第52話 灰色のドラゴニュート(下)

「ファルラン、何をっ?!」


 アスリンがファルランに叫んだ。俺はファルランが毒でも飲んで自ら命を絶とうとしたのかと思った。しかし、ファルランの体に突然異変が起こり始めた。目視できるファルランの腕や首筋の肌の部分から、ゴツゴツした灰色の石片みたいなものが突き出してくる。


「何だ?!」


 憲兵の誰かがファルランの異変に驚いて声に出した。


「ヴォォォォォォッーーーーー!!」


 すると、ファルランは雄叫びのような、言葉にならない叫び声を上げた。灰色の石片みたいなものは、……鱗だ。鱗はみるみる全身に現れ、やがて、頭頂部に大きな尖った角が生えた。背部から尻尾も突き出してきた。


「クソッ! あの野郎、ドラゴニュートになりやがった!」


 弓を構えた憲兵たちは怯んで、後退しながらそう叫んだ。


 これが……、ドラゴニュート……だというのか。アスリンと出会った時、『ドラゴニュートは恐ろしい怪物というのが常識』と言っていた理由がわかった気がする。しかし、竜の血を飲むとドラゴニュートになることは理解できたけど、彩葉の時と違ってドラゴニュートの特性が現れるまでの時間が早すぎる。


「さっきあいつが飲んだのは闇取引された亜竜の血だ。あいつはもう人間ではない。引くぞ、ハロルド! アトカとカトリは裏口から脱出しろ!」


 ロレンスさんは構えていた弓をその場に投げ捨て、武器を剣と大盾に持ち替えて皆に指示を出した。ロレンスさんの焦りから、目の前の怪物ドラゴニュートが本当に危険であることが伝わってくる。


「ヴォォォォォォォォッ!」


 両手用の大きな曲刀を片手で振り回しながら、ファルランは再び雄叫びを上げた。ロレンスさんは俺に下がれと言ったけど、さすがにドラゴニュートになったファルランとの距離が近過ぎた。彩葉みたいな速さで突っ込まれたら逃げ切れるわけがない。


 ファルランは目の前にいる俺と目が合うと、ブルブルッと体を震わせて身を屈めた。完全に動きが獣だ。そしてその顔は笑っていた。突っ込んでくる気かっ……!


「ハルッ! 避けてっ!」


 彩葉が俺に向かって叫ぶ。


 パンッパンッパンッパンッ!


 俺は拳銃の残りの弾を全て目の前の怪物に撃ち込んだ。弾丸は目標に命中した手応えがあったけれど怯む様子を見せない。ファルランは身をかがめて、俺を睨んだまま凄い早さで突っ込んできた。


 俺は右前方に飛び込むようにジャンプして、肩から着地して前転しながらファルランの攻撃をかわして受け身を取る。右膝をついて起き上がろうした時、すでに次の攻撃が俺を目掛けて襲いかかってきた。


 速いっ! ドラゴニュートの身体能力は、彩葉と同じように人間の領域を越えている。俺は咄嗟に左手に作り出してあった雷の塊をファルランに至近距離から撃ち込む。


「グヴォァァァァァァァッ!」


 ファルランは、悲痛な叫び声を上げて仰け反り、狙いを俺から入口で剣を構える憲兵に変えて爪を突き立てながら体当りした。


「ぐわぁ!」


 ファルランは倒れる憲兵を突き飛ばすと、そのまま東区の大通りに飛び出した。


 しかし、雷撃が利いているのか、逃走しようとするファルランは先程より明らかに動きが遅い。二人の憲兵が果敢にファルランの前に立ちはだかった。


「ロレンスさん! 被害が大きくなる前にやりましょう! 先程の俺の呪法が利いているようですし、やれるはずですっ!」


 俺は倒れた憲兵に駆け寄るロレンスさんにそう言った。ロレンスさんに支えられた負傷した憲兵は、右の肩がざっくりと爪でえぐられており流血が酷く痛々しい。


 トロルやロック鳥ですら同じ威力の雷撃で倒せたのに、灰色のドラゴニュートの生命力は相当高いのだろう。それでも、戦車を破壊した時のような特大の一発を当てればきっとやれるはずだ。


「承知した……! カトリとハロルドはファルランの討伐に専念してくれ! アトカは負傷者の手当てを! それ以外の者は床に転がる残りの容疑者を取り押さえろ! そいつらも竜の血が入れられた瓶を所持する可能性がある! 用心しろ!」


 俺と彩葉は声を合わせてロレンスさんに呼応し、外に飛び出したファルランを追いかけた。アスリンと三人の憲兵もロレンスさんの指示に従ってそれぞれの持ち場に移った。


「ハル、イロハ! もうあれは私が知るファルランじゃない! 何がなんでも彼を止めてっ!」


 負傷した憲兵の元へ駆け寄ったアスリンが俺たちにそう叫んだ。俺たちはアスリンに力強く頷いた。彼らを説得している時、アスリンは目に涙を浮かべていたけど、もういつもの彼女に戻っていた。アスリンには申し訳ないけど、もうあの灰色のドラゴニュートを倒すしかなさそうだ。


 二人の憲兵が、大通りに飛び出したファルランを足止めしていたため、俺と彩葉はすぐに追いついた。


「ハル! 私があの人に突っ込んで動きを封じるから、私が合図したら特大の魔法を撃ち込んじゃって!」


「了解。無理するなよっ!」


「うん!」


 彩葉はニッと笑って頷いた。怖がっているのか楽しんでいるのか……。とにかく、俺は彩葉の提案通り、特大の雷の塊を作って機会を待つことにした。


 彩葉は黒鋼の鱗で硬化して両手に黒鋼の刃を作り出した。


「はぁぁぁぁぁっ!」


 彩葉は掛け声とともに、左肘を折り曲げて二本の黒鋼の刃を彼女自身の右側に構え、もの凄い速さでファルランに飛び込んでゆく。


 彩葉の声に反応したファルランは、対峙していた憲兵たちから突っ込んでくる彩葉に向きを変えた。やがて彼女がファルランの間合いに入ると、ファルランから曲刀が真一文字に振られてくる。その攻撃を予想していた彼女は地面で前転するようにそれを避けて一気に間合いを詰めた。


 それから彩葉は左足を踏み込んで、右半身に構えた左手の黒鋼の刃を右から左へと振り払った。彩葉の左手の刃は、ファルランの曲刀で受け流されてしまう。しかし、それは彼女の誘いだった。


 次の瞬間、彩葉は踏み込んだ左足を軸にして回転するように、先程と同じ方向から右手の黒鋼の刃をファルランの首筋目掛けて振り払った。彩葉の二段目の避けようとするファルランだったが、右手の黒鋼の刃の尖端がファルランの首筋を抉った。ファルランの首から鮮血がほとばしる。


「グヴォォォォォオオオオオオオッ!」


 灰色のドラゴニュートは首を押さえながら、仰け反るような体勢で苦闘な叫びを上げた。彩葉は返り血を浴びないように、地面に手を着かず側転するような、アクロバティックな動きで後退して竜の力を解除した。


「今よ、ハルッ!」


「任せろっ!」


 彩葉の合図で俺は特大の一撃をファルランに撃ち込んだ。雷撃が貫通したファルランは、大きく仰け反って吹き飛んだ。


「ゴォォォォ……オオオオ……」


 灰色のドラゴニュートの断末魔が東区の大通りに響き渡る。吹き飛んだファルランは、大通りに面した外郭の城壁に激突し、そのまま落下してビクビクと痙攣する。


 やがて灰色のドラゴニュートは動かなくなった。



 ◆



 アトカ襲撃事件の顛末てんまつとして、主犯格のファルランと実行犯のリカルドが死亡し、重傷を負ったマーカスが逮捕されて事件は一旦幕を閉じた。容疑者の遺体が回収される頃には、ドラゴニュートが東区に現れたと大騒ぎになっていた。


 驚くことにファルランの遺体は、ヴリトラの時と同じように光の粒子のようなものが彼の体から立ち上って蒸発するように消えてしまった。


 レンスター城に戻ってから逮捕したマーカスを尋問したところ、アスリンの命を狙った目的は、彼女の『虚偽を見極める精霊術』を排除するためだったらしい。ファルランは家族を拉致されて人質に取られていたようで、半強制的に従っていたのだという。


 首謀者を知っていたのはファルランだけで、リカルドとマーカスは知らされていなかったそうだ。マーカスの供述が真実であることは、皮肉なことにアスリンの虚偽を見破る精霊術で証明された。とりあえず、容疑者たちの雇い主がアスリンの精霊術を邪魔に感じていることがわかった。


 また、この事件の裏にいる真犯人は、容疑者たちが彩葉の模擬戦を知っていたことから城内に出入りする者である可能性が高い。その結果、アスリンは単独行動を禁じられ、レンスター公王の指示により、俺が彼女の護衛を務めることになった。


 そのことに彩葉は不服そうだったけど、彩葉には公王陛下の従士として別の役割があるのだから仕方がない。


 そして、事件から一夜明けた翌日。


 人質となって行方がわからなくなっていたファルランの家族は、不幸にもレンスター川の下流で全員遺体で発見された。


 結局、アスリンのかつての仲間たちを殺める結果になってしまった。


 不幸なファルラン一家やリカルドのためにも、俺はこの件に関するレンスターの闇を排除しなければならないという使命感に駆られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る