第42話 手慣れの暗殺者(下)
「やぁ、いらっしゃいお嬢さん。って、アトカさんか。今日はそちらの男性からの贈り物ですか?」
「ううん、今日は彼の恋人のプレゼントを選びに来たの」
私は店主にハルを紹介する。店主は感心したようにハルを見つめ一礼する。
「いらっしゃいませ、お客様」
「どうも。手持ちは僅か銀貨二枚程度なんですが、これで買えるアクセサリーとかありますか?」
「そうですね。そこにあるラピスラズリを嵌めた銀製の指輪か、黒曜石のイヤリングならその値段でお譲りいたしましょう」
ラピスラズリや黒曜石はキルシュティ半島近くの銅鉱山で副産物として産出されている鉱石だ。この辺りでは比較的安価で出回っている。そういえばイロハが時々つけている青い髪留めもラピスラズリに似ている気がする。
「ハル、もし足らないところは私が立て替えるわよ?」
「ありがとう、アスリン。気持ちは嬉しいよ。既に色々と肩代わりしてもらっておきながら言うのもなんだけど、ここに来る前から決めてたんだ。自分で初めて稼いだ金で彩葉にプレゼントを贈りたいって。だからミハエルさんから頂いた残りの銀貨で選びたいんだ」
照れ臭そうに二枚の銀貨を私に見せながら、そう言ったハルの言葉に思わずハッとさせられた。わかっていたけど、彼は本当にイロハのことが大好きなんだと伝わってくる。好きな人からそこまで想われているイロハが羨ましい。
「ハルの考え方、私は好きよ! そのラピスラズリの指輪なんてどうかな? 同じような石のついた髪留めをイロハは時々つけているわよね?」
「さすがアスリン、よく気がついたなぁ。俺たちの故郷でも同じ名前で呼ばれていて、邪気を退ける魔除けの効果があるって言われているんだ」
ラピスラズリに
「テルースでもそうなの? アルザルでもラピスラズリの石が持つ象徴的な意味合いは同じよ」
私は店主に聞こえないようにハルの耳元でそっと伝える。
「そうなのか?! ってことは、これも天使たちが関係しているのかな?」
私もハルと同じことを考えていた。時間の概念などもそっくりだったけれど、アルザルとテルースで共通していることが多いのは、やはり偶然ではない気がする。小声とはいえ、私たちの会話をさすがに不審に思った店主が首を傾げている。
「お客様、どうしましょう? 間もなく店仕舞いの時間なので……」
「あ……、あぁ。すみません。それじゃこの指輪をお願いできますか?」
ハルがラピスラズリの指輪を注文する。
「ありがとうございます。それでは、サイズの調整はどうしましょう?」
「そうだ……。そういえば俺、彩葉の指のサイズ知らなかったな……」
「フフフ。ハル、任せて。今日イロハを起こす時に手を握ったからわかるわよ。あの子のサイズは九号で大丈夫」
「頼りになるぜ、アスリン」
「承知しました。それでは、九号の大きさに調整しておきます。仕上がりは明後日の昼過ぎであれば調整が終わっていると思います。前金としてお代を半分頂戴してよろしいですか?」
「わかりました。明後日の昼過ぎにまた伺います」
ハルは前金を支払い職人と握手を交わして商談が成立した。
「良かったね、ハル」
「あぁ、アスリンのおかげだよ。ありがとう」
ハルが嬉しそうに私に手のひらを見せて私にハイタッチを求めた。
「うん! どういたしまして!」
私は大きく頷いてハルとハイタッチを交わした。パシッと手と手が当たる心地よい音が響く。私はハルたちがよく交わしているこの挨拶が大好きだ。
「それじゃ、彩葉が文句を言いだすと面倒くさいから早く戻ろうか」
「もう……、面倒くさいなんて言ったら失礼よ? ここからなら、そこの路地を道なりに進めば、十五分かからずに西風亭に到着できるわ」
私たちは、装身具を購入した露店を後にして西風亭を目指して裏路地を進んだ。
レンスター新市街は、旧市街を中心に十字状の四本の大きな通りが、外郭の壁際にある環状の大通りに向かって直線で伸びている。大通り以外の宅地や商店が並ぶ生活路地も外郭の環状大通りに
「まだ方向感覚が余りよくわからないけど、道も多いしレンスターは交通の便が良さそうだなぁ」
「うん。レンスターの市内は、高低差がない平地にある環状の城郭都市だから、道も多くて移動しやすいのよ。慣れていない人は迷うけど、土地勘がある人は移動しやすい。これも戦に備えた防衛上の構造みたいだけどね」
「なるほど。しかも建ち並ぶ建物からなら路地を狙撃しやすそうだな」
「そうね。千年の歴史があるこの街で市街戦になったことはないみたいだけどね」
今ここで私たちを狙うなら正面に建つ三階建ての住宅からだろう。そう思いながら私がハルに答えたその時、その建物の三階の屋根の上からこちらに向けて弓を構えている人影を見つけた。暗くてはっきり見えないけど、周りの建物の窓から漏れる光のおかげで私はそれに気がついた。体型からしてたぶん男だ。
「ハル、危ないっ! 正面の屋根の上から弓で狙われているっ!」
私が大声で叫ぶと同時に、私の右肩の脇からヒュンという風を切る音が聞こえた。屋根の上の人影から放たれた矢だ。矢は地面に刺さることなく、カラカランと軽い音を立てながら後方に転がって行く。私は驚きで後退した際、
もう少し早く気がついていれば、風の精霊術で防護壁を作り確実に避けることができたと思うけど、さすがにそんな余裕はなかった。偶然とはいえ、私が人影に気づいて叫んだことで、相手の手元が僅かに狂って矢が外れたのかもしれない。
すぐに矢を放った人影がいた場所に視線を戻したけれど、既にそこには誰もいなかった。背筋に冷や汗が伝わるのを感じる。
「アスリン! 大丈夫かっ?!」
私の左側を歩いていたハルが、駆け寄って私を庇うように前に立った。そして彼は懐から拳銃を取り出し、矢が飛んで来た方向へ向けてじっと構えた。
「えぇ……。大丈夫、無事よ。相手は素早いわね……。もう人影はいなくなっているわ」
たぶん、これは立ち位置的に私を狙った矢だろう。
「今のはアスリンが狙われたのか?」
「確実じゃないけど、たぶんそうだと思う。暗闇であんな高い場所から弓を放って素早く移動できるなんて……。しかも、私が張っていた風の結界を突破できたとなると、精霊術の知識を持つ手慣れの暗殺者かもしれない」
私は過去に自分がしてきたことや公王陛下の従士であることを理由に、私を恨む人がいることを知っている。実際、過去に暗殺者に狙われたことも何度かある。しかし、それらは、風の精霊術による結界のおかげで毎回逃げ切ることができた。今回は襲撃されたこともショックだったけど、危険感知の結界が突破されたことの方がショックだった。
「とにかく怪我がなくて安心した。でも暗殺者は近くにいるはずだし、急いで西風亭へ戻ろう」
ハルは地面に座ったままの私に右手を差し出した。私が起き上がるのを手伝おうとしてくれる意図だとすぐにわかったので、私も彼に右手を差し出した。ぐいっと優しく手を引いてくれた彼の手は温かかった。
「ハル、心配してくれてありがとう。風の結界が予兆もなく突破されていただなんて、まだまだ私も修行不足なんだなぁって感じちゃった」
私はワンピースの埃をパンパンと払いながら、自分の精霊術の未熟さを自嘲した。
「そんなことないって。アスリンの精霊術は凄いさ。たまたま結界を守っていた精霊が隙を突かれたという可能性はないのか?」
ハルは拳銃をコートの内ポケットにしまい、地面に転がっている矢を拾い上げながらそう言った。
「えぇ、それはないわ。勤勉な精霊が隙を作ることはないし、結界が壊されればそれはそれですぐにわかる。結界から感知を避ける方法は二つ。私より上位の風の精霊使いが私と契約した精霊を制御したか、或いは……」
「……或いは?」
「風の精霊術の結界は、術者を中心に予め決められた範囲でリング状に張られているの。私の場合、その範囲は五十メートルくらいよ。術者が敵と認識している対象、または、術者に殺意を持った対象が結界に触れた時に、結界を守護している精霊が術者に危険を知らせてくれる仕組みなの」
「つまり、さっきの暗殺者はアスリンが敵と認識していない対象で、五十メートルくらいに近づいた時に殺意がない状態で待っていた、と?」
「レンスターに凄腕の風の精霊使いがいるなんて話を聞いたことがないし、恐らくそうなるわ。ごめんね、心配掛けて」
「いや、仲間なんだし当然だろう。そいつは少なくともアスリンを知っている……か。それより命を狙われるような思い当たることってあるのか?」
「そうね……。数えればきりがないくらいある……かも?」
「おいおい、こんな時に冗談はやめてくれ。落ちていた矢が湿っている……。もしかしたら毒かな? いずれにしても明日早めに登城して、このことはしっかり陛下に報告しよう。今夜もきっと西風亭に憲兵が立ち寄るだろうし、しっかり保護を求めよう」
「えぇ、そうするわ」
ハルは拾い上げた証拠となる矢をハンカチで包み込み、それをコートのポケットにしまった。彼は冗談と受け取ったかもしれないけど、私には狙われる理由がたくさんあるのは本当のことだ。
今回の暗殺者が私を狙った理由は、ヴァイマル帝国の調査に関連することなのかわからない。簡単に逃げられてしまったけれど、西風亭に迷惑が及ぶ可能性もあるし黒幕の存在がとても気になる。
「じゃ、俺が道なりに走って先導するから、曲がるところがあったら言ってくれよ」
「ありがとう、この道をまっすぐ行けば西風亭が見えて来るわ。私の精霊術を知っている暗殺者なら、しばらく迂闊に近づいてくることはないはず。でも頼りにしているわ、ハル」
「任せておけって」
ハルは私の言葉に親指を立てて頷くと西風亭を目指して走り始めた。私も彼の後に続いて走る。周りを警戒しながら走る彼の横顔が時々見える。その表情はとても頼もしくカッコいい。信頼できる仲間はどのような財宝にも勝る。私は心の底からそう思いながら、私の前を走る彼の背中を追い続けた。
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