第117話 クロンズカーク襲撃戦(上)

「ここから先は、徒歩での移動となる。クラッセンとベーテルは、ここで我々が戻るまで待機。もし、○五○○まるごまるまるまでに戻らなければ、早急にレンスターまで引き揚げよ」


「了解しました、大尉! ですが、夜襲が失敗するなんて考えられません。なんせ、大尉と特殊魔導隊が仕掛ける夜襲戦なのですから」


 ヘニング大尉が指示を出すと、クラッセン伍長が自信に満ちた表情で大尉に答えた。


「油断は禁物だ、クラッセン。それでは、準備ができ次第出発する。各員、準備に当たれ!」


「「了解!」」


 一同は、ヘニング大尉に返事をすると、各自の銃器の点検や持参する弾薬の確認を始めた。


 ここは、もうクロンズカーク農園の入口。


 遊撃旅団が、シュヴァインブラーテン作戦通りに進軍していれば、この葡萄畑の一キロメートル先に、第九軍の戦車部隊の野営地が存在するはず。これからその主力戦車部隊に夜襲を仕掛け、大打撃を与えることが、今回の私たちの任務だ。その準備とブリーフィングのために、夜襲作戦の参加者がブリッツの荷台に集まっていた。


「いいね、キアラ?! 絶対無理はしないこと! アイシュバッハ軍曹、どうかキアラのことをよろしくお願いします」


 ザーラさんは、キアラの右手を両手で覆うように握りしめ、リーゼルさんにキアラの保護を申し出た。


「ちょっと、ザーラ姉。そんな風に子供扱いしないでください……」


 キアラは、不貞腐れ気味にザーラさんに言った。


「安心して、ベーテル一等兵。シュトラウス少尉は、一撃離脱ですぐに後方へ退くことになっているから」


 リーゼルさんは、本気でキアラを心配するザーラさんに優しい口調で答えた。リーゼルさんは、この一ヵ月で別人と思えるくらい、表情が穏やかになっていた。アナーヒターが言っていた通り、リーゼルさんの塞ぎこんでいた心は、キアラと出会えたことで徐々に癒されているのだと思う。


「ほら、ザーラちゃん。ヘニング大尉が第二〇二装甲師団の代表となった今、我々五小隊の小隊長は、仮にも特殊魔導隊のフロイライン少尉なんだ。軍事行動中の言葉遣いは、プライベートと区別しないといけないぜ?」


 クラッセン伍長が、ザーラさんを嗜めるように言った。


「申し訳ありません、伍長……」


「クラッセン伍長。生憎ですがその発言、そっくりそのままお返ししなければなりません。フロイライン少尉、ではなくて、シュトラウス少尉……、ですよ」


 五小隊の中で、一番良識人に思えるライ上等兵が、ザーラさんをフォローする形でクラッセン伍長を指摘した。ライ上等兵は、小型の機関銃を肩から担ぎ、予備の弾装をショルダーバッグに詰め込み、クロンズカーク襲撃戦の準備をしている。


「おっと、これは失礼……」


「伍長、わざとらしいっす」


 ベルト式の機関銃の弾丸を体に巻くヘルマン一等兵が、おどけるクラッセン伍長に笑いながら言った。一同の表情に笑みが浮かんだ。キアラが小隊長を兼任する五小隊は、本当に気さくな人たちばかりだ。私がこれまでに何度か接触した、陰気臭い武装親衛隊の軍人たちと雰囲気がまるで違う。


「五小隊の人らって、いい人ばかりだよな」


 私の右隣に立つハルが、私にだけ聞こえるように、そっと耳元で囁いた。


「うん、本当だよね」


 私はハルに小声で答え、ハルを見つめた。薄暗いブリッツの中で、私たちの視線が交わされる。ハルは、私の目をジッと見つめたまま微笑んだ。ハルの笑顔を間近で見ると、胸が凄くドキドキしてくると同時に、心が安らぐ。


「いよいよだな、彩葉。戦争だとしても、人の命を奪うことが許されるはずない……。でも、やらなけりゃ、俺たちがやられちまう。俺たちの未来や、世話になったレンスターの人たちを守るために、全力でやれることをやろうぜ」


 ハルは、穏やかな口調で私に言った。私が心に抱いている不安と緊張を、ハルなりに解そうとしてくれているのが伝わって来る。


 私たちがこれからすることは、戦争という命の奪い合い。ハルが言った通り、敵として出会った相手を殺さなければ、こちらが殺されてしまう。相手は、血も涙もない、冷徹なナチスの軍隊だ。少しでも躊躇ためらえば、自分の代りに大切な人が殺されてしまうかもしれない。それだけは、絶対に避けたい。


 これから始まる戦闘のことを思うと、ハルに見つめられる時のドキドキ感と違う、遠足の前日のような胸の高まりが押し寄せてくる。この異様な高揚感は、私がドラゴニュートでなく人間のままでいたなら、恐怖を感じている感覚のはずだ。


「うん、わかってる。私は、躊躇ったり手を抜いたりしないよ。絶対に後悔したくないから」


 私は、ハルの目を見つめたままそう答え、そしてハルに笑顔を返した。


「俺の秘密のせいで……。地球へ帰るどころか、戦争に巻き込まれることになっちまって……。ごめんな……」


「ううん、ハルのせいじゃない。これは、きっと運命だよ。私は、ハルと一緒にアルザルへ来て良かったと思ってるの。だって、もし、私の知らないところで、ハルだけが神隠しに遭っていたら……。地球に残された私は、一生苦しむことになっていたと思う。だから、ハル。この戦争と厄災を乗りきって、地球へ帰ろうよ」


 私は、首を横に振り、自分のせいだと言うハルの発言を否定した。


 きっかけは、たしかにハルの秘密かもしれない。けれども、こんな非現実的なこと、誰のせいでもない。たとえ、この運命が非情で残酷なものだとしても、私はハルの隣で彼の支えになれればそれでいい。そして、いつかハルが地球へ戻ることがでたら、私を心配してくれている人たちに、私がアルザルで生きていることを伝えて欲しい。


「彩葉……」


 ハルは、私の名前を呼びながら、私の右手にそっと左手を添えてきた。私を見つめるハルの瞳は、優しさと切なさが入り混じっていた。ハルの手から伝わる温もり。その温かさに比例して、私の頬と胸が熱くなる。


 ずっとこのまま手を繋いだままでいたいけれど、今は緊張感漂う作戦前の準備中。睦み合っている場合じゃない。誰かに見られたりしたら、周りのみんなの士気に影響してしまう。


『ねぇ、ハル。みんな戦う準備をしている。さすがに今はマズいかな。私たちもこれからのことに集中しよう?』


 私がハルに念話を送ると、ハルは目を見開いて周囲を見渡した。そして、顔を赤く染め、私の右手に添えていた左手を慌てて引っ込めた。ハルは、いつもの私のように、周りが見えなくなっていたらしい。いつも冷静でいるハルの慌てる姿は、何だか可愛らしい。


「ライ、ヘルマン。準備はどうか?」


 小型の機関銃を携行したヘニング大尉が、ライ上等兵とヘルマン一等兵の準備状況を確認した。


「はい、準備完了しました!」

「自分もいつでも行けます!」


 ライ上等兵に続いて、ヘルマン一等兵が機関銃を両手に持って立ちあがった。この機関銃は、私が撃たれたものと同型だった。何もできずに暗闇に吸い込まれてゆくあの感覚。あの時のことは、あまり思い出したくない。


「了解だ。シュトラウス少尉とハロルド君も、念のために、カービン銃を所持してくれ」


「「了解です!」」


 ハルとキアラは、席を立ってヘニング大尉に返事をした。そして二人は、ブリッツの運転席の背面に立て掛けてある長銃を手に取り、スイングベルトに腕を通した。私も二人の準備に合わせて、足元に置かれた斜め掛けのショルダーバッグに首を通して左肩に掛けた。


 このショルダーバッグの中は、M24柄付手榴弾が八本入っている。この手榴弾は、缶詰に似た形状の爆弾の先に、棒状の柄が付けられたもので、パイナップルに似た形状の手榴弾ではなかった。夜襲に参加する私の役割は、この手榴弾を使って、戦車の駆動部やハッチの中に投げ込んで破壊することだ。


 私が竜の力を使って全身を硬化させれば、私に銃火器は通用しない。仮に、目標の戦車に敵兵が乗車していたとしても、戦車の内部や駆動部を効果的に潰せると思う。ヘニング大尉が考案したこの戦術は、黒鋼のドラゴニュートの特性を活かしたアイデアだった。


「これより我々は、クロンズカークの野営地へ向けて出発する。第一目標は、戦車六輌及び野営地に設置された通信機器の破壊。第二目標は、整備兵を含めた敵の殲滅。各員の健闘を祈る!」


 ヘニング大尉は、私たちを見渡し、作戦開始の号令を掛けた。


「「はい!」」


 ヘニング大尉に返事をした一同の声が、ブリッツの中に響き渡った。


 それから私たちは、夜目が効く私とリーゼルさんを先頭に、惑星アールヴの光に照らされたクロンズカークの葡萄畑を歩き続けた。


 そして、私たちは、アガモア砦でサラさんから渡された、シュヴァインブラーテン作戦の地図に記載された通り場所で、第九軍の戦車部隊が駐留する目標の野営地を発見した。

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