針と糸、赤錆の国

発条

第1話 知覚する物語

 東雲真広しののめまひろは、一介の高校生に過ぎなかった。

 平凡な毎日を億劫に感じる事は有っても、それを変えようとは思わなかった。

 自分が物語の住人では無いと知っていたから――だから。

「なん、……だこれ」

 呟きは誰にも聞こえない。目の前に広がる知らない世界に、真広はへたりと尻をついた。

 ガタガタにひび割れたコンクリートジャングル。蔦と苔、ぼうぼうに生えた雑草だらけ。先ほどまで見ていた綺麗に整備された街とは打って変わって、あれから何十年、何百年も放置された後の様だった。

(どこだよ……どこだよ此処!?)

 緊張と困惑、動揺、混乱。内側から動悸が鳴り響き、身体はぶるぶると震えだす。人気のない世界に、自分しかいない現実は容赦なく彼の恐怖に加算する。

「ぃ、いやだ……」

 絞り出した言葉と共に、真広は凸凹ばかりの不安定な地面の上を走る。

 誰かいないのか。動物でもいい。俺を安心させてくれ。悲しい。さみしい。帰りたい。

 鼻がつんと上を向いた。どこからか、オイルのきつい臭いがする。誘われるがままに足を向けた。腐った生ごみが散らばっている路地裏の曲がり角に、ぶら下がった電光掲示板が文字を浮かべてバチバチと光っている。

此方コチラ ミセ

 靴がばちゃりと何かを踏んだ。ぬめりとした光沢。オイルが点々と先に続いている。奥からはビィビィと何かの電子音。真広は初めて希望を大きく膨らませ、角を曲がる一歩を大きく踏み出した。

 ——そこは、一見すればただのコンビニだった。かなりの老朽化が進んでいるものの、真広の世界でもよく見るチェーン店。知っている名前に出会いほっとするのも束の間、コンビニの前でしゃがんだ女に目を見張った。唾を呑み込む音は、辺りに大きく響き渡る。

 オイルの臭いを全身に引っ提げて、緑の作業着姿の女が此方を振り返った。顔に張り付いた長い髪をかき上げ、次にじろりと睨めあげられて、一言。

「誰だ、オマエ」

 ただの一言だ。何もおかしくない、当然の反応。しかし真広はその場に崩れ、涙のシミがオイルに落ちる。極度の安心感。良かった、ちゃんと人がいた――。

「……」

「ふっ……ううっ」

 真広の嗚咽が止まない中、女は困ったように顔をしかめていた。


 

 ――こちらを見ていた少年に声をかけただけなのに、なぜか泣かれてしまった。

「あー、と。……大丈夫か?」

 遠慮がちに声をかけてみたら、余計泣き声がうるさくなった。私なにかしただろうか。声しかかけてないよな。それが駄目だったのか。

(アユなら、うまく出来たかな)

 はたと思い立つ。私と違い、優しい姉ならこの状況を打破できるだろう。女は一切の修理道具をその場に置いて家に戻ろうと立ち上がる。……立ち上がった女の作業着の裾を、何かにつかまれた。今だ泣きじゃくっている、制服姿の少年だ。

「いっいが、いがなぃ、で!」

「は? なんだって?」

「いか……いがなっ!!」

(分からんもっと単調に話せ!!)

 叫びたい気持ちを必死に押し込め、女はキッとそれを見る。びくりと震えられたので、つい自分の目元も緩くならざるを得なかった。

「あー、なんなら、ついてくるか?」

「……っ!」

 少年がこくこくと頷きを繰り返す。そうか、と呟いて女は背中を向けた。後ろに感じる空気が重苦しい。面倒なものを背負ってしまったなと、女は薄く溜め息をついた。


 

 女に連れられ、真広はビルとビルの間に隠れたような小さな物置の前まで辿り着いた。引き戸が甲高い音で開かれる。「おい、アユ。帰ったぞ」中に声をかける女の背中から、真広も扉の向こうに首を傾げた。

「……サラ?」

 鈴を転がすように、透き通った声だと、真広は思った。

 女……サラの後に続いて、真広も物置の中に入る。後ろ手で引き戸を閉めようとすると、ガタリと一瞬かしいだだけで動かなかった。扉のレールが錆びついているようだ。本格的に引き戸と格闘する前に、サラが間に入ってなんなく引き戸を閉めてくれた。

(お、女のくせに力がある……)

 真広は愕然と自分の手のひらを見た。ひょろひょろの綺麗な白い手だ。

 アユと呼ばれた女は、薄暗い物置の中心に置かれた座布団の上に座っている。

 顔はよく見えない。ただ、ゆるく弧を描いた口元から、優しそうな雰囲気を漂わせている。

 アユが口を開いた。

「こんにちは、お客様。私はアユです、初めまして」

「あ、ええと、真広です……」

「アユ。こいつは、その。何かついてきた」

「ついてきた?」

 サラの言葉を聞いて、アユはきょとんと首を傾げる。真広は慌てて、両手を振りながら声をあげた。

「あ、怪しいものとかじゃ、ないです! ただその、人がいることが嬉しくて」

「もしかして、ヒトを見るのは初めてなの?」

「は、はい、だからーー」

「じゃあ、自分の能力チカラも分かっていないのね?」

 さらりと聞かれた質問に、真広は言葉が詰まった。

 能力? それは一体、どういうことだ?

 意味が分かっていないことを、相手方も察したらしい。一つ頷いてから、真広の前に手のひらを差し出した。引き戸の隙間から入った陽光に照らされたその手は、白く綺麗なものだった。

「最近は少子化が激しいから、自分のことが分からないヒトも多いのよ。大丈夫、知らないなら私たちが教えてあげる」

 そう言ったあと、アユの上げた手がカタカタと震えだし、手のひらから何かが生み出される。それはのっぺりとした小さな貴金属だったが、真広を驚かせるには充分すぎるものだった。

(マジック? いや違う、これは——)

「私達ヒトは、生まれながらにして持っている能力があるの。1から1を生み出し、0から1を創り出す――現代の言葉で言うと、錬金術ね」

(――魔法だ)

 東雲真広は知覚する。ここはもう、自分の知っている世界では無いことを。

 遠くに感じていた世界に、足を踏み入れてしまったことを——。




 

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