第71話 竜の手綱を取る者

 ジェームズ・レンダー氏の誘拐未遂事件に関する公式尋問は、開催日時が公表されていなかったにもかかわらず、レンスター城の大広間に収まりきらない程の傍聴者が訪れた。公式尋問は、妨害を受けることなく順調に進められ、二人の容疑者がジャスティン導師の尋問に対して従順に答弁したため、予定より早く終了した。


 実行犯の中心人物、トマス・マグアート伯爵の従士である『疾風のファング』は、酒に酔うと口が軽くなる愚かな男だった。これが幸いして、尋問を受けた容疑者たちの供述で事件の全貌が明らかにされた。


 容疑者たちの答弁に虚偽は一つもなかった。私が使う虚偽を見破る風の精霊術の前で偽りは通用しない。そのことを容疑者たちも知っていたようだ。虚偽の答弁や黙秘を貫けば、公王陛下から言い渡される刑罰に損はあっても特はない。


 虚偽を見破る風の精霊術の仕組みは、対象が発声した言葉の音に不安や疾しい気持ちがあると、微妙な空気の流れの違和感を精霊が読み取り感知する。基本的に真偽は術者にしかわからない。しかし、マナの消費量を上げて精霊と堅固な契約を交わすと、虚偽の発言をした対象の体が淡く緑色に発光するようになる。この方法により、たとえ虚言癖や詐欺師が相手でも、精霊使い以外の者でも真偽を見極められるようになる。


 しかし、精霊との堅固な契約は、精霊使いであれば誰でもできるものではない。堅固な契約は、難度が高く長年の経験と感覚を求められる。これができる風の精霊使いはレンスターに私しかいない。


 尋問の結論から言うと、マグアート子爵親子は、殺人罪、誘拐罪、密輸罪、それから国家反逆罪など複数の罪で有罪となり、公王陛下から拘束令が出された。尋問を傍聴したマグアート家の派閥に属する貴族たちからも同意が得られため、大きな混乱に発展することはなかった。


 公王陛下によってマグアート子爵及び伯爵親子に拘束令が発令された。私はすぐに風の精霊術を使って、この結果をエディス城でマグアート子爵の監視をしているバッセル卿たちに伝達した。私の伝達は無事に届いたようなので、マグアート子爵を捕らえた騎士たちが夕方までにレンスターへ戻ると思う。


 尋問で明らかにされたマグアート親子の動機は、レンスターが抱える最大の課題である王位継承問題に関することだった。十二年前のエスタリアとの戦でヘンリー王子が討ち死にされたことで、レンスターは後継者となる男子がいない。そのため、現在のレンスターの第一王位継承権は、御歳七歳の公女殿下にある。


 この世継問題は、三年以上前から貴族諸侯と行政官たちで幾度となく議論が交わされていた。そして三ヶ月前に、レンスター家の遠戚にあたるアルスター公国の第二王子エドワード様を公女殿下の婿養子として迎えることが決定した。


 これに不服だった王位継承権を有するマグアート家は、エスタリアの後押しを得て、現公王陛下を追放してレンスターの王位を狙っていたのだという。しかし、彼らが水面下で動くためには、公王陛下に仕える風の精霊術を操る私という存在が邪魔になった。堅牢のロレンスの推測通り、彼らが私の命を狙う理由はそこだった。


 丁度その頃、キルシュティ半島で目撃された鋼鉄竜の調査が行政官から求められていた。思い返せば、公王陛下に命じられて私が単独でキルシュティ半島へ向かうことになった背景に、公王陛下に私の派遣を強く推していたのはマグアート子爵だった。きっと任務中の事故死を期待していたのだろう。


 たしかに単独の方が動きやすかったけど、あの任務は本当に心細かったし危険度も高った。もし偶然、彩葉たちに出会えていなければ、私はマグアート親子の望み通り任務の途中で命を落としていたかもしれない。ところが、私がキルシュティ半島から生還したことで、彼らはすぐに次の手を打ってきた。


 それが彩葉たちを巻き込んでしまったファルランたちの一件だった。ファルランたちの家族を人質に取ることで、私の風の結界の弱点を知る彼らを利用し、私を暗殺するという卑怯な計画だ。ハルと彩葉の介入でその計画が失敗すると、人質たちを口封じに殺害した。


 ハルと彩葉の能力に焦ったマグアート親子は、今度はレンスターでも指折りの剣技を誇るレンダー卿に目を付けた。そして同じ手口で、ジェームズ・レンダー会長を人質に取ろうと誘拐を試みるも、実行犯である『疾風のファング』が返り討ちにされ計画が未遂に終わった。これが、今回の誘拐未遂事件に至るまでの経緯だった。


 事件の真相を語った二人の容疑者は、金で雇われた下っ端のならず者だ。さすがにマグアート家を後押しするエスタリアのことまで知らないようだった。


 レンスターとエスタリアは、古くからキルシュティ山麓の銅山と領土をめぐる問題で争いが絶えない間柄だ。しかし、十二年前のフェルダート川の戦いで、エスタリア王が捕虜となり、エスタリアがレンスターに降伏することで終戦を迎えた。終戦協定を結んだ両国は、それぞれの都市国家に互いの大使を置くことで合意し、表向き良好な関係を維持している。しかし、戦争の傷痕は深く、未だ怨恨を抱く者も大勢いる。


 レンスターは、エスタリアとの戦に勝利したものの世継を失うことになった。私もフェルダート川の戦いに従軍していたので、公王陛下が酷く嘆かれたことをはっきりと覚えている。


 一方、敗北したエスタリアは、捕虜となった国王と引き換えに、レンスターが主張する領土とキルシュティ銅山を失い、多額の賠償金と労働力となる奴隷をレンスターへ献上した。独立こそ維持しているものの、国外への移民者が後を絶たない程、経済情勢は困窮している状況だ。


 そのエスタリアで大使を務めるトマス・マグアート伯爵は、エスタリアの国力や社会状勢について誰よりも詳しいはず。マグアート親子の背景にエスタリアの後ろ盾があるというけど、今のエスタリアに他国に関与できる力があると思えない。この点について、何か裏がありそうで胸騒ぎがする。


「ねぇ、アスリン。ハルたちは大丈夫かな? お昼過ぎには戻るかな?」


 今日は私の護衛に就いているため、ハルたちと別行動をしている彩葉は、公式尋問が終わってから本当に落ち着きがない。従士控室の窓から東区の門を眺めてばかりいる。


「同行する騎士たちは僅かだけど精鋭揃いだし、ハルたちならきっと大丈夫よ。さっきも言ったけど、エディス城まで片道三時間掛かるし、帰りは夕方くらいかなぁ」


 大変な賑わいを見せた城内も、公式尋問が終了するといつもの閑散としたレンスター城に戻っていた。従士控室があるレンスター城の三階はほとんど誰もいない。


「そ……、そうよね。ロレンスさんはマグアート子爵のって言ってたから、ハルたちが向かう先は、レンスター旧市街だと思ってた……。遠いところだけど、バッセル卿やレンダー卿だっているものね。何度も聞いてごめんね、アスリン……」


 窓の外を見つめていた彩葉は、解放された窓の膳板に両手をついたまま、私に振り返りながら謝った。振り返った際に、彼女の奇麗な黒髪が軽やかに揺れる。アルザルに来たばかりの時よりも、彼女の奇麗な黒髪は少し伸びたように感じる。今の髪型でも十分可愛いけど、彼女は長い髪もきっと似合うと思う。


「ううん、謝らないで、彩葉。そもそも、この事件の流れは私が元凶。むしろ謝るのは私の方。色々と迷惑かけてごめんね」


「そんなことない! アスリンは立派な被害者なんだから、それこそ謝ったらダメよ。アスリンは私たちにとって大切な仲間。苦しむ仲間を助けるのは当然なんだから!」


 彩葉は、窓辺からソファに座る私の元へ駆けつけて、私が言った言葉を否定した。彼女の表情は本気だ。いつだってそう。まっすぐで曇りがない。彼女のそういうところが私は好きだ。


「わかったわ、彩葉。私ね、みんなが私のために頑張ってくれることが本当に嬉しいの。仲間……、だもんね。今は守ってもらってばかりだけど、私も仲間のために頑張るわ」


 母親が疾走したあの日から、私は誰かの温もりを求め多くの出会いと別れを繰り返しながら生きてきた。仲間ができて一緒に過ごす時は、本当に楽しくて幸せな時間だ。けれど、人間とエルフは、同じ時間を生きていても生きる時間が違う。やがてそれぞれの事情で別れがやってくる。別れは寂しい。切なくて悲しいこともあった。親しければ親しい程、その感情は強くなる……。


 それでも私は仲間を求め続けた。一人でいることが嫌いなのは自分でもわかっている。だからと言って、閉鎖的で変化を求めずに暮らす同族はもっと嫌いだった。キルシュティ半島で彩葉たちに出会えたことは、私は本当に運命だと思っている。ドラゴニュートの彼女とならば、本当にいつまでもずっと一緒にいられるかもしれない……。


「うん! それに私たちは仲間というだけじゃなく、ずっといつまでも親友だよ」


 彩葉は私の前で膝を曲げ、ソファに座る私と視線を合わせてそう言ってくれた。嬉しくて涙が出そうになる。彼女のクランベリーのような赤い瞳をジッと見つめて私は頷いた。


「うん……。ありがとう、彩葉」


 開けられたままの窓の外から少し湿った風が入り込んでくる。壁掛けの時計を見ると十一時半を示していた。王室の昼食を作るいい香りが風に乗って流れて来る。風に運ばれるのは料理の匂いだけでなく、外の音も一緒に運んで来る。何だか先程よりも少し騒がしいように感じられた。


「なんだろう……、結構騒がしいわね」


 ドラゴニュートの彩葉は、エルフの私よりも耳が良い。彼女はスッと立ち上がり、また窓際へと向かった。そして、自分の耳に左右それぞれの手を当てて、目を閉じて澄まして聞いている。彼女の集中が途切れてしまわないよう、私は黙ってしばらくそれを見守った。


「アスリン、大変っ! 負傷したバッセル卿を背中に乗せた鋼鉄竜がレンスターに現れて、凄い勢いでレンスター城へ向かっているって!」


 彩葉が目を見開いて叫ぶように言った。彼女の表情から突然の事態に動揺しているようだ。


「えっ?!」


 予想を遥かに超えることを彩葉から言われ、私もびっくりしてソファから立ち上がった。何がなんだか頭の中で整理がつかない。


 どうしてエディス城に鋼鉄竜が……? どういうことなの?!


「きっと運転しているのはハルだと思うけど……、そもそも何でそんな物がマグアート子爵のお城にあったの? 自動車に乗ってレンスターへ来ちゃって大丈夫なのかな?!」


 やはり彩葉も私と同じことを考えていたみたいだ。


「私にもわからないけど……」


 コンコンコンッ!


 慌ただしく従士控室の扉をノックする音が室内に響き渡った。


「どうぞ!」


 私は少し大きめな声で扉の向こうでノックする人物に告げた。扉を開けて現れたのは、慌てた様子の城内の衛兵だった。


「申し上げます。今しがたレンスターに鋼鉄竜が現れました! 鋼鉄竜は、東区の城門を通過すると恐ろしい速さで進み、レンスター城の練兵場で足を止めました。竜の手綱を取る者は、驚いたことにエディス城へ向かった黒鋼のカトリのお連れの者です! また、バッセル卿が重体、ゴードン卿も重傷を負っておられます。ただいま城内の医師と治癒士を集めておりますので、お二方も練兵場へ向かって下さい!」


「わかったわ。伝達ご苦労さまです。すぐに向かうとジャスティン導師に伝えてください」


「はっ!」


 私が衛兵に伝達の礼を告げると、衛兵は私に敬礼してすぐに走って戻って行った。


「私たちも行こう、アスリン! みんなが心配……」


「うん!」


 私は彩葉の呼びかけに頷いた。レンスター城は突然現れた鋼鉄竜に騒然としている。私たちは、レンスター城の三階の回廊を走って中庭へ降りる階段へと向かった。回廊のバルコニー下にある中庭の練兵場を伺うと、二号と同じ自動車が停車していた。


 練兵場に騎士や衛兵たちが集まって、鋼鉄竜に武器を抜いて身構えている。そして、必死に彼らを説得しているハルとユッキー。後部座席で項垂れるバッセル卿は、遠くから見ても重傷だとすぐにわかった。


 マグアート家はヴァイマル帝国にも通じていたのだろうか? 或いは、ヴァイマル帝国と通じているのは、マグアート家の背後にいるエスタリアなのかもしれない。いずれにしても最悪の敵が間近にいることは間違いないと思う。思いがけない鋼鉄竜の登場で、今日はまだまだ忙しくなりそうだ。

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