第116話 この笑顔がいつまでも

 レンスター城の戦い、パッチガーデン会戦、そして、今回のアガモア作戦。局地的な作戦の勝利が続いているものの、依然としてレンスターの劣勢は変わらない。兵員と装備の対比を考えれば、レンスターの戦力は、遊撃旅団の戦力の半分にも満たない。


 打って出るにしても戦力が足らず、闇雲に城塞都市に立て籠れば、遠距離からの砲撃を受けるだけだろう。レンスター城の大広間で続けられていた軍議は、ボクたちがアガモア作戦を展開している間、八方塞がりな状況に活路を見出せないままでいた。


 しかし、ボクたちがアガモア砦から持ち帰った情報を得たことで、停滞していた軍議が急速に進展した。現在、軍議の場は、王城二階の会議室に移され、レンスターと訪問騎士団のそれぞれの重鎮たちによって、具体的な作戦が練られている。


 軍議を進展させた情報とは、ハルたちが接触したサラ・アーレント魔導少尉から渡された、ヴァイマル帝国遊撃旅団の作戦電文のことだ。この電文には、帝竜暦六八三年十二月二日の正午に開始するレンスター総攻撃、シュヴァインブラーテン作戦の全貌と、地図と共に各分隊の布陣と戦力が事細かに記されていた。


 大まかな作戦の流れは、メッサーシュミット二機とスツーカ五機による空襲の後に、第七軍と第九軍による、北と西からの挟撃により、レンスターを一網打尽にするものだ。航空戦力を持たないレンスターにとって、空からの攻撃は脅威でしかない。空の防衛に関しては、アナーヒターが氷雪竜アスディーグに任せると言っていたけれど……。


 この作戦電文をハルと彩葉に託したサラさんは、ボクたちと同じ二十一世紀の地球からアルザルへ拉致された、水属性を司る属性八柱の呪法使いだ。彼女は、レンスター総攻撃に乗じて、彼女の上官である風属性の属性八柱、マクシミリアン・フォン・エーベルヴァイン魔導大尉と共に、レンスターへ亡命することをハルと彩葉に約束している。


 キアラとリーゼルさんは、エーベルヴァイン魔道大尉と面識があるため、アガモア作戦から引き揚げるブリッツの中で、ボクたちに彼のことを教えてくれた。彼は、ハンガリー王国出身の貴族で、気さくで明るい性格の紳士らしい。そして、ナチズムを毛嫌いする彼のことを信頼できる人物だと言っていたけれど……。


 エーベルヴァイン魔道大尉は、アガモア砦から撤退するハルたちを追撃してきた相手だ。すぐに信用しろと言われても無理がある。ただ、キアラが信頼する人物なのだから、リーゼルさんがレンスターへ来た時のように、ボクたちも時間を掛ければ彼と上手くやっていけるのだろう。





 ボクたち特殊魔導隊は、レンスター城にエドワード公子殿下と蒼天のレックスを送り届けてから、会議室で重鎮たちによって行われている作戦会議に招かれた。アガモア作戦でボクたちと行動を共にしていた二柱の天使たちも一緒だ。


 この作戦会議の進行役は、ジャスティン導師が務めている。レンスター側の参加者は、堅牢のロレンスとバッセル卿の二名。そして、訪問騎士団側の参加者は、ヘニング大尉と副官のハイネ中尉の二名という極小規模なものだった。公王陛下は、エドワード公子殿下を介抱しているため、この会議に参加していない。


 ボクたちが会議室を訪れた時は、既にレンスターの要塞化と、分散して布陣するに敵の弱体化を図る、二段構えの策について議論されていた。この策を考案したのは、アルザルに展開する武装親衛隊の情勢に詳しく、また、激戦のヨーロッパ東部戦線で培った近代戦術を心得るヘニング大尉だ。


 レンスターの要塞化は、まず、カルテノス湾の海岸に野営地を築き上げ、できるだけ多くの住民を王都から避難させる。その住民の避難誘導と野営地の建設は、明日の早朝から憲兵隊と城の衛兵たちが行う予定だ。その後、無人化した新市街の大通りに土嚢を積み、城郭に重機関銃と迫撃砲を配置することで、城塞都市の防衛力を上げるものだ。


 一方、敵戦力の弱体化については、敵の野営地に少数の精鋭部隊が夜襲を仕掛け、一輌でも多くの戦車を戦闘不能にさせる内容だった。夜襲を仕掛ける場所に選ばれたのが、クロンズカークという地名の果樹園地帯だ。作戦電文によれば、クロンズカークは、第九軍の戦車部隊のうち、六輌の戦車が布陣する野営地となっている。


 戦車をできるだけ破壊することで、王都防衛を有利にする方針はわかる。そして、話の流れから、既に採決された案件なのだということもわかっている。けれども、ボクはこの夜襲が納得できなかった。なぜなら、その危険な夜襲へ向かう人員に、ボクとアスリンを除いた特殊魔導隊のメンバーが選抜されていたからだ。


 ボクの不満は、その人員にボクが含まれていないことではない。ボクとアスリンが選抜されなかったのは、むしろヘニング大尉の配慮だと思う。ハルたちが誰の承諾もなく、戦いの駒として扱われていたことが気に入らなかった。


 ハルたち属性八柱の呪法は、凄まじい破壊力だ。それに、ドラゴニュートになってしまった彩葉の戦闘力も尋常じゃない。だからと言って、毎回都合良く戦いの駒として最前線へ送られているうちに、いつかその代償を支払わねばならない時が訪れる気がして……。ボクは、それが怖くて堪らなかった。


 他に良策が思いつくわけではない。それに、選択肢の結果を見ることができるシェムハザが反対していない。だから、たぶん四人は、無事に危険な任務をやり遂げるのだと思う。何の力も持たず、何もできない自分がもどかしい。


「バクスター方面から侵攻してくる第九軍の鋼鉄竜に対し、クロンズカークで夜襲を仕掛け、その数を減らす作戦は理解できた。しかし、敵は、総攻撃の局面において、レンスターを挟撃する形で攻め込んで来る。アルスターからドラムダーグ橋を渡って侵攻してくる第七軍を、どう対処するおつもりか? ヘニング大尉、お答えいただきたい」


 軍議の進行を進めるジャスティン導師が、策を考案したヘニング大尉に尋ねた。


「承知しました。その前に、第七軍についてですが、特殊魔導隊が接触したアーレント魔導少尉の話によれば、強行軍でアルスターへ侵攻したため、故障車両が続出していると言う話です。そうだね、ハロルド君?」


 ヘニング大尉は、サラさんと接触したたハルに話を振った。


「はい。サラさん……、いえ。アーレント魔導少尉は、そのように申しておりました。コノートからアルスターを目指す山越えのルートで、無理な行軍が災いして故障車が続出したと。また、アルスターの錬金術兵器によって、数輌の損害も発生している模様です。自分たちが持ち帰った電文に記載されている数字が、稼働可能な車輌の数です」


 サラさんから聞いた話を、ハルがヘニング大尉に伝えた。


「そうなると、第七軍で稼働できる部隊と車輌は、Ⅳ号戦車が三輌と輸送車両が三輌。それから歩兵が二個中隊のみというわけか。想定より少ないように思えるが……」


 ヘニング大尉の副官のハイネ中尉が、両手に持った作戦電文を見つめながら呟いた。


「その通りだ、ハイネ中尉。しかし、それは、我々にとって好都合。ジャスティン導師。第七軍の敵は、レンスターを侵攻するにあたり、ドラムダーグ橋を渡る道しかございません。我らの主力部隊である、四小隊と五小隊のⅢ号戦車二輌と、レンスター騎士団が操る鹵獲ろかくしたⅢ号突撃砲を三輌配備して、ここで敵を迎え撃ちます」


「なるほど。敢えて主力をドラムダーグ橋に回し、挟撃させないという作戦か。悪くなさそうだが、レンスターの守備はいかがする? 夜襲が成功したとしても、鋼鉄竜が全滅しているわけではあるまい。ましてや、銃火器を所持した大規模な歩兵部隊と二千名を越えるエスタリアの軍勢も存在するはずだ。それに、空から現れるという鋼鉄竜に、どう対処すると言うのだ?」


 ヘニング大尉の回答に、少し不安そうにジャスティン導師が尋ねた。


「そのことですが、第七軍がドラムダーグ橋に現れる時間は、レンスター総攻撃の約二時間前と推測されます。第七軍が橋梁から後退すれば、深追いせずに四小隊と五小隊をレンスターに転戦させる予定です。ドラムダーグ橋からレンスターまで、Ⅲ号戦車でも三十分あれば到着できるでしょう。それまでの間は、城郭に配備した重機関銃を中心に、鹵獲したⅣ号戦車と三小隊のⅡ号戦車で応戦いたします。また、空の敵に対しては、天使アナーヒター猊下のご高配を賜り、ヴィマーナを守護する太古の竜に加勢していただくことになっております」


 ヘニング大尉は、説明しながらアナーヒターを見つめた。ヘニング大尉の視線を感じたアナーヒターは、一度深く溜め息を吐いてから辺りを見回し、ゆっくりと口を開いた。


「あぁ、その通りさ。アタシら天使は、ヤハウェの掟でアンタら人間に直接関与しちゃいけないことになっている。けれど、アスディーグが人間相手に応戦する分には問題ないはずさ。アタシらは、ここでを失うわけにいかないからねぇ。あの竜のことなら安心しな。アイツは、アタシの豊穣の実を欲している。それを与えりゃ、アタシの言うことを聞くはずさ」


 アナーヒターは、そう言いながら、いつものように腰の巾着から煙管きせるを取り出し、炎のオーブを使ってカシギの葉に火を点けた。


「アナーヒターよ。汝の発想は、相変わらずせこいのぅ」


 アナーヒターの足元の床に寝そべるシェムハザが、後ろ足で耳を掻きながらアナーヒターに呟いた。


「フンッ……。ヤマネコはお黙り」


 強い口調でシェムハザに文句を言ったアナーヒター。会話だけ聞いていると、どちらが上席の天使なのかわからない。


「天使アナーヒター猊下、誠に氷雪竜アスディーグがレンスターをお守りくださるのですか?! 翼を広げた竜は、レンスター家の家紋でもあります。その由来は、レンスター家の開祖が、太古の竜に助けられたことにあるとか。太古の竜がレンスターを守り、古き伝承の再来となれば、兵だけでなく国民の士気も上昇することでしょう!」


 騎士長のバッセル卿は、天使たちの茶番に構うことなく、希望に満ちた表情でアナーヒターの言葉に喜んだ。


「ただし、勘違いしないでおくれよ? 太古の竜アスディーグは完全無欠じゃないからね。奴らの飛行艇がどれ程の性能か知らないけど、多少の被害は覚悟しておくことだね」


 アナーヒターは、喜ぶバッセル卿に釘を刺した。


「たとえ犠牲が出たとしても、太古の竜の支援は、感謝してもしきれません」


 ヘニング大尉は、アナーヒターに深々とお辞儀をした。


 そんなヘニング大尉を見て、アナーヒターは満足そうに微笑みながら、煙管の煙を大きく吸い込んでからゆっくりと吐き出した。美しい見た目と妖艶ようえんな色気。頼もしく思える半面、何を考えているかわからない怖さがある。それが、豊穣の天使アナーヒターだ。


「堅牢のロレンス。一つお願いがあるのだけどいいかしら?」


 ずっと黙って話を聞いていたアスリンが、思わず見惚れてしまう白く美しい華奢な手を挙げてロレンスさんに伺った。


「風のアトカ。何なりと」


 ロレンスさんは、穏やかな口調でアスリンに答えた。


「ありがとう。私からのお願いは、避難できずにレンスターに残る住民についてよ。できれば全住民に、避難所へ向かって貰いたいけれど、病床に苦しむ者など、どうしてもレンスターから避難できない者たちが大勢いるはず。防衛作戦の流れを聞いていた限り、旧市街が戦場になる予定はないのよね? 身分を問わずに旧市街を解放して、残された住民を避難させて欲しいの」


 アスリンの願いは、立場の弱いレンスターの人々の視線に立ってのものだった。レンスターの旧市街は、新市街と異なり、貴族や富裕層の居住区となっている。法的な根拠がなくても、旅人や貧困層の住民は旧市街に立ち入れない風習になっていると、アスリンから聞いた話を思い出した。


「承知した、風のアトカ。総攻撃当日の朝から、旧市街を公の避難場所としよう。ただし、敵の進軍が始まれば、旧市街の門は閉ざす。それで良いか?」


 ロレンスさんがアスリンに答えた。


「もちろんよ。一人でも多くの人が助かるのなら、それでいいわ。堅牢のロレンス、配慮してくれて、ありがとう」


 アスリンは、安心した様子でロレンスさんに笑顔で頷いた。


「礼には及ばないよ、風のアトカ。むしろ、僕の方こそ礼を言わせて欲しい。君はいつも、我々武官では気がつかない、民の目線で意見してくれる。本当に助かる」


 ロレンスさんは、穏やかな笑みを浮かべてアスリンに感謝の意を伝えた。何だか、微笑み合う二人の姿を見ると、ハルと彩葉のイチャつき以上の苛立ちを覚えた。


「あ、そうだ! ユッキーは、クロンズカークの夜襲に参加しないのよね? だったら、私と一緒に体の不自由な住民への呼び掛けを手伝ってもらえるかしら?」


 視線に気がついたのか、アスリンは突然話を振ってきた。少し驚かされたけど、ボクがアスリンからの誘いを断るわけがない。


「もちろんだよ、アスリン。ボクにできることがあれば何でも言ってくれ」


 ボクは、アスリンに即答で返した。


「ユッキー君。私からも一人でも多くの住民に、避難の呼びかけをお願いしたい。住民の安全を守ることこそが、我々軍属の真意だ。友を思う君が、危険を伴うクロンズカークの夜襲に対して、良く思っていないことはわかっている。しかし、この夜襲の成否が、遊撃旅団の総攻撃を阻止できるかどうかに懸かっている。かねてより、特殊魔導隊の一員として、日々努力している君にこそ、この作戦を承諾していただきたいのだが……、どうだろう?」


 ヘニング大尉は、ボクの目を見ながらそう言った。アスリンと一緒に住民の避難を呼び掛けて欲しいと言いながら、ボクが夜襲に反対していたことを見抜いていた。そして、ここにいる全員の前で賛同を求められたら……。会議室にいる全員の視線が、ボクに集まっている。とても反対なんてできやしない。ヘニング大尉は、本当に策士だ。


「わかりました、ヘニング大尉。皆を信じて、ボクは自分にできることをしながら、皆の帰りを待ちます」


 ボクは、ヘニング大尉にそう答えるしかなかった。


 ボクの知らないところで、みんなが辛い思いをしたり、傷つくことが堪らなく怖い。それと同時に、自分の無力さが嫌になってくる……。


「大丈夫だよ、ユッキー。私も自分にできることをやるだけ。無理はしないから信じて。もちろん、すぐに熱くなっちゃうハルだって、絶対に無理させないようにするから」


 彩葉は、ハルを横目でチラッと見つめ、クスクス笑いながら揶揄からかった。彩葉はドラゴニュートになっても、以前と変わらず可愛らしい。単に容姿だけじゃなく、ボクは彩葉のこんなところに惹かれていた。


「わかったよ。大変だと思うけど、ハルの御守りを頼んだぜ、彩葉」


 ボクを気遣ってくれる彩葉に、ボクは笑顔で応えた。


「うん、任せて!」


 彩葉もボクに微笑み返した。やっぱり彩葉は可愛い。


「お、おい……。あのなぁ……」


 ダシにされたハルが、不貞腐れ気味に呟いた。全く羨ましいぜ、ハルは……。


「フフッ……。君たちは、相変わらず仲がいいようだな。ヘニング大尉、これで夜襲の件は、満場一致ということでよろしいか?」


 ボクらのやり取りを見たジャスティン導師が、苦笑いを浮かべてヘニング大尉に尋ねた。


「はい、お陰さまで。それでは、クロンズカークへの出発は、予定通り仮眠を取り、四時間後の○二三○まるふたさんまるとする! 本作戦は、私が指揮を執り、特殊魔導隊の他に五小隊を同行させます。シュトラウス少尉、アイシュバッハ軍曹、黒鋼のカトリ、そしてハロルド君。総員、準備はよろしいか?」


「「はい!」」


 ヘニング大尉の言葉に、皆が声を揃えてヘニング大尉に返事をした。


「それにしても、シュヴァインブラーテン作戦などと……。ふざけた作戦名だ。SSシュッツシュタッフェルの連中は、完全に我々を舐めているな」


 副官のハイネ中尉が、不機嫌そうな顔つきで不満を漏らした。


「ねぇ、キアラ。その作戦名ってドイツ語よね? どういう意味なの?」


 興味を示した彩葉が、隣の席に座るキアラに尋ねた。


「シュヴァインブラーテン。そのまま訳せば、ローストポークです。レンスターを火で包み込んで焼き上げ、美味しく料理してやるぞ……、という意味なのでしょうか……」


 キアラの説明で、ハイネ中尉が不機嫌になった理由がわかった。


「ローストポーク……。美味しそう……」


 そう来ますか、彩葉さん……。


「ハハハッ! さすが大物だな、黒鋼のカトリは!」


 ヘニング大尉が腹を抱えて笑いながら彩葉に言った。


「そ、そういう意味では……」


 彩葉は、必死に弁明しようとしたけれど、ヘニング大尉の笑いに釣られ、周りの皆が笑い始めた。何も言えなくなってしまった彩葉は、赤面してその場で俯いてしまう。そんな彩葉の肩に、ハルがそっと手を置いて彼女を慰めた。


 今はみんなが笑っている。しかし、この笑顔がいつまでも続くとは限らない。そう考えると怖くなる。


 本格的な戦争が近づくに連れて、ボクの心は不安で満たされてゆく。明日は、ボクの出撃ではないけれど、とても仮眠なんてできる気分ではなかった。

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