雷山の麓にて

 雷山の麓。雷雲仙人が暮らしていた跡地に呼ばれていた亜美は何かが来る気配を感じ取り、立ち上がった。


「……弥子様」


 亜美が来ても起き上がる事すらしなくなった美少女に亜美は小さく声を掛ける。危険を察知しての声だったが、緊張する亜美とは対照的に彼女は僅かに微笑んだ。


「よかった……ぼくが生きてる間に、来てくれた……」


 彼女の発言で亜美は今、ここに向かってきている何かが弥子の待ち望んだ相手であることを理解する。身の毛がよだつような形容し難い悍ましさを覚えさせる気配だが、弥子が望んでいるのであれば会わせたい。亜美は弥子に自分に出来ることを尋ねる。だが、彼女は微かに微笑んで首を横に振った。


「……ふふ、もう来るよ。だから、もう、大丈夫……あぁそうだ。ぼくがやってたことは絶対内緒だからね……?」

「弥子様……」

「……最後に一目見れそうで、よかったなぁ……」


 ゆっくりと上体だけ起こして弥子はそれが来るのを待つ。亜美は憧れの人の瀕死の姿に胸が詰まる思いだが、彼女の意思を尊重して何も言わなかった。


 突如巻き起こる風。亜美が気付いた時には室内に二人の人影が追加されていた。

万感の思いで立っている男を見上げる弥子。その目には手を振りかざしている男の姿があった。


「え」

「何しとんじゃワレぇッ!」


 弥子が横たわっているベッドが砕けて床に大穴が開いた。男が手を振り下ろし、弥子に暴力をふるったのだ。突然のことに誰も止めることは出来なかった。そんな現実味のない光景に亜美はただ弥子が死んでしまったと、どこか遠い出来事を見たかのように思うことしか出来なかった。


「……えぇ、悪坊主さぁ……もう少し何かなかったの?」

「ねぇよ」


 実行犯におぶさってここまでやって来ていた絶世の美少女が聞く者を魅了する声で引いていた。だが、実行犯は堂々たるものだ。そこでようやく我に返った亜美が彼を非難する。


「な……なんてことを……病人相手になんてことをするんですか!」

「人じゃねぇ。生霊だ。まぁどうでもいいけど……そんなことより置いて行かれた方の七奈。迷惑かけた自覚があるなら最期ぐらい俺の言う事を聞け」

「そんなことより!? ふざけ「痛い……」……!?」


 亜美が男……悪坊主を避難しようとしたその時、大穴から声が聞こえて来た。それは亜美にとって聞き慣れた甘い声だ。


「痛かった……でも、どうしてぼく……悪坊主が何かしたの……?」

「治した。で、俺の言うことを聞く気はあるのかないのか。因みに聞いたらそれをやった時点で死ぬ……死ぬってのは語弊があるな。元に戻るだけだ。まぁいいか。で、聞かなかったら放置されて死ぬ。どっち?」


 実質的に選択肢のない問いだ。そんなもの選べるはずがない。亜美がそう口を挟もうとしたがその前に弥子が答える。


「……ぼくは悪坊主の為なら死ぬ覚悟はあるけど……内容による」

「簡単なこと。分離した方の七奈にくっ付いて元に戻り、今持ってるネガティブな七奈の要素と別世界に行ったことで超プラスになった七奈を中和する。別世界でこいつが調子に乗ってた分の記憶を消したいんだが、拒否されて困ってんだよ」


 溜息混じりに悪坊主が告げた言葉。それを聞いて悪坊主にしがみついていた七奈が驚きの声を上げる。


「!? まだ諦めてなかったの? 忘れるなんていやに決まってるじゃん! せっかくらぶらぶ出来たのに!」

「こっちだって嫌に決まってる。理由を言ったら怒るから言わないが」

「……まぁだそういう考えしてるのかな? どうしてかなぁ……今回は言わなかった分だけまだほんの少~しだけマシだけど」


 七奈が溜息をつくと悪坊主は何か言いたそうにする。しかし、彼は七奈を引き摺り剥がすだけで何も言わなかった。


「……ふぅ、呑み込んだ。まぁ七奈がこういうのは仕方ないね。俺のことを異性と見做してないっ「そういうこと言う」お前、これ普通の奴なら死んでるからな」

「悪坊主にしかこんなにくっつかないし」

「どの口が……」

「はぁ? いったいいつどこでボクが他の人とくっついてたって言うの!? はいはいじゃない!」


(痴話喧嘩は他所でやってほしいものですが……)


 呆然と成り行きを見ていた亜美はそう思いながらも口には出さずに弥子のことを見守る。彼女は急に元気になった身体を確認するように指先から動かしていたが、不意に顔を上げると痴話喧嘩中の二人の間に割って入った。


 すると、奇妙な現象が起きる。彼女は悪坊主には触れられたが七奈に触れることは叶わず、そのまま彼女の身体を通過したのだ。


「なっ……」

「……今のは、いや。そんなことより」


 状況を理解できずに声を上げる七奈、そして同じく驚きながらもどうやらその現象とは別のところに反応しているらしい弥子。亜美も状況把握は出来ていなかったが彼女たち程の超反応は出来ない。


 そんな中で悪坊主だけが冷静に告げた。


「あ、もう触れたら元に戻ろうとする力が働くから」

「……今ので記憶が消えたの?」


 訝しむ七奈。そんな彼女を正面から捕まえた弥子が喚き始めた。


「ズルい! ぼくも悪坊主と皆の目の前でちゅーしたい!」

「……それいつの記憶!? 盗ったんじゃないよね!?」

「ズルいズルい! 何でそっちばっかり! ぼくなんて寂しい思いしかしてないのに! ずっと待ってたのに! 何で!」

「!? 盗られてる……! 触んないで! ボクの思い出!」


 騒ぎ出す絶世の美少女二人を前に悪坊主は嗤っている。亜美だけがこの場に取り残されていた。しかし、そうも言っていられない。七奈が本気で抵抗を始め、弥子がそれを追いまわすことで周辺が慌ただしくなり始めたのだ。そんな中で悪坊主が亜美に近づく。


「よぉ、産業スパイ……つってもわかんねぇか。明治に生き残った公儀隠密の方がいいかな? 技術の宝庫が失われていくけどいいのかな?」

「……何のことかよく分かりませんが」

「まぁまだこの頃はベルヌ条約に関連する著作権法について加盟してないし、版権についてしか知らないだろうからその反応でいいだろうな。まぁその辺はどうでもいい」


 悪坊主はその名に冠する悪の一文字を形どったかのような笑みを浮かべて亜美に告げる。


「見事にやったもんだなぁ? おい。おかげでこの国の繁栄が凄い。このペースで成長を続ければ軍事力に偏った列強じゃなく本物の列強入りも待ったなしだ」

「……ありがとうございます。この国の民衆の力の賜物です」

「まぁ、それもあるだろうがここから盗んで行った技術も相当だ。七奈の生霊……お前は弥子って呼んでたか。あいつにとってはそんなに大した情報じゃあないが、この時代からすれば夢のような技術ばっかりだ。今の、しかも香月組とかいう奴らの技術組に見られたのは痛い。思わず研究所ごと関係者を根絶やしにしてやろうかと考えたくらい、な」

「な……」


 軽い口調で物騒なことを告げる悪坊主。しかし、思わず考えたということは思いとどまったということだ。そのことに安堵しながら亜美は毅然と告げる。


「……もし、その技術の流出が仙人様にとってよくないことでしたら私の首でご寛恕願えませんか? 壱心様たちは私のせいで巻き込んだ、そういうことで先程から仰られている記憶を消す術で許す、そういうわけには……」


 決死の申し出。亜美は自らの命を投げ捨てる覚悟を持ってそう告げた。だが、悪坊主は笑って断る。


「ハッハ。そんなことするくらいなら皆殺しの方が楽だ。それに、そういう線じゃもうやらねぇよ……ちょっとばかり面白い方向で進めていくさ。何、きちんと選択はさせてやる。どういう未来を選ぶのか」

「……ありがとうございます」


 悪坊主が何を言っているのかは分からないが許された。そう判断した亜美は深々と頭を下げる。そんな彼女の前では物理的に存在が薄くなった弥子が涙目の七奈を追い詰めていた。


「さて、そろそろ決着か……ついでにこの建物も崩壊しそうだから君は逃げた方がいいと思うよ。放射線には耐えられなさそうだし」

「畏まりました……それでは失礼いたします」


 悪坊主にそう言われて亜美はこの場から去った。そしてその建物から亜美が遠く離れたところで飛翔する影が現れる。その姿を確認するより前にそれは姿を消すが亜美は悪坊主の忠告を無視する事なくそこで何が起きたのかを報告するために壱心の下へと急ぐのだった。




 

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