落としどころ
独ソ戦が開始して二週間が経過した。その間、並行して行われている日ソ戦で日本は連戦連勝を飾った。南下して来たソ連軍を追い返し、一部地方においては逆侵攻を開始していた。
対するソ連は対日でも対独でも連戦連敗。主敵を日本からドイツに切り替えることは辛うじて達成したものの、進撃を続ける日本に対して防戦一方で水面下で交渉する以外に為す術がなかった。
「さて、今日の譲歩はどれくらいになったか……?」
連日のソ連からの交渉に対し、壱心は新聞でも読んでいるかのように停戦の条件を確認する。
(ソ連軍の即時撤兵、並びに満州・モンゴル地方における日本の監督権の追認か……まだ、搾れるな。それにこの条件じゃあ国民が納得しない)
これではソ連がそこまで損をしない。舐められたものだと壱心は溜息を吐く。その様子を見てソ連側の交渉官も一瞬ではあるが、落胆の表情を隠しきれなかった。
「この条件では認められない」
議会に審議を掛けるまでもなく自身の権限で壱心は停戦の申し出を断った。通訳につけている香月組の秘書がロシア語でそう伝えると外交官の方から何度目とも知れぬ「では、どうすればよいのか」という問いかけがされる。
(……何度言えばわかるんだ? 少なくとも沿海州、そして防衛ではなく侵略したという事実を認めた上で賠償金を寄越せと言っているんだが?)
壱心が思っていることを伝えると当然のことながら外交官は難色を示した。結果は返事を持って帰るということだ。
ついでに、彼が持ってきた壱心への心づけについても手をつけずにそのまま持って帰って貰うことにする。心づけの返却については相当渋られたが、最終的には壱心の意向を押し通す形で終息した。
ソ連の外交官が居なくなった後、壱心は桜を呼んで次の会合についての話し合いを開始する。
「さて、次はドイツか。上手い事偶然を装ってソ連の外交官に目撃される順路で登院させたか?」
「いえ、直接目撃では流石に露骨かと思いまして、車の影だけです」
「成程。まぁ、いいだろう。あぁそうだ。どうせだから賄賂を渡そうとしてきたことを通信社にバラ撒いてしまえ。他の政治家への牽制と身の潔白の証明、そしてソ連の外交官に対する嫌がらせに使える。中々に口が上手くて優秀そうな奴だったからな。何の成果も与えないに限る」
「壱心様もお人が悪いですね」
くすくす笑いながら桜は指示の通りに動く。これであの優秀そうなソ連の外交官は面目丸潰れだろう。彼は優秀そうだが、祖国の言いなりの傀儡だった。日本側が納得できるような利益供与の話を持って来れない三流外交官であれば特に壱心が厚遇する必要もない。
「次の外交官はモロトフ相手に忠実なだけじゃなく上手い事やってくれればいいが」
「そうですね。それはそうと、ドイツの方との時間が迫っておられますが……」
「こっちは何故かかなり優秀だからな……まぁ、騙されんが」
「精々、ソビエトとの交渉材料に使ってあげましょう? くすくす……」
艶やかに笑う桜。その後、桜が退室してまもなく。ドイツからの外交官との会談が時間通りに始まった。
(……この後の歴史を知らなければ乗ってしまいたくなるような話だな)
交渉内容は反共で同盟を結び、ソ連を叩こうというものだ。具体的にはウラル山脈で東西を分割し、統治しないかというもの。しかも、ソ連を滅亡させた後にはスラブ人の多くをウラル山脈以東に移住させて開拓させると共に経済連携を結ぼうという。
破竹の勢いで進軍するドイツ軍。実績は欧州の情勢を見ると一目瞭然だ。まして、満州の地でソ連を破り続けている日本ともなればソ連憎しとソ連軽視で乗ってしまいたくなるような話ぶり。負けていて情勢が非常に悪いのにそれをひた隠しにして講和してやるという態度を崩さないソ連の外交官とは質が違った。
(これだけの才能があってリッベントロップの奴が使ってるのは珍しいな。いや、逆に潰せなかったのか?)
ソ連とドイツの上下関係と能力の差について少し思うところがあって考えてしまう壱心。史実の評価では優秀なモロトフと史実の評価が散々なリッベントロップだが、壱心の下に使わされた部下の質では逆転していた。
(いや、まぁ、状況が敗色濃い国と勢いづいている国では別だが……さて、そろそろ終わりか?)
置かれている状況下から考えて対応も色々とあるだろうと思いながら壱心は目の前のドイツ人外交官を見やる。彼は緊張した面持ちで壱心を見上げていた。
「……君の意見については議会に連絡しよう。ただし、私の意見は含めない」
通訳の秘書が壱心の言葉に別解釈の余地がないように伝える。外交官は少し足掻くが、壱心が時計を見て面会時間の終了を伝えたことで今回は引き下がった。
ドイツからの外交官が去った後、壱心は再び桜を呼び戻す。ここであった話は全て桜にも筒抜けになる様に盗聴器と監視カメラが設置されているため、何があったかは彼女も既に知る所となっていた。
「くすくす、ダメですよ壱心様。ちゃんと話を聞いてあげなくては」
「……最初から断る気だったからな。後、外交官の質についてちょっと思うところがあった」
「今回はいいですが……本日最後のお客様には見抜かれますよ?」
桜の言葉に壱心は嫌な顔をした。
「あのイギリスのお貴族様か。直接こっちに来るとは面倒な……史実通りにアメリカに行っていればいいものを」
「壱心様も十二分にお貴族様ですが……それも、大分上の爵位の」
「まぁそうだが」
「そもそも、壱心様に拝謁出来るのはそれなりの身分じゃないと無理ですよ? 先程の外交官たちもソビエトは知りませんが、ドイツの方は由緒ある家柄ですし」
「そういうのはいい。あのお貴族様が気に入らんだけだ」
面倒臭そうな顔をする壱心だが、やるべきことはしっかりと分かっている。ここで英国紳士の三枚舌に乗せられる形で自国の利益を確保する。そのためにここまで苦難の道を歩んで来たに等しい。
(ただ、あの伯爵は面倒臭いんだよな……)
慇懃な態度でこちらを覗いて来る英国貴族のことを思い出して苦い顔になる壱心。しかし、盤面は最終局面。イギリスとアメリカ、そしてドイツとソビエトとの交渉を調整して今後の日本のために利用しなければならない。
「じゃあ……会談の前に最終確認だ。イギリスとアメリカにソビエトの説得を任せるとして、イギリスにはソビエトの賠償金の肩代わり」
「えぇ。先の日露戦争での債権を吐き出させましょう」
「アメリカにもソビエトの賠償金の肩代わりをさせる」
「はい。アメリカはその後、レンドリース法に則ってソビエトに大量の貸付けを行うでしょうから乗って来るかと」
(その際に、アメリカがサンクコストの呪縛にかからないように注意して……いや、どうせソビエトは借金なんぞ踏み倒すか)
史実を鑑みてアメリカがソ連に必要以上に肩入れする可能性は低いとして壱心は話を進める。
「英米に金の無心をさせたソビエトには領土割譲を迫る。その際最大の目標が1860年に締結された北京条約で割譲させられた旧清国領の沿海州。次の目標が1858年に締結されたアイグン条約での割譲地」
「この辺りは北京政府より言い出させて共同開発地としましょうか。ただでさえ防衛戦争だったので北京政府には得られるものを少しは与えておかないと自壊する恐れがありますので」
「そうだったな」
「大まかな条件としてはこんな形になりますが細部をもう少し詰めていきましょう」
その後、イギリスの三枚舌に対処すると共にその内の二枚舌でソビエトとの交渉をまとめさせるための話し合いが行われることになるのだった。
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