箱館戦争
その時が来た。
沖に現れた船を前に、弁天台場から苛烈な砲撃が加えられる。この時代の砲撃戦は機関部に直撃しなければ船が沈没することはほぼない。だが、そこに乗っている人は勿論簡単に死ぬ。
「進めぇぇぇえぇぇっ! 止まるなぁぁああぁあぁっ!」
「上がらせるなぁっ! 海へ追い落とせぇぇえぇっ!」
鼻に
目に見えるは地獄絵図。敵とて味方とて煤にまみれた人間が黒い悪鬼の如く駆け回り、近くの敵を殺していく。
「……第一陣は上陸できたか」
それらを対岸から眺めている壱心は厳かな空気を身に纏いつつ、傍に控えていた補佐官に問いかけた。それに対する答えは先程と変わらない。
「目下、全力で周辺の掃討に当たっております。が、香月閣下……いえ、失礼いたしました」
今後の手筈を知っているからこそ口をつきそうになった言葉を補佐官は飲み込んだ。だが、壱心は別の意味で出かかった言葉を受け止めて憮然とした態度で呟く。
「ふん。準備は出来ているから案ずるな」
「いえ、そういう訳では…………ご武運を」
何やら言いたいことがありそうな補佐官だったが、壱心が彼から視線を外すと彼はすぐに周囲と緊密な連携を取るべく指示を出しに戻る。
壱心は先程から続けて船上より陸地へと駆け抜ける味方を見送り、函館山南東の海上より周辺を眺めていた。五稜郭へ新政府陸軍の援護を行おうとしている艦隊が函館湾に押し寄せている。それに応じる旧幕府軍は五稜郭よりやや北西の海上、七重浜付近に停泊している旧幕軍海軍保有の艦隊から苛烈な攻撃を行っている。
だが、目下壱心が気にしているのはそこではない。そこは、今轟音が鳴ったから見ただけであり、本命は函館山方面からの上陸と五稜郭への進撃を妨げるべく五稜郭正面の海岸と函館の南方に布陣した旧幕軍陸軍。
「……流石に固いな。本当に、流石と言ったところだ」
数も装備でも圧倒的に劣るはずの旧幕府陸軍は新政府軍とかなり拮抗した戦いを繰り広げていた。
勿論、全面的に戦えば新政府軍の圧勝は間違いないだろう。だが、旧幕軍は地形を活用し、徐々に後退しながらも新政府軍を誘い込み、突出した部分を集中砲火して確実に損害を与えている。
「香月閣下! 函館山の制圧が完了した模様です! これより第二陣の上陸を開始します!」
「ふむ、分かった……では古賀、大野、御剣隊と勇敢隊に連絡だ。征こうか」
「「ハッ! 畏まりました!」」
福岡藩兵、1000名を率いる隊長たちに指令を下す。【人狩】古賀勝俊に【勇敢仁平】と呼ばれる博多の任侠、大野仁平。
古賀が率いる御剣隊は壱心肝入りの史実にない部隊。大野率いる勇敢隊は史実とは少し異なり、下級士族の多くが御剣隊に吸収されてやくざ者ばかりとなった異様な風体をした雑軍。
だが、史実において下級士族や博徒、任侠たちに山伏や神官までが混合され、皆に烏合の衆呼ばわりされながらも活躍した集団だ。これに壱心がしっかりと練兵を行うことで史実以上の屈強な精鋭たちに仕上がっている。
「さぁさぁ侠客の男よ。これ以上ない大舞台がやって来たぜぇ? さぁ、気合入れろよォッ! 漢どもォッ! ここが鉄火場だァ! 喧嘩好きも賭け狂いも命賭けて暴れまくれ! 手柄は俺らのもんだぁぁァアッ!」
大野の檄に勇敢隊が沸く。負けじと古賀も声を張り上げた。
「御剣隊に問う! この場に名乗るべき名がない者はいるか!? 親より付けられた名も、誰かに呼ばれる名も、自己を認識する名もなき者が!」
「「「「「いない!!!」」」」」
「なれば駆けよ! 命を惜しまず名を惜しめ! この戦いで己が名が天下に響くと思い知れ! 退いて落ち延び、親兄弟、子々孫々にまで汚名を残すか……前に進んで天下に己の武勇を知らしめるか! 諸君ならば賢い選択をすることは間違いないだろう! 臆するな! 敵の真ん中を突き破り! 我らの主の道を開けよ! 我らは主の大刀! 天下の御剣隊だ! その名に相応しい働きを期待する!」
「「「「「オォォオオオォォォォッッッ!!!」」」」」
(……カルト集団か? いや、これで士気が上がってるから別に言うことはないんだが……後はまぁ、俺の指示にきちんと従えば何でもいいか……)
熱が入りまくっている両隊に壱心は冷めていた。指揮官とは得てしてそうでいなければならないものだが、それにしても温度差が酷い。
しかし、内心は兎も角として彼も士気を上げるために言っておくべきことは言わなければならないので、彼らに対して壱心は告げる。
船は既に泊まり、戦場となった地面が彼らを呼んでいる中で壱心は隊員たちに向けて言った。
「さて、上陸後。諸君らの働きに期待する……時に君たちに問う。俺が諸君らと共に戦場へ向かう理由が分かるか?」
磐城の戦いの英雄が発す戦前の激励を聞き逃すまいと彼に憧れる新兵たちが押し寄せ、場所の取り合いを始める。それを無視して歴戦の兵たちは壱心の前に立ち、静かに傾注していた。
「指揮官というものは安全な場所にいなければならない。何故か? それは指揮官の死が部隊の敗退を意味するからだ。戦いの本質。当たり前の事実。現に新政府のお歴々はそうしている……それでも尚俺は諸君らと共に戦場に赴こう。それは何故か……答えは簡単だ。俺は君たちの事を信じているからだ」
演説めいた口調で始まった壱心の戦前の激励。それは次第に熱を帯びて声を大きくしていく。
「御剣隊よ。お前らは俺の剣として道を切り拓くと言ったな? 勇敢隊よ。お前らは義侠の者たちとして、その名に恥じぬ戦いを見せてくれるな? ならば俺はその言葉を信じ、その姿を見届けよう。その姿を、生き様を天下に魅せつけよ! 前に進め!」
そして壱心は刀を抜く。磨き抜かれた刀が太陽の光を反射した。その白刃を胸の前に構えた壱心は風切り音が遅れて聞こえる程鋭い払いを見せて船と陸を繋ぐ桟橋へと切っ先を向ける。
「……全軍、上陸。突撃せよ!」
檄によって昂っていた熱が爆発したかの如き声と共に陸に目がけて走り出す御剣隊と勇敢隊の両隊。全員が奔流となって駆け出す。
(……我ながら臭いな。まぁ、必要なことだから仕方のないことだが)
駆け抜ける軍を見送りながら静かに自身を戒める壱心。今後の事を少々考えるもその間に伝令が戻って来る。
「閣下、前衛600名が上陸しました。ご準備を」
「早いな。すぐ行こう」
檄を飛ばして間もなく、部隊が整列して上陸を果たす。壱心の私情は関係なく事態は迅速に進んでいた。全体が見守る中、壱心も亜美ら側近と共に上陸を果たす。
「これからか……」
「何か気にかかることが?」
「……いや、今はいい。今は前だけを見る」
二個大隊により構成される一個連隊、数にして千名の目が壱心に集まる。その中で壱心は恐れるどころか、良い武器を揃えてこれほどまでに高い練度にした代わりに傷付いた福岡藩の財政のことを考えていた。
(……まぁ、もう仕方ないからいいんだが……)
船の中でなるべく考えないようにしていたことだが、やはり気にはなる。天下に名を轟かすにまで至った奇兵隊と同じく、前装式ライフル歩兵銃のミニエー銃を導入し、散兵戦術が出来るように基礎体力や教養も叩き込んだ部隊。千名という数は今後の歴史を決める戦いとしては少なく感じられるかもしれないが、壱心からすれば彼らだけでも箱館を守る旧幕軍と戦うことが出来ると自負している軍勢だ。
(かなり金懸けて育てたからあまり消耗したくない。後、ここで働き過ぎる後々に響いてくるが……既に福岡で事が起きている以上、帰った時の居場所確保のためにもやらねばなるまい……)
散兵戦術をするには集団の忠誠心が不可欠だったため必要経費としてそれなりに金を使い込んでいる。その成果は先の激励で見た通り上々だ。後は結果を出すのみとなる。磐城の戦い、松前城の戦いで戦果は挙げているが、最後の一押しがあれば文句はあるまい。
「閣下、後方400名が上陸しました」
「よし……では、全軍! 出陣する!」
戦場全ての音を捻じ伏せるが如き声が上がり、箱館戦争最終局面が幕を開けた。
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