第233話 やっと言えた

 月例審議会当日。


 いつものようにソフィが朝食を運んできて、いつものように黙って受け取り、食べる。


 食欲はない。

 が、差し出されれば、吐き戻すことなく食べきれるほどには回復した。


 まだ手足の指先にはしびれが残るが、フォークを持つ手が震えることもなくなった。

 起きていられる時間が長くなり、目が覚めたときに汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていることもなくなった。

 寝ている間の動きを制限するバンドもかなり緩くなった。自分の手で着脱できるくらいだ。まだ完全に外しておくことのは不安で、自分で装着してから眠る。


 不安に思うだなんて、あれほど自暴自棄になっていたというのに、不思議なものだ。


 絶望のどん底にいて、俺ができることもやるべきこともこれしかないと決めつけてしまっていたのは、薬物摂取ドーピングのせいだったのだろうか。


 黙々とただ食べ物を口に運ぶだけの俺に、いつものようにソフィが話しかけてくる。横になっている間は邪魔になると気を使っているのだろうか、決まって体を起こして食事をしているときにだけ話しかけてくる。


 昨日あったこと、今日予定されていること、今日ソフィがやろうと思っていること。


 その情報は多岐に渡る。

 協会で行われていることや、王宮で審議されていること、ドラゴン討伐のこと、街中の噂、取り引きされている物の大まかな値動き、俺たちが間借りしている住居の下の階の住人が旅行先から帰ってこられずに困っていることまで。

 おかげで引きこもって食っちゃ寝しているだけなのに、世の中の動きが手に取るようにわかった。


 朝から晩までずっとここにいるというのに、一体いつ情報を仕入れてくるのだろうと舌を巻く。押しかけてきたその日に荷物をそろえろと言ったときとは雲泥の差だ。

 まるで権謀術数にけた貴族の――おっと、そういえばソフィは貴族のご令嬢だった。幼い頃からの教育の賜物たまものか。


 そのままいけば、よき娘として家の繁栄のために父親を助け、有望な名家にとついで夫を支えていくはずだったろうに、なんでこんなところでできそこないの魔法陣師の世話なぞやっているのか。


 楽しそうに話すソフィを見ていると、俺の視線にソフィが気がついた。


「あ、長々と申し訳ありません。……まだ時間はあります。それまで、お休みになった方がよろしいですわ」


 うるさがっているのだと誤解したのだろう。ソフィはさっと俺の膝の上から盆を取り上げた。


 違う。


 俺は盆を取り返した。


「先生……?」


 ここに来てから初めて反応を返した俺を見て、ソフィが目を丸くする。


 ソフィは俺の恩人だ。

 殴っても、突き放しても、薬物に手を出して攻撃的になっても、瀕死になっても、糞尿ふんにょう垂れ流しの状態でも、見放すことなく世話をしてくれた。


 ここに運んでくれたのがトビだと聞かされて、ソフィがいない間にトビには礼を言った。


 ソフィいもうとに頼まれたからやったんだ。

 お礼ならソフィに言いなよ。

 ボクはまだ許してないんだからね。


 トビは俺を見ようともせず、ソフィが机の上に置いていった本をぱらぱらとめくって、さっぱりわからんという顔をしていた。


 トビの言うとおりだ。


 俺がまっ先に感謝の言葉を言うべきはソフィだったのに。


 意識が朦朧もうろうとしていた時から一言も話していなくて、いまさらどう声をかけようかタイミングがつかめない。


 というのは言い訳だ。


 約束された将来を捨てて、俺の弟子になりたいと身一つでやってきた少女に、情けないところを見せて、その都度助けられている。


 つい先日、同じようなことを思ったばかりで、俺は何度同じことを繰り返すんだろうかと自分が情けなくなる。


 その思いが口を開くのを躊躇ためらわせていて、なんと声をかけたらいいのかわからないまま、ずるずるとここまで来てしまった。


 ……これも言い訳か。


 この時を逃したら、もうきっと機会はない。


 覚悟を決める。


 盆を横に置き、布団から出てベッド脇に足を下ろして座った。

 素足なのは間抜けだが、いまさらそんなことを気にしても仕方がない。


「ソフィ」


 目を合わせられず、手元を見ながら呼んだ声はかすれていた。

 

 体調は悪くないはずだが、まともに話してなかったからな。


 喉に手をやって、調子を確かめる。


 改めて口を開くべく顔を上げてソフィを見ると、ソフィは両手で口を覆い、目には今にもこぼれそうなほど涙がたまっていた。


「ソフィ」


 思わず両腕を開いた。


「せんせぇっ!」


 ソフィが勢いよく腕に飛び込んできた。


 首に腕を回すソフィを抱きしめる。


 みるみるうちに肩口が濡れていった。


「情けないところばかり見せた」


 ソフィが黙って首を大きく横に振った。


「後のことはパースに頼んでおく。家に戻るなり、ここに残るなり、好きにしていい。魔法陣のことを学ぶならパースの所に入るのが一番だ。俺は……結局なにも教えてやらなかったからな」


 ソフィがまた首を振った。


「俺の財産――といってもほとんど何もないんだが――部屋にあるものと、あと少し受け取っていない報酬があるから、それは自由にしていい。協会本部ここで弟子だと公言しているから、手続きなしで受け取れるはずだ」


 ソフィが嗚咽おえつを始めた。

 その背中を優しく叩く。


「トビのことも頼む。一頭ひとりでやっていけそうだからって王都近くで放すなよ。国境付近まで連れていってやってくれ。一番いいのは――」


 部屋にはいないよな、と一応確認する。


「――素材にして売り飛ばすことだ。でかくもなれるんだろ? ならたくさんとれる。ドラゴンの素材は稀少で国外からもなかなか入ってこないから、家の一軒二軒は建つ。魔法陣の素材としてとっておくのもいい」


 ソフィはそれを冗談に受け取ったのか、ふふっと小さく笑った。俺としては本気で言ったつもりなのだが、笑ってくれたのならまあいい。


「ソフィ――ごめん。今までありがとうな」


 やっと言えた。


 するとソフィは俺の肩に手を置いて、ぐっと体を引き離した。


 顔が至近距離で向き合う。


「ずっと、お待ちしております。先生がお帰りになるまでに魔法陣を描けるようになって、今度こそ先生のお役に立ちますわ」


 涙に濡れた目をつり上げて、ふんっと鼻から息を出して決意を示すソフィ。


「ああ。頼む」


 死罪か一生牢屋ろうやにいるか。


 どちらにしろ戻って来られないのは互いにわかっていたから、俺にはそう言うしかなかった。

 待たなくていいとも、今までだって過ぎるほどに役に立っていてくれたとも、言えなかった。


「はいっ」


 笑った拍子にソフィの目からこぼれた涙を指でぬぐって、俺はもう一度ソフィを抱きしめた。

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