天才と何とかは紙一重

 以前、どうやって描写しようかと頭を抱えてしまったことがある。それは“天才”というやつ。それも自称他称ではなく、真の天才についてだ。

 以前に自身のホームページで書いていたスペース・オペラで、サヴァン症候群の少女を登場させた。この作品の世界観ではサヴァン症候群は完治、或いはかなり改善させることが出来る、としていたが、少女はまだそれに至っていない。膨大なデータから瞬時に最適な組み合わせを見つける、或いは少ない情報からでも最適な解答を導き出せる、真の天才。

 普通に描写する程度なら問題ない。必要な役割を演じさせるのは比較的簡単。しかし後に彼女のサブ・ストーリーを作ろうとした時、非常に困惑した。


 天才が何を考えるのか、さっぱりわからないのだ。


 六畳ひとまは凡人である。或いはそれ以下かも知れない。そんな凡人もどきが考える天才なんて、“凡人が考えた天才”程度にしかならない。

 真の天才は、凡人の考えなど軽く踏み越えてしまう。全く想像のつかない領域まで簡単に行ってしまうのだ。


 中学生の頃、変な友達がいた。勉強なんてろくにしないのにテストは常に学年3位以内、授業中に教科書を眺めるだけで何となく理解できるんだそうだ。もちろん塾にも行かず、家では遊び呆けていた。

 仲のよい友達だったので数人でつるんでよく遊んでいたが、周囲からの評判は「何故か勉強だけは出来る変人」だった。

 思いもつかない突拍子もないことを考えたり実行したりして、いつもクラスに迷惑をかけていた。本人には全く悪気はない。

 その時は、へんな奴だな、程度にしか考えていなかったが、後になって思い返せば、あれこそ天才、或いはそれに近い者、だったんじゃないかと思う。奇妙な行動も見方を変えれば筋が通っていた。ただ当時では理解できなかっただけで、今の自分でもそれを考えられるか怪しいものだ。


 『コード・ギアス』のルルーシュや『デス・ノート』の夜神月も天才と呼ばれていたが、正直、やっぱり凡人が考えた天才を超えてないという印象だった。


 同じ意味で、全く正反対のバカの描写も難しい。どんなにバカをやっても、“突拍子もない真性のバカ”にするのは非常に困難だ。

 残念ながら、この真性のバカについても数人に心当たりがある。それも社会人になってからのほうが出会う率が高かった。

 こんなことを書くと、差別発言だのなんだのと叩かれそうだが、もしかしたら本人も知らないだけで、発達障害か何かの要因があったのかも知れない。


 天才(或いはその逆)を描写出来るのは、やはり天才だけなのかもしれない。

 少なくとも六畳ひとまには、天才にしろその逆にしろ、“凡人が考えたもの”程度にしか考えられないことを認めよう。

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