読めない小説:覚悟がいる

 生涯、こりゃあ無理だな、と思った小説が幾つかある。

 どんな小説かというと、覚悟がないと読めない小説。

 覚悟と言っても色々とあるが、とにかくそれを読むために、他を全て犠牲にしなければならなかったり、全身全霊を持って取り組まないといけなかったり、生半可な気持ちで読めないやつだ。

 元来、脳がZ80程度の処理能力しかなく、記憶力が2D-FDにすら劣る六畳ひとまである(※)。


“小説を書くためには制限なく色々と読まないといけない”


“読んで勉強するのも物書きとしての資質”


 みたいな思いが昔からあるため、それこそジャンル不問に詩集、哲学書からちょっと有名なクラシックの楽譜まで読んでた時期がある(最近はめっきり読書量が落ちた。逆に漫画は増えた)。


 しかし、だ。手にとった瞬間から、或いは本屋で背表紙を見た瞬間から、「もうこれは無理だ」と思わせる本もあった。「読むには相当の覚悟がいる。読みきれるかも分からない」と読む前から絶望的な気分になる。


 例えばメルヴィルの『白鯨』。

 ストーリーだけはある程度知っていたので、世界十大小説の一冊に恥じない、心踊る冒険を期待していたが……とにかく横道に逸れる逸れる。

 ストーリー部分はいいんだけど、捕鯨の知識とか鯨の種類、生態とか、当時の世情の蘊蓄とか、もう関係ないことが凄まじく多すぎて、何度めげかけたことか……。

 映画なんかで一節がよく引用される白鯨は絶対に読んでおこうと思っていたが(ピカード艦長もやってたし)、結局、読み終えるまで二年近くを要することになった。


 例えばドストエフスキーの著作。

 『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』は今でこそよい作品だと思うけど、もうほんとに読み終えられるのか分からなかった。『白痴』や異色作の『白夜』も好きだけど全体的に凄まじく読みにくい。

 読み終えた時は、達成感よりも疲労感が勝った。


 例えばユーゴーの『レ・ミゼラブル』。

 大長編もさることながら、登場人物の多さと込み入った構成は圧巻。救いはとにかく面白かった、ということ。登場人物に感情移入できないところもあったが、総じてまだ読めた小説だった。

 ただやっぱり覚悟がいったのは、情報量が多く、ちょっとでも読み飛ばすと全然わからなくなること。


 他にもミルトンの『失楽園』やダンテの『神曲』も、あんなの小説ですらないじゃないか。凄まじい文字の絨毯爆撃で、ページをめくる度に目眩を覚えた。


 埴谷雄高の『死霊』なんて難解さの極致、ちゃんと理解して読める人間がどれほどいることか……。


 家を訪ねて来る宗教屋からせしめた色々なバージョンの聖書なんかも創作資料として置いてあるけど、まだそっちのほうが読み易いし、理解し易い。


 カクヨムでもたまにそういうのを見かける。

 最初から情報量が多い作品は、何が伏線に関わって来るかわからないから、色々と覚えていかなきゃならない。世界観だったり設定だったり登場人物の特徴だったり。

 単語や言い回しが難しいのも読むのを躊躇わせる要因。作品の雰囲気作りのための古めかしい地の文の語りや、逆に独創的な概念を理解するために努力を要する作品は、「来たか……」とちょっとため息が出る。

 もちろん、そういう作品でも面白かったものも多いし、ダイレクトに作者の知識量や頭の良さ、迸る才能を感じる時もある。凡庸にすら届かない六畳ひとま的には羨ましい限りだ。

 ただ、明らかに「これ、カクヨムでは完全に場違いなんだよな」というのもあるから、上手くいかないんだよな。


 意識してやっている作者もあれば、その才能ゆえに無意識に難しくなってしまう作者もいるだろうけど、やっぱりそこはちょっと目を向けてもらいたいところ。

 面白い作品が読まれないのはもったいないからね。


※Z80は良いCPUである。2D-FDは最終的に10枚組とか当たり前になったが、少ない容量で知恵を重ねて工夫するというのは日本人気質にあっていたように思う。ここでは両者を貶める意図はなく、あくまで六畳ひとまの能力への例えである。

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