第69話 照準線の向こう側(上)
スラッとした長身にシャープな顔立ち。気品ある鮮やかな金髪と奇麗な碧眼。側頭部の髪は刈り上げられ、丁寧にヘアワックスで固められた前髪。清潔感を漂わせ、笑顔で同僚と話すこの若者は、いわゆるイケメンである。勲章が胸元に飾られた黒い軍服は、そんな彼によく似合っていた。きっとモテる男だと思うし、彼の帰りを待つ恋人もいるだろう。
しかし、彼の人生はボクが右手の人差指を引くことでピリオドが打たれる。自ら進んでこんなことをやりたいなんて思わない。しかし、
腕に鍵十字の赤い腕章。彼は、ボクたちがこの世界へ来る契機となったナチスの軍人で間違いない。そもそも、なぜここにヴァイマル帝国の軍人が現れたのか謎だ。ただ、今はそんなことを考えている時間はない。
ボクが覗く望遠スコープの十字の
別の形で出会えていれば、いい友達になれたかもしれない。でも……、恨みはないけれど、サヨナラだ。
ボクは息を止め、ゆっくりと右手の人差指で引き金を引いた。
乾いた銃声が静かなパッチガーデンの丘陵地帯に響き渡る。
一瞬のことで、撃たれた本人も何が起こったのかわからず逝っただろう。ボクが撃った弾丸は対象の頭部に命中した。頭部から血を吹き上げ、彼は両膝をついてそのまま地面に倒れた。ボクの手がカタカタと震えだす。頭の中で割り切っているつもりでも、人を殺めるのは怖い。狙撃されたことで、キューベルワーゲンの助手席に座っていたもう一人の軍人が立ち上がり、城の門の方に向かって何かを叫んでいる。ボクはスコープから目を外して辺りの様子を見渡した。
エディス城へ向かっていた騎士たちの馬が
ボクは一発ずつにバラした弾を一つ手に取った。そして手元の小銃、カラビナー98kの装填口から左手の親指で詰め込むように次弾を押しこむ。先程射撃した弾薬の余熱で装填口付近の金属が熱くなっており、手袋越しでも指先がヒリヒリする。
照準器を取り付けるとカラビナーは、弾を装填する際にスコープが邪魔になり、五発一組になったクリップ式の弾倉が使えない。そのため単発ずつ装填しなければならない。連射できなくなる煩わしさがあるけど、スコープの有無で命中精度は断然に違った。レンスターに到着する前日、無人の海岸でアスリンとした射撃の練習の成果が、こんな形で活かされるとは思いもしなかった。
バッセル卿たち四人の騎士は、ボクが装填準備をしている間に暴れる軍馬を制御できたようで、再びエディス城を目指して上り始めた。ボクは再びスコープの覗き込む。騎士たちの突撃に気がついた軍人は、足元から機関銃を取り出してキューベルワーゲンの銃座に取り付け始めた。あれを撃たれたらさすがにまずい。
機関銃を銃座に設置した軍人は、ベルト式の弾を箱から取り出して機関銃に装填している。訓練を積んでいるようで作業が手馴れている。ボクは大きく息を吸い込み一時的に呼吸を止める。ボクは手馴れの軍人にゆっくりと狙いを定めた。照準線の向こう側の対象を捉える。そしてボクは引き金を引いた。
二発目の銃声音がパッチガーデンに響き渡った。
ボクが撃った弾丸は対象の胸部に命中し、軍人は一回転するように吹き飛びながら、キューベルワーゲンから地面に放り出された。不思議と二人目を撃った時は、もう恐怖を感じなくなっていた。これも慣れなのだろうか。
二人目も致命傷となったようで、動く気配はなかった。スコープから離れると、エディス城の丘の麓で、ハルがボクに手を振っているのが見えた。きっと賞賛してくれているのだと思う。ボクは嬉しそうに手を振るハルを見て安心し、額の汗を拭いながら右手の拳を突き上げてハルに応えた。
先行する騎士たちは、もう丘の頂上付近まで上っていた。マグアート子爵が拘束されるのも時間の問題だろうと思ったその時、人影がエディス城から飛び出し、キューベルワーゲンに向かって走って行くのが見えた。ボクは、思いがけない増員に動揺した。
迂闊だった。帝国の軍人が予め城内に滞在していた可能性を考えていなかった。ボクのミスだ。三人目の軍人は、走ってキューベルワーゲンに取り付けた銃座につくと、先行する騎士たちを目掛けて機関銃を撃ち始めた。ボクは急いで身を伏せ、改めてカラビナーに弾を装填する。
今度はボクのカラビナーではなく、機関銃の音がパッチガーデンの空に鳴り響いた。先行している二人の騎士は、バッセル卿とゴードン卿だろうか。二人は軍馬ごと倒れてしまった。やられたのか……。
次弾の装填を終えたボクは、スコープを覗き込み、そのまま機関銃を撃ち続ける指揮官らしい軍人の頭に照準を合わせた。ボクが引き金を引くと指揮官の制帽が吹き飛び、指揮官は頭から血を吹き上げながら、キューベルワーゲンの車外へ転がるように倒れた。まだ他に帝国兵が来るかもしれない。ボクは教訓を活かして先に次弾を装填し、エディス城の城門を注視した。
しばらくスコープ越しにエディス城の入り口を見ていたけど、エディス城から出て来る帝国兵はもういないようだ。ボクはスコープから目を外し、改めて辺りを見渡した。
ハルがエディス城を目指して、丘を駆け上がって行くのが見えた。
良かった、ハルは無事だ……。
ハルが無事だとわかって少し安心した。残り二人の騎士はエディス城へ向かって駆けて行った。姿からハイマン卿とレンダー卿のように見える。バッセル卿とゴードン卿が心配だ。ボクも駆けつけようか悩んでいると、風の精霊術を使ったアスリンの声が、タイミングよくボクの頭の中に入り込んできた。
『連絡します。つい先程、容疑者たちの尋問が終わりました。マグアート親子がジェームズ・レンダー氏の誘拐未遂事件とファルランの一件に関わっていたことが明確となりました。また、ファルランたちが所持していた亜竜の血も、マグアート家による密輸だったことが判明。更に彼らは、エスタリアと内通しているようです。公王陛下からのエリック・マグアート子爵及びトマス・マグアート伯爵の拘束命令が出されました。伝達は以上です。健闘を祈ります』
遠隔地に対する風の精霊術による伝達は、指定した目標の範囲でしか伝えられないとアスリンから聞いていた。今回は、馬車に積まれた彼女の短剣がその目標にされていた。
レンスターの陰の正体は、マグアート家だということはわかった。でも、手を組んでいたのは、ヴァイマル帝国ではなくてエスタリアだというのだろうか。だとしたら、目の前にいる帝国兵は一体……。普段であればアスリンの声に癒されるボクだけど、今はそんな余裕がなかった。ボクはアスリンの伝達を皆に届けるために、小銃を所持したままエディス城を目指して走り始めた。
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