り……」ディアスがぼそりとつぶやく。

「どうした、見覚えがあるのか」

で見た気がするね。依頼主が、たしかこんな首飾りをしていた」

「詳しく頼む」

「4年前だ。アッタンに潜入して機密資料を奪え。そんな依頼だった。その資料というのが……あー、なんだったかな」

「その事件なら覚えている。九ヵ国封印の資料だな。お前がここに加入したとき、過去の罪状は洗いざらい吐いてもらっているが、そのときの記録にも残っている」

「そうだったかな?」

「だが、首飾りのことは初耳だな」

「すまないねえ。室長のように完全記憶を持ってるわけじゃないもので」

「一応聞くが、顔に覚えはないのか?」

「ないね。相手も顔を隠していたし、印象としては下っ端の使いって感じだった」

「依頼主はグロウネイシスを名乗っていた。そうだな」

「ああ。要は模倣狂信者ネオグロだと思うけどね」


 グロウネイシスとは、凪ノ時代にキールニールを崇拝した狂信者集団を指す。全人類にとって不倶戴天の厄災だったキールニールに対し積極的に利する行動を繰り返した彼らは同様に人類にとって敵であり、キールニール自身にとっても煩わしい存在だった。ゆえに、彼らが現在まで残存などしているはずはない。キールニールによって滅ぼされ、その残党も一人残らず殲滅されたはずだからだ。

 現代において「グロウネイシス」を名乗るものたちは、その復興を目的とするものや悪辣な趣味による模倣者であり、彼らはオリジナルのものと区別され、ネオ・グロウネイシス――通称「ネオグロ」と呼ばれる。

「ネオグロか。だが、この紋様に見覚えはないな。ネオグロもいくつか派閥を知っているが……」

「それっぽいのをつくってみたんじゃないかな」と、ヌフ。

「わからん。もしかしたら、本物のグロウネイシスかもしれん、と思ってな」

「本物! まさか」

「え、“かもしれん”って、本物はどんなのつけてたの?」リミヤが素朴な疑問を漏らす。

「グロウネイシスに関する史料はほとんど残っていない。というより、凪ノ時代の史料そのものがそもそも多く欠損しているが、グロウネイシスは特に忌み嫌われた邪教だ。徹底した排除と抹消がなされた。こんな首飾りをしていたかどうか、なんてのはまるでわからん。現在ですらネオグロが湧いて出ている。史料が見つかったとしても、軍はあえて公開もしないだろう」

「なんにせよ、早急に対処が必要な問題なのは間違いありませんね」と曠野。「ネオグロといっても、現在はその崇拝対象であるキールニールが不在であるがゆえ実害はさほどありません。基本的には若者の火遊び程度のものです。実際に犯罪行動に発展しないかぎりは危険思想者として憲兵の監視対象に留まっていますが、なかにはかなり過激な連中もいます。皇子が彼らと関わっているなら、それだけで唾棄すべき醜聞スキャンダルとしては十分ですね」

「彼らの正体を探る必要がある。ネオグロと一言にいっても彼らは一枚岩ではないし、一つの組織でもない。傾向も様々だ。グロウネイシスそのものを模倣するもの、あるいはグロウネイシスのようにキールニールを崇拝し結果としてグロウネイシスのように振る舞うもの、あるいはその両方を兼ねるもの。わざわざそれらしい紋様までデザインするとしたら、どの種別だと思う?」

「または、なんらかの方法でオリジナルの紋様を知ったか。室長はその点も疑っているんですよね」

「そうだな。そうでなくとも、なにかしらモチーフとなったものはあるかもしれん。その線で調べてみよう。心当たりがある」

「あとは、霊峰アッタン魔術研究所とレイティリス魔工ですね」

「そうだ。アッタンにはディアスと曠野で向かえ。4年前に奪われた資料について詳しい内容を聞いてきてくれ。レイティリスはレグナとレックだ。第四皇子がどういった用件で訪問していたのかを探ってくれ」

「了解」と、返事の声が重なるなか、ディアスは目を丸くしている。

「いや、室長、俺はちょっとあの場所で、あれですよ」

「顔は隠したうえで完璧な仕事だったんだろう? なら、当時を知るお前が行けば聞き込みもスムーズにいくはずだ」

「あー、まー……、了解。面の皮厚くしておきますよ」

「以上だ。移動はレグナ、頼む。まずは俺から、次にアッタン、そしてレイティリスだ。お前の方で用件が済めば順々に回収してくれ」

「了解しました」

 そこまで話を終え、それぞれが仕事の準備に取り掛かるなか二人ほどぼんやり固まっているものがいた。

「あれ? ちょっと待ておれらは? おれら暇じゃね?」

「えーっと、私の仕事はー?」

 アズキアとリミヤだ。

「お前たちは荒事担当の戦力だ。今はまだ荒事の予定はない。そして、その戦力としても、正直なところまだ不安が残る」岡島は頭を掻きながら。「よって、もうしばらく訓練だ。こちらで手配しておくから、それまでは待機」

「なに!」声を荒げたのはアズキアだ。それからあーだこーだと文句を喚いていたが、適当に押さえてあとはそれぞれ仕事へ向かわせた。


「あんた……ってのはなにをしてたんだ?」

 解散前、レックがディアスに会議中に気になって仕方なかった疑問をぶつけた。

「殺し屋。ま、いま話したようにそれ以外にもいろいろやってたけどね」

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