053. 振り直し

 スキル実験をした翌日も、すぐにその場所を移動することはない。先に済ますべき大事な仕事が、もう一つ残っている。

 取得スキルの振り直しだ。

 水を煮沸しつつ、蒼一と雪は巻き物を挟んで、推論を披露し合った。


「やっぱり、“撤回”がそうじゃないですか?」

「“撤回”がスキル単品、“返却”が全スキル消去、とかかもよ」

「売り切れスキルに、“忘却”もあります。これも怪しいですよね」


 スキルのリセットが可能なら、振り直し用の能力も、再取得できるのだろうか。

 もしそうなら、誰かが取得済みとは表示されないだろう。“忘却”は候補から外して良いと思われる。


「最後は勘なんだよなあ。誰も二度と使えないシステムなら、忘却も可能性はあるし」

「試すなら、どっちから行きます?」

「撤回、かな」


 振り直しの発動後は、再取得の作業が待っている。二人以外の仲間は、その間に出発準備をする予定だ。

 スープを飲み干した蒼一は、雪を連れ、馬車から少し距離を取った。


「何が起こるか分からん。メイリたちから離れとこう」

「爆発したら、大変ですからねえ。蒼一さんが」


 それはないだろうと、言い切れないのが恐ろしい。

 薬に武器にと調える内に、蒼一も雪も出立時のフル装備になっていた。


「ロウも持ったし、これで大丈夫だろう」

「コテンパンにしてやるデス」

「盾の本分を忘れ出してないか?」


 食事を終えたメイリたちも片付けの手を止め、二人の様子を見守る。


「撤回っ!」


 蒼一のスキル発動の声が、その後の混乱の合図だった。

 王国の静かな草原地帯に、小川の流れる音だけが聞こえる。

 勇者と女神は、砂ぼこりさえ残さず消え失せた。


「ソウイチたちはどこ?」

「分かりません。昨日みたいに、帰るのを待ちましょう」

「クピー……」


 移動準備は、しばし延期だ。

 焚火や寝床をそのままにして、メイリたち三人は、勇者の帰還まで待機した。


 たまに草むらを揺らすウサギに、少女らは顔を向けるが、待ち人でないことに落胆する。

 その日、日没が訪れ、星が瞬き始めても、蒼一たちが姿を現すことはなかった。





 自分の身に何が起きたのか、蒼一は直ぐには理解できなかった。

 脈応での転移とも、全力遁走での高速移動とも異なる、奇妙な平衡感覚の麻痺。

 落下の際に感じる、無重力のむず痒さが近いか。


 頭のふらつく、この気持ち悪さには、覚えがあった。

 召喚だ。

 目眩と耳鳴りが治まり、周囲を見回す余裕ができると、彼はようやく自分の居場所を把握する。


「雪、大丈夫か?」

「ええ……戻って来たんですね」


 尋問室のような石造りの部屋は、見間違いようもなく、床の二つの魔法陣はまだ鈍く光っている。

 前回は、二人とも無言で部屋を調べ、椅子に座ってライルの登場を待った。

 扉に鍵が掛かっていることを再確認すると、鞘で強打しようとスキル名を告げる。


「鞘打ちっ……発動しねえな。リストを確認してくれ。リセットしたのか?」

「……巻き物がありません。勇者の書は?」


 彼は上着の下に革紐で固定したマニュアルをまさぐるが、そこにあるべき書物は消えていた。


「無いな。またヒゲ待ちか」


 盾を背中に戻して、蒼一は諦め顔で部屋の中央に戻る。

 彼は四脚の立派な椅子に腰掛けると、シーソーのように前脚を浮かせてバランスを取った。


 勇者の書と女神の巻物、この二つ以外の装備は無事で、ロウもいる。

 スキルは無いが、多少は剣と盾で抵抗できよう。

 しかし、どうにも事態を打開しようという意欲が湧いてこない。


「なんだかやる気が出ないですねえ」

「だな。さっさとここを出たいと――」

「どうしました?」


 おかしい、と蒼一は眉根を寄せた。


 ――この虚脱感にも、覚えがある。城を出なければ。あの時も、そればかり考えていなかったか?


 近付く足音に、彼の思考は中断される。

 音の主は予測に違わず神官長のライルで、警備兵を伴っているのも以前に見た光景と同じ。


 ――こいつら、正確には兵士じゃなく、守備隊員だったっけ。


 サントマーレに受けた講習を思い出しながら、蒼一はライルが口を開くのを待ち構えた。


「勇者様、お待ちしておりました!」

「俺は待ってない。さっさとここを出してくれ」


 対面に座ろうとする神官長は、書物と巻物を携えている。それもさっさと寄越せと、蒼一はその顔を睨みつけた。


「この部屋には、勇者が現れる紋章が刻まれています」

「ん?」

「紋章からは、勇者が現れます」

「…………」


 ――俺が若年性のボケなのか、この老人が真正なのかどっちだ。


「ピンクのが女神の現れる紋章でしょ。何度も言わなくていいです」

「さすがは女神様、御理解が早い」


 蒼一と雪は顔を見合わせて、この茶番に眉をひそめた。

 最初にライルに感じた胡散臭さの正体に、ここに来て二人は気付く。この老人は、どこか芝居がかっており、言葉が上滑りしているのだ。


「お前たち、魔法陣――いや、マニュアルと女神の書をくれ。城を出る」

「おお、まず大賢者様に会われるのがよろしいかと」

「どこにいる?」

「カナン山でございます」


 そんなわけないだろう――その反論は声に出ることなく、蒼一の奥に仕舞われた。


 後の手順も、一度経験済みだ。

 マニュアルに巻物、地図に支度金。御丁寧に、装飾用のロングソードまで渡される。

 テキパキとそれらを受け取り、二人は城の外に出た。


「不愉快というか……何かこう……」

「……操られてるみたい、か?」


 雪がウンウンと頷く。

 ライルに聞きたいことは、いくらでもあった。城の内部を探索してもいい。

 しかし、今、蒼一たちの頭にあるのは、最初の街サーラムに向かう、それだけだ。


「何をする気にもなれない。なんだこれ」

「時間が巻き戻ったんでしょうか?」

「それは違う」


 城前に並ぶ勇者像の一つを、彼は指差した。


「あれを見ろ、台座だけのがあるだろ。あそこは十八番目の予定地だ」

「試しに立ってみますか?」


 蒼一用の台座など、初めて来た時には見ていない。

 ライルの顎ヒゲも筆の素材にと引き抜かれ、ナマズのように二筋に分かれて生えていた。


「それにこれ、ロングソードも違う。龍が一匹しかいねえ」

「前に貰ったのは、双龍の飾りでしたっけ」


 この会話中も、彼らの足は馬車の停留所に向かって動き続ける。

 街の人々が、前回と同じく勇者をにこやかに見送り、食料を手渡す婦人もいた。蒼一の記憶が正しければ、全く同じ婦人だ。


 王都の直轄領の外れ、サーラム行きの馬車に乗ると、そこからはまた半日。

 何かに急き立てられる感覚は、馬車を降りるまで続く。

 昼過ぎにサーラムに着いて初めて、ロウが振り絞るように声を出した。


「やっと……喋れマス……まだクルシイ」

「返事しないと思ったら、喋れなかったのか」

「ナニかに、縛られてるヨウナ……」


 サーラムでも、まだ自由に動けないとロウは言う。

 城内では、完全に封印されてしまっていた。これは蒼一たちと出会う前の、地下遺跡にいた時の状態だ。

 街の通りを行く二人は、屋台のオヤジに声を掛けられ、女神にとチクワを貰う。


「どうも気味悪いです」

「その割には、今回も二本もらうんだ」

「スゴイ……速さで……食べマシタ……」

「そんなことに無理してコメントすんな」


 宿屋に向かうと思った蒼一が、道を外れるのを見て、雪が行き先を尋ねた。


「今からどこへ?」

「これを覚えてるか」


 彼が取り出したのは、目玉型のお守りだ。

 硬いガラスのように透明感のある美しい素材は、細かなヒビが台無しにしている。


「こんな割れてましたっけ?」

「“撤回”後に、こうなったんだ。理由を直接聞こう」


 このお守りをくれた魔具店が、彼の目的地である。

 路地奥の木造の店には、鉤鼻の老女が何も変わることなく佇んでいた。





「……またあんたらか」

「年寄りにしては、記憶力がいいな」


 老いた店主の前のテーブルに、蒼一はお守りを置いた。


「アンタがくれたこれ。何のための物なんだ?」

「城へ戻ったんじゃな……」


 老女はお守りのヒビを指で追い、ゆっくりと蒼一の問いへ答え始める。


「これが無ければ、ここに来る気になったかも怪しい。お守りの効果は古今東西、どれも同じじゃ」

「どういう効果が――」

「呪いから身を守るんじゃよ。あの城は、いや王都は、ことわりに縛られておる」


 理解し難い話だが、蒼一たちには何となくその意味することを感じ取れた。

 一見、普通の街に見えて、王都では自由な行動が阻害される。


「勇者と女神には、与えられた役割がある。王都に住む者は、皆そういった理に従って生きておるのじゃ」

「婆さん、あんたは何を知ってる? 何者だ?」


 老いた目が開かれ、蒼一の瞳の奥を覗く。

 やがて老女は振り返り、後ろに置かれた巻物を雪に見せた。


「これは女神の巻物を書き写したものじゃ」

「……あかつきの女神。あなたは女神なんですか?」

「違う。こいつの原本は、母の持ち物じゃよ」


 十二番目の女神、それがこの老女の母親だった。

 父は同代の勇者で、二人とも既に亡くなっており、巻物の原本は母の命と一緒に霧のように消失した。

 この地でもうけた一人娘が、この老女、ダリアだった。


「十二番目は、地球に帰らなかったのか」

「帰らなかったのではない。帰れなかったのじゃよ」

「帰る方法が分からないのか?」


 彼女はやれやれと両手を挙げて、その質問に首を横に振る。


「それが分かれば、私はここにおらん。目的を果たせば帰れるとも言われとるがの」


 ダリアは母の巻物を指で叩き、雪に中を読むように促した。


「あんたも知っとるはずじゃ。巻物に書かれとるじゃろ?」


 巻物を最後まで広げ、雪は目的の言葉を読み上げる。


「“使命を果たせ”」

「また大雑把な。方法もちゃんと書いとけ」


 次に質問したのはダリアの方だ。


「あんたらの巻物にも、そう書いてあるんじゃろう?」

「違う、俺たちのは“帰れ”だ。口の利き方が悪化してる」

「どういう意味じゃ……」


 彼女は他の代の女神にも、目的を問うていた。十四代以降、四人ともが、使命を果たせと記してあったらしい。

 なぜ十八代で目的が変化したのか、その答えは誰にも分からない。

 悩むダリアに、蒼一は彼女のこれまでしてきたことを尋ねる。


「私は血筋のせいか、魔力だけは人一倍持っておる。それを使って、ここで店を開いたんじゃよ」

「ここで商売する理由は?」

「勇者は必ず、このサーラムに立ち寄る。どんな勇者が来るのか、せめて見ときたくての」


 両親が亡くなった直後は、二人が生涯探した帰還方法を、ダリアも調べようとした。

 だが、勇者でない一個人が探しても、たかが知れている。

 結局、諦めた彼女は、以降来る勇者たちを見守ることで、自分の人生を過ごそうと考えたのだった。


「無駄に長生きしたせいで、色々と小細工はできるようにはなった」

「それがこのお守りか」

「王都に立ち入る気なら、強力な反呪符がないと行動できんよ」


 ――呪いねえ。


 まだ引っ掛かることは多いが、蒼一はとりあえずダリアの力を借りることにする。


「このお守り、もっと強力なやつを作れないか? 金なら有るんだ」

「必要なのは、金より素材じゃ。魔力の濃縮された魔物の素材があれば出来る」

「素材は俺が用意する。書き出してくれ」


 王都は謎だらけであり、それを解くには中に入らなければいけない。ダリアのお守りは、その必須手段となるだろう。


 老女はペンを走らせつつ、目の前の勇者について考えを巡らせる。

 この男は、今までの勇者とは少し雰囲気が違う。あるいは、何か無茶をしてくれるかもしれんと、彼女は幾許かの希望が湧くのを自身でも感じていた。


 無茶を願うのなら、この十八番目の勇者こそが、かつてのどの勇者よりも適任だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る