第2章 王都の鷹と女神の盾

第141話 渦巻く絶望を希望に

 右前方からの鋭い突き。


 私は、デニス卿の短槍の胴金を鞘に収めた状態の聖剣ティルフィングで受け流す。


 すると、私が弾いたデニス卿の短槍は、急に角度を変えて、息を吐く間もなく次の一手となる。


 なっ……! そこから!?


 薙ぎ払われる短槍が、真一文字に私の右足を目掛けて襲いかかる。


 さすがに、予想外の角度からの足払いを避けられるはずがない。短槍の胴金が私の右脛に当たり、私の体がフワッと浮き上がった。


 私は、咄嗟に空中で身を捻り、ティルフィングを右手に持ち変えた。その後、左手を地面に着いて側転しながらデニス卿から距離を取った。


 これが模擬戦ではなく、一対多の実戦ならば、取り返しのつかないミスになっていたかもしれない。


 私は、深く息を吐き、再びティルフィングの柄を両手に持って、中段の構えでデニス卿に正対した。詰め寄ろうと近づいたデニス卿を牽制するためだ。


 どうにか態勢を立て直した私は、剣先を小刻みに揺らしながら、デニス卿の喉元に剣線を合わせる。


 今度は、こちらの番。私は、デニス卿にジワリと詰め寄った。そして、間合いに入った直後に、剣先をデニス卿の喉元に向けたまま、目線を彼の頭部に合わせて飛び込んだ。私の目線に気付いていたデニス卿は、私の一手を受け流そうと、頭上で短槍を真横に構えて防御態勢を取ろうとする。


 掛かった!


 実は、この防御態勢を取らせることが私のフェイント。私は、右足で踏み込むと同時に、聖剣の鞘の剣先で打突した。


 デニス卿の頭部ではなく、短槍で防御態勢を取った彼の右腕の義手に。


 ネオ・ノイシュタット基地の格納庫に、私が振るった打突の音が響き渡る。


「お見事です、従士様! あの体勢から裏をかいた攻撃をなさるとは……」


 デニス卿は、短槍の末端を地面に突き立て深く一礼した。デニス卿は、戦争終結後に自らレンスター公王陛下に志願して、私の従者に任命された元エスタリアの騎士。


 封建制が根強いアルザルの社会は、身分や私財を基にヒエラルキーが確立する。頭の中で理解しているつもりでも、体育会系の縦社会で育った私は、八歳年上のデニス卿を臣下として見られず、二ヶ月経った今でも私に従順な彼の姿勢に戸惑うことが多々あった。


「いえ……。今の流れは、私がドラゴニュートだから成せたことです。普通なら、あの足払いで転倒し、そのまま止めを刺されています」


 私は、鞘に収めたままのティルフィングを腰の剣帯に結びながら、私を賞賛するデニス卿に答えた。


 私たちの吐息が、窓から照らすリギルの夕陽に当たり白く輝く。大陸南部のヴァイマル帝国領の気象は、日中でも気温が氷点下のままで、レンスターと比較にならないほど寒い。


「それを言うなら、自分も従士様と条件は同じです。この模造の右腕は、豊穣の天使アナーヒター猊下が施して下さったジュダの慈悲。岩をも握り潰せる力と、人に在らざる動きをする関節が備えられております! これも全て従士様が、自分の右腕の治療をアナーヒター猊下に掛け合って下さったお陰です!」


 デニス卿は、嬉しそうに自らの義手について語りながら、所持していた短槍を格納庫の壁に立て掛けた。デニス卿の機械仕掛けの義手は、彼が述べた通り、強靭な握力と三か所ある百八十度回転する関節を有する。この義肢装具は、キアラの義眼やティーの体の構造と同じで、脳の伝達信号を直接感知して、使用者の意のままに動かす仕組みだ。


 しかし、喜ぶデニス卿と裏腹に、私は、彼の右腕の義手を見る度に胸が痛む。デニス卿の本当の右腕は、彼と刃を交えた時に私が奪ったものだから。


「そ、それは……」


 私は、返事に戸惑い、思わずデニス卿から目を逸らした。この地方には、戦う力を失った手負いの騎士が、帰国後に地位を剥奪される習わしがある。それを知った私は、アナーヒターにデニス卿の右腕の治療を嘆願した。罪悪感というよりも、戦いを生き残ったデニス卿が、路頭に迷うことがないように。


「申し訳ありません! 従士様が心を痛めていることに気付かず、浮かれていた自分をお赦し下さい! 貴女は、あの乱戦の最中で、敵として対峙した自分を救って下さった恩人です! どうか、そのようなお顔をなさらないで下さい……」


 私は、私を気遣うデニス卿と再び目が合った。刃を交えた時もそうだったけど、この人は、本当に曇りのない真っ直ぐな目をしている。


「デニス卿、私こそ、あなたに気を遣わせてしまいました。すみません」


「滅相もありません! 従士様に謝罪されたら、自分が困ります……」


 しばらくの沈黙。


 困ったなぁ……。


 今日もデニス卿との会話に行き詰まってしまった。尤も、裏表がないデニス卿に非はない。悪いのは、社会のルールに馴染めていない私自身。


 私が困っていたその時、格納庫の入口に、国防軍の制服に身を包んだキアラが、宙に浮く白い台座に乗って姿を現した。


 キアラが座る不思議な台座は、シャリオと呼ばれる移動用具で、マナを宿す者が座ると宙に浮いて移動できる。このシャリオは、心優しいティーがキアラのために提供してくれたものだ。最初は、操作に戸惑っていたキアラも、今ではすっかり手慣れた様子。


「彩葉さん、デニス卿。お疲れ様です。そろそろ訓練が終わった頃合いかと思ったのですが……」


 キアラは、私たちと目が合うなり声を掛けてきた。このキアラの登場は、私の有り難い助け舟となった。


「問題ありません、キアラ様。今しがた鍛錬が終わったところです。従士様は、大陸一の剣士と称しても、過言ではありません」


「デニス卿、さすがにそれは言い過ぎ……。ところで、キアラ。要件は……?」


 私は、デニス卿の過大評価を制しつつ、キアラに要件を尋ねた。


「あ、はい。夕餉ゆうげの支度をしているアスリンさんとハロルドさんが、そろそろ鍋に火をかけるので、彩葉さんを迎えに行って欲しいと……」


 キアラが来た目的は、私と同じ炊事担当に選任されたハルたちに頼まれて、稽古をしていた私を迎えに来たものだった。ここネオ・ノイシュタット基地は、航空機の滑走路が軍の施設から離れていた。そのため、私たちは、提供された営所で自炊しなければならなかった。


 今夜の私たちの主食は、レンスターで収穫されたばかりの雨麦だ。雨麦は、米と同じ調理法で、脱穀した麦粒を奇麗な水で研いで炊き上げる。ただし、米よりも糠が多ことから、入念に研ぐ必要があった。そこで、私の出番というわけ。体温が低いドラゴニュートは、極寒のネオ・ノイシュタットの冷水くらいで手が痛くなることがないから。


「わかったわ。もうすぐ陽も沈むし、夕食の準備を急がないとだね」


 私は、キアラの呼び掛けに応じた。


「それでは、従士様。自分は、ユッキー様と交代いたしますので、望楼へ上がります。手合わせ、ありがとうございました」


「こちらこそです、デニス卿。陽が落ちると冷えますので、暖かくして下さいね」


「承知しました。お気遣い感謝します、従士様」


 デニス卿は、私たちに深々と一礼すると先ほど立て掛けた短槍を手に取り、高さ二十メートルほどの石造りの望楼へ向かって行った。


「年上の部下の対応は、疲れるし難しいですよね。私も五小隊に所属していた時、彩葉さんと同じ思いをしていましたので、お気持ちが良くわかります」


 キアラは、望楼へ向かうデニス卿を見送りながら、小さな声で私を励ましてくれた。


「本当だよ……。せめて、対等な態度で接してくれないと戸惑っちゃって」


 軽く相槌を入れたつもりが、つい語尾に力が入ってしまう。


「フフッ……。彩葉さんは、軍隊と少し違うものの、厳しい上下関係の中で剣術を学んでいた。だから、デニス卿との関係に順応できないのだと、幸村さんから話を聞いております」


 キアラは、口元を押さえて、上品に笑いながらそう言った。こういう仕草を見ると、キアラは、本当に貴族の令嬢なのだなと感心させられる。


 そのキアラは、ユッキーの介抱のおかげで、見違えるほど明るくなった。この二人、本人たちに自覚があるかわからないけど、案外相性が良さそうに思える。


「彩葉さん……? どうかされました?」


 キアラが、怪訝な面持で私の顔を覗き込んできた。


「あ……。あぁ、……。別に、何でもないよ」


 私は、慌てて適当に誤魔化した。


「それならいいのですが……。デニス卿も見張りに向かわれましたし、私たちも厨房へ向かいましょう」


「わかったわ」


 キアラは、私の返事を確認すると、シャリオを巧みに操り、宙に浮いたままの状態でくるりと向きを変えた。フワッと揺れたキアラの長い赤髪が、リギルの夕陽に照らされて、いつも以上に奇麗に輝いて見える。


「いよいよ明日は、エルスクリッド砂漠を越えてアリゼオ領ですね。天使シェムハザは、私たちから犠牲が出ることはないと仰っていましたが、不安が勝って緊張しています……」


 キアラは、シャリオを前進させながら私に声を掛けてきた。


 そう、私たちは、順調に西へ進んでいる。そのため、明日二月十日の夕方に、アリゼオ領に上陸する予定だ。シェムハザを信じていないわけじゃないけれど、私だってすごく不安を感じている。


「到着したら、早速作戦……、だものね。午前のブリーフィングで、ヘニング少佐が説明してくれた通りに、シトリア油田を攻略できれば、敵に大打撃を与えられる。キアラだけじゃなく、私だって不安だよ? でも、みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫。これまでも、そうだったのだから」


 私は、キアラのシャリオに並んで歩きながら彼女を励ました。


 遊撃旅団の捕虜の供述によれば、第四帝国が所持する油田は、このシトリア油田の製油所のみだ。つまり、この油田にある製油所を破壊すれば、他国を侵して独立宣言をした第四帝国の交通手段と発電手段を封じられる。敵のライフラインの寸断が、私たちの最初の目標だ。


 ただし、シトリア油田は、第四帝国の重要拠点。周囲に反抗勢力が存在しない辺境にあるらしいけど、少なからず守備隊がいるはず。つまり、戦闘になる可能性が極めて高いということ。再び命のやり取りが始まるかと思うと、私の胸の奥にワクワクするようなの高揚感が沸いてくる。


「そうですね。彩葉さんが仰った通りです。皆で力を合わせれば、これまでのように上手くいくはずですよね! 後は、親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターやパワーズの天使が現れないことを祈ることでしょうか……。ですが、たとえ彼らが現れたとしても、このシャリオと義眼があれば、私でも十分な戦果が挙げられるはずです!」


 シトリア油田は、敵にとって重要拠点だ。だから、キアラが言うようにドラッヘリッターやパワーズの天使たちがいてもおかしくない。


「うん! 期待しているからね、キアラ。でも、気負い過ぎはダメだよ? ハルがティーと一緒に準備してくれた『裁きの弾丸』もたくさんあるから、絶対に単身で無茶をしないこと」


 ハルだけでなく、キアラの炎属性の呪法も、相当な威力を持ち合わせている。けれども、油断は禁物。対アヌンナキ戦は、ハルの『裁きの雷』を施した武器で、アヌンナキの聖霊が憑依したを攻撃する方法が一番効果的だ。


 その武具で致命傷を負ったに宿る聖霊は、現世うつしよでも幽世かくりよでもないへ追いやられる。それが、死後の世界でも生きられるアヌンナキのを意味するから。


「はい! 実は、ザーラ姉からも同じことを言われました。それよりも、障害を負って軍を退役してからの方が戦力になるだなんて、滑稽ですね、私……」


 キアラは、自嘲気味にそう言ったけど、心なしか嬉しそうに感じられた。


「こらこら……。そこは、自分を責めない」


 私は、キアラを宥めながら微笑みかけた。


「す、すみません……。決して自暴自棄になっているわけではないので、安心して下さい」


「うん、わかってる」


 必死に弁明するキアラを見ると、可愛らしくて思わず笑みが毀れてしまう。


「も、もう……。彩葉さんまで、幸村さんみたいに私を見てニヤニヤしないでください……。とりあえず、話を整理しますけど……。私たちは、障壁を乗り越えてアストラを奪還し、厄災を未然に防がなければなりません。私たちが目標を達成できれば、父やリーゼルを始めとする、この動乱で亡くなった大勢の人たちが浮かばれると思うのです」


「うん! その後は、みんなで地球へ帰るの。もちろん、キアラも一緒だからね?」


 私は、キアラに力強く頷きながら返事をした。キアラも私を見つめて頷き返す。しかし、私を見るキアラの目は、どこか物淋しげに感じられた。


「ねぇ、彩葉さん……。大事なことをお聞きしますが、正直に答えて頂けますか?」


 キアラは、シャリオを止めて私に向きを変えた。そして、シャリオの高度を下げて、私をジッと見つめてきた。その表情は、何か思い詰めているように感じる。


「ど、どうしたの……?」


 私は、恐るおそるキアラに訊き返した。


「実は、私は、親衛隊魔法兵学科マーギスユーゲントで学んでいるのです。竜族は、地球に存在するアルゴン元素と相性が悪く、竜の力を発揮できない。それだけでなく、時間の経過と共に身体が衰弱し、長く生きることさえできない。それは、ドラゴニュートも含むと……。彩葉さんは、それをご存じの上で、地球へ帰ると仰っているのですか?」


 キアラは、ドラゴニュートが地球で生きられないことを知っていた。


 かつてキアラが初等教育を受けていたネオナチの訓練所は、ドラッヘリッターの養成兵科だと聞かされていた。冷静に考えてみれば、キアラが竜族の秘密を知っていてもおかしくないことだった。


「キアラは、知っていたのね……。でも、どうして、ずっと黙っていたの?」


「いつか、尋ねようと思っていたのです。ですが、もしも彩葉さんがそのことをご存じなければ、いたずらに混乱を招くと思いまして……。でも、地球の話になる度に、寂しげな表情をする彩葉さんを見ているうちに、彩葉さんは、竜族の秘密をご存じだと確信しました」


 キアラは、私を見つめたまま落ち着いた口調でそう言った。ハルや他の人に気付かれないように振舞っていたつもりだったけれど、キアラには見破られていたらしい。


「私がドラゴニュートが地球で生きられないことを知ったのは、夢の中で黒鋼竜ヴリトラに会った時。仮にヴリトラの魂を神竜王に届けても、私が元の人間に戻ることはない。そのことも知らされた。でもね、キアラ。地球へ帰るチャンスがあるなら、たとえ僅かな時間しか生きられなくても、私は地球へ帰りたいの。あの星は、私の故郷だから。家族にさよならすら伝えられずにお別れするなんて、そんなの嫌。私だけじゃなく、ハルとユッキーだって大切な家族が故郷で待っている。けれど、二人が竜族の秘密を知ったら、アルザルに残ると言い出しかねない。だから、お願い、キアラ! ハルたちに、このことを伏せていて欲しいの! 色々あり過ぎたから、時間が掛かるかもしれない。それでも、私は、ハルとユッキーに日常を取り戻して欲しい……」


 それ以上の言葉が出て来なかった。私は、唇を噛みしめて俯いた。そして、言葉の代わりに、私の目から涙が込み上げてくる。


「彩葉さん……」


 顔を上げてキアラを見つめると、彼女の左目にも涙が浮かんでいた。


 私は、その涙を見て、キアラの前で家族の話をしてしまったことに気が付いた。キアラは、産みの親、育ての親、そして実の姉妹のようなリーゼルさんまでも、彼女の目の前で失っている。きっと、心を痛めてしまったと思う。


「ご、ごめん、キアラ……。私、キアラの気持ちも考えずに……」


「違います、彩葉さん! 私は、亡くなってしまった家族を思い返したわけではありません! 私は、私の大切な家族である、あなたを失いたくないのです!」


 キアラは、私の謝罪を遮り、私を失いたくないと言ってくれた。そして、私のことを大切な家族であると。


 私の目の奥が、更に熱くなる。キアラの気持ちが、心から嬉しくて。


「ありがとう、キアラ。本当に……」


 私は、涙を堪え切れず、両手で顔を覆った。


「泣かないでください、彩葉さん。彩葉さんは、地球で長く生きられないかもしれません。でも、ご家族に会える望みがあるじゃないですか! それに、これは私がリーゼルから聞いた話なのですが……。大天使ラファエルや監視者ラグエルは、持ち運びできる小型の転移装置を所持しているそうなのです。もし、それが手に入れば、いつでも地球とアルザルを往来できるようになるかもしれません!」


 今のキアラの一言が、私の心で渦巻く絶望を希望に変える光となった。私が顔を上げてキアラを見つめると、キアラも私を見つめたまま黙って頷いた。


 言われてみると、私は、監視者ラグエルに、地球とアルザルの双方の星で会っていた。ラグエルは、運命のあの日、たぶんその装置を使って早朝の穂高駅からアルザルへ戻ったのだろう。地球上に、シンクホールを守護する太古の竜なんて存在しないのだから。


 もしも、私がその転移装置を手に入れれば、ハルたちが地球へ帰った後に、いつでも会いに行けるようになる。


 どんな手を使ったとしても、必ずそれを手に入れてみせる。


 欲望にも似たこの不思議な感覚。もしかしたら、これが竜族独自の感情である『執着』なのかもしれない。

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