明治二年の京都

 壱心が箱館戦争に従軍しているその頃。京の都には福岡にいるはずの彼の弟の姿があった。


「は~……壱兄ぃも心配性だなぁ……わざわざ僕が出て来る必要はなかったと思うんだけどねぇ……どうせ僕には何もできないってのに」

「利三様」

「分かってますよ……」


 香月利三。香月家の三男で、壱心の弟。現在は釜惣で色々と工作をしていたり、壱心の指示で色々と行動して大儲けしている男だ。因みに、彼の保有資産は実家を上回り、壱心より少しだけ少ないというところ。

 性質としては人当たりが良く、この時代の武士には珍しいことに数の計算が得意な少年だ。それよりも得意なのが情の計算という彼だが……今は材木商が並ぶ通りを壱心から派遣されている護衛と共に歩いていた。


「せっかくの正月だったのに……サキさんも予定あったでしょ?」

「一応は。リリアン様や義姉様、義妹たちと正月祝いの予定がありました」

「は~……壱兄ぃも人使い荒いよなぁ……」

「尤も、私の予定は当の壱心様が従軍させられたので昨月初旬の時点で崩壊していますが。利三様の予定を崩すことになったのも元を辿ればこれが原因です。つまり問題は新政府にあります」


 嘆く利三と事務的に徹している……かに見えてかなりの私怨が窺える咲。彼女は壱心が幕末期の動乱で揉めている間に旧幕府から引き抜いた公儀隠密の一人だ。

 御庭番とも呼ばれる彼女だが能力に反して女性という理由で不当な扱いを受けていたところを壱心が買いあげた。


 因みに彼女の本名は咲ではない。咲はただの通名で、壱心との距離が近い懐刀が女性の場合、亜美、宇美、恵美。それに続いて咲、志希、鈴、瀬奈、空と呼ばれることになっているだけだ。ついでに各名が必要に応じてそれぞれの配下を雇ってに各員の頭文字を冠した名をつけている。

 今のところ、壱心が直属で信じられると判断した存在は五人であり、志希までが揃っている。

 また、壱心の懐刀が男の場合は基本的にその役職にちなんだ苗字を与えることになっている。現在のところは鉄山、織戸、山田、田中、須見、薬谷だ。

 こちらはかなり組織だった動きになるため、親となる人物の苗字を指定することで屋号とし、ゆくゆくはその苗字を社名とするように組織を構成している。


 どちらに関しても戊辰戦争等の幕末の動乱で能力とは関係なく没落した人員、そして理解不足や時代背景から来る差別などで不当な扱いを受けている有能な人物を集めている。

 当事者にとっては不幸なことだが、壱心にとっては好都合。これから廃藩置県や様々な人員整理などが続いて行く中で自分の手駒が豊かになるのは間違いないと壱心は確信している。


 閑話休題。


 暇潰しに利三が周囲の材木の相場を見ていると不意に同行していた咲が目つきを鋭くして後方を睨みつけた。それを受けて利三も勘付く。


「あ、壱兄ぃが言ってたのはあれかな?」

「そのようですね。人数も一致します」

「じゃ、襲撃までもう少し待機しておきますか……」


 角材を一つ買いあげて利三はそれを担いで移動する。兄弟の中では体格に恵まれていない利三だが、江戸時代の一般男性の並程度は……本人曰く、辛うじてある。取り敢えず、それだけあれば角材を一つ持ち歩く程度では目立ちはしない。


「にしても、壱兄ぃも狡いよねぇ? 襲撃させてから助けろなんて……」

「怪しいだけで撃つわけにはいきませんから」

「そりゃそうだけど。恩着せがましいなぁ……まぁそういうやり方は嫌いじゃないし、寧ろ学ばないといけないところかぁ……」


(でも確か、損得勘定での行動を嫌うんだっけあの人。後は阿諛あゆされるのも嫌いだとか……僕、そういうタイプあんまり好きじゃないんだけどなぁ……まぁ、言われたことは上手く立ち回れるようにするけど……)


 利三はがこの後の手筈を考えていたその時。銃声が鳴り響いた。それと共に周囲に声が響き渡る。


「国難に際すこの非常時に異教を招き、国を売る国賊め! 人誅の時だ!」


 襲撃者は六名。まずは駕籠に向けて発砲したようだ。それに応対すべく動き出す護衛達。町が騒然とし始める中で利三は動いた。


「さぁて、サキさん。手筈通りお願いしますよ……って、もう動いてる……手が早いなぁ。それっ!」


 持っていた角材を投げつける利三。駕籠に乗っていた重要らしい人物に襲い掛かろうとしていた男……ではなく、重要人物の方に命中して彼を後退させ、挙句駕籠に引っかかって転倒させてしまう。


(あ……)


 だが、サキが動くにはその一瞬の隙さえあれば十分だった。そもそも彼女は単独で先に動いていたのだ。短い間隔で響く銃声。重い物が倒れる音。呻き声が響く中で彼女は眉一つ動かさずに大の大人六名を完封せしめた。


「おぉ……なんともはや……」


 籠の中にいた男は咲のあまりの早業に立ち上がりながらそう言うだけで精一杯のようだった。そんな彼の元に小柄な青年が近付く。


「災難でしたね。お怪我はございませんか?」

「……い、いや。大したことはない……それにしてもこの者たちは……」

「菱十印……十津川郷士の者たちですね。異教がどうとか、国賊とか言っていたようですが……」

「十津川郷士……」


 淀むことなく告げる利三。それに違和感を覚える余裕のない状況を目の当たりにしてこの時代にして老齢と言える年齢の男は考える。


(十津川と言えば剣術において名の知れた剛の者たちが集まる集団……それを例え銃を用いていたとはいえ一瞬で破るとはあの女子……一体……? 一先ず、訴えるべきか? いや、流石に助けられておいてそんな真似は……むぅ……)


 そもそも、この時期、この国では珍しい連射式の銃を持ち歩く女性。人目を引くほどの美貌を持ち合わせておらずとも目立つ存在だ。男の混乱は深まるばかりだが黙って己の頭のみで考えていても埒が明かないと名を明かすことにした。


「いや、助かった。何はともあれ礼がしたい。私は平時存たいらのときひろ、熊本藩士で現政府における参与だが……いや、こんなところで話すのもなんだ。一先ずは人を呼ぶとして、君たちはついて来なさい」

「これはこれは……私は福岡藩の香月利三と申します。先生の御高名は兄よりかねがね伺っております」

「……もしや」


 平……後世では横井小楠の名でよく知られることになる男は即座に状況を把握した。福岡藩における香月。そして連射式の小銃を一部下である女性に持たせ、藩の外をうろつかせるだけの力を持つ香月。そうなれば、彼の頭に浮かぶのはただ一名だけだった。


「香月少将の弟か?」

「えぇ。少々、都に用があって兄を尋ねたのですが……こちらにいる兄の部下、咲さんから市内に不穏な動きをしている者が来たとの情報があり、万一があってはならぬと急いで彼らを追いかけてきた次第にございます」


 者は言いようである。利三は咲の裏の顔を知っていて、壱心に呼ばれたから遥々福岡から来ている。用があって来たのは事実だが、何かの用のついでに横井を助けたのではなく、横井を助けることが彼の用事なのだ。


「……これは参った。流石は音に聞こえし香月少将か……どこから情報を仕入れたのか……そちらはもしや、【将下し】の……」

「申し訳ありませんが、人違いです」

「そうか……いや、何にしても助かった」


 だが香月兄弟の思惑を知らない横井は素直に感心していた。壱心の下に優秀な女がいたとは磐城の戦いから聞いていたが、それ以外にもいるとは……と咲のことをしばし眺めやる。

 それと同時に、利三に対して彼が考えていた簡単なお礼……要するに、金銭だけでは済まずに少々時間を取る必要があると今後の予定を少々を考え始めた。

 参与である横井は従四位下。そして磐城の戦いや甲州勝沼の戦いで名を上げさせられ、更に現在も箱館戦争にて名を上げ続けている壱心は現在は従四位上。年齢が親子ほど離れていても壱心の方が役職上の立場が上で、しかも現在命の恩人と来ている。

 当然、横井の方が年齢がかなり上でこれまでの功績からしても一般的な立場は彼の方が上だ。だが、それでも義を重んずる彼の性格上、彼は利三と微妙な立ち位置にあると解釈し、それなりの対応をせねばなるまいと思い直していた。


 対する利三は横井の変化を気にした様子もなく人懐っこい笑みを浮かべて言う。


「私としましては先生が無事で何よりです。ですが、今後がどうなるかが不明ですのでその対応についてお話もしたいところですが……いかがでしょうか?」

「む……いや、まぁ何……何はともあれ命の恩人相手に何のもてなしもしないわけにはいかんな。その辺りのことも含めて我が家にて少々話をしようではないか」

「喜んで。サキさん。行きましょうか」


 話がまとまったと利三はサキの方を振り返ってそう告げた。だが、その視線の先にいた咲はいつの間にか遠巻きにこちらを見ている人垣を超えて咲の隣にいたどこにでも居そうな町娘と二、三語話し、彼女を前に出した。


「……私は忙しいので。代わりにサヤを連れて行ってください」

「えーと……君は兄さんに僕の護衛をするように言われてたんじゃ……」

「その任務は今終わりました。不穏な気配はありませんし、平様のご自宅までの護衛はサヤで立派に代役を果たせるでしょう。どうしてもと仰るのでしたら追加料金をいただきますが」

「……因みに幾ら?」


 色々と言いたいことを飲み込んで利三が尋ねるとサキは倒れている男と男だったものを少し曲がっているが綺麗な指で一両、二両と数えた後にしばし逡巡してから指折り数え、言った。


「そうですね……今日の稼ぎはもう十分ですので壱心様を通さないのでしたら基本金は半時一時間で一両。その他、別途活動するごとに報奨金をいただきます」

「……じゃあいいよ」


(兄さんはとんだ金食い虫のじゃじゃ馬を雇ってるな……)


 後で忠告しておこうと考える利三に咲はサヤを差し出して立ち去った。釈然としない様子の利三を見て横井も色々と思うことはあるが他家へ口出しするのも野暮かと黙って歩き始めるのだった。


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