第230話 回復と訪問

 真っ暗な部屋に戻ると、先生のベッドの上でトビさんが小さなドラゴンの姿で寝ていた。


 帰ってきていたことと、怪我もしていない様子を見てほっとした。


 靴と服を全部脱いで、自分のベッドに横になった。


 汚れた服を着ていなくても、血と汗と土まみれの体だ。

 皮膚ひふがごわごわするし、髪の毛も固まっているし、シーツが砂でざらざらしている。


 だけどもう動けない。


 こんなに汚れているのに水浴びもせずに眠るなんて、お母さまが見たらなんて言うかしら。


 実家での生活を思い出す。


 日々それなりに悩みや困りごとがあって、社交界での最新情報を集めるのに躍起やっきになっていた。学園でのお友達との会話から、お父さまがお客さまと交わす難しいお話まで。

 知らないことは、それだけで弱点になりうると思っていたし、そう教育されてきた。


 次のダンスパーティでは何を着ていこうかしら。

 細工職人を招いて新しい装飾品を作らせたわ。

 こんどの休暇はパリッツォに休養に行くの。

 あの方にはもう決まった方がいらっしゃって、逢瀬おうせを重ねていらっしゃるそうよ。


 どこどこの家の誰々が婚姻を結んだ。

 あの家は事業がうまくいっておらず爵位を返上するそうだ。

 次の宰相さいしょうはあの人になりそうだ。

 何々が値上がりそうだから今のうちに買うといい。


 今思えば、そんなのどうでもいいことだった。

 知っていたからといって何があると言うのだ。


 先生が教えてくれたことの方が、生きるのにずっと役に立つ。


 今日は疲れた。

 明日もきっと大変ね。






「ぐぇっ」


 朝、お腹に強い衝撃を感じて、目が覚めた。


 お腹の上には大の字のトビさん。

 どうやらボディプレスをもらったみたい。


「ひどいですわ」


 文句を言うと、ベッドから飛び降りたトビさんが、どうやっても起きないのが悪いんだからね、と私をにらんだ。


 上半身を起こして大きく伸びをする。

 体のしんにはまだ疲れが残っているけれど、しっかりと休息はとれた。


 ごはん作ってくれないなら外に食べに行っちゃうよ、とトビさんはてとてとと部屋を出ていく。


「え? あ、ダメです。出ちゃダメです。部屋に行て下さらないと。今すぐ用意しますから」


 布団を跳ね上げて、ぱっとベッドから降りた。


 その前に、と部屋を出たトビさんが顔だけドアからのぞかせる。


 服着てね、と言われて、自分が何も着ていないことに気がついた。


「きゃぁっ!!」






 私の不安を余所よそに、先生の体はどんどんよくなっていった。


 外傷はとっくに完治していて、顔色もよくなって、内部もだいぶ治癒ちゆが進んだ三日目後、魔法陣が限界を迎えて壊れた。


 それまでの間、私はほとんど先生を眺めて過ごしていたけれど、トビさんは退屈そうにしながらもずっと私と一緒にいてくれた。


 監視しろって言われてるんでしょ、と面倒くさそうに言って。


 トビさん自身もしばらく王都の外に出るつもりはないみたいだったけど、お腹が減って仕方がないらしく、しょっちゅうぐぅぐぅとお腹を鳴らしていた。


 その割に食べる量は食欲のあるときの先生と同じくらい。

 生肉を買ってきてもそのまま食べたいわけでもなさそうだし、狩らないと物足りないのかもしれない。野生の本能的に。


 魔法陣による治療ができなくなったあと、ここから先は一般的な治癒魔術でいいだろうということになって、石畳いしだたみの部屋から病室に移された。


 それからが地獄だった。


 半分意識のある先生が暴れて、わめき散らして、自分の指を噛み千切ろうとし、肉をむしり取り、手がつけられなかった。


 縛っても拘束を使っても何をしても止められない。

 少しでも体が動かせるようなら骨折するほどの力で動かそうとするし、全く身動きがとれなくても筋肉が断裂するまで力を入れ続ける。


 魔法陣による昏睡こんすいは相当強力なものだったようだ。さすが先生。

 って感心している場合じゃないのだけど。


 そういう魔法陣があるんじゃないかと思っても、あれからパースさんには会えていないし、あったらもう使ってくれている。きっとそんな都合のいいものはないか、希少なんだ。


 私の力じゃ何にもならなくて、先生が苦しんでいるのに、見ていることしかできなかった。

 トビさんも壁にもたれて床に座っていたり、床に転がっていたり、逆立ちをしたりで、先生を止めようとはしなかった。目玉をえぐろうとしたのを椅子で殴って止めてくれたくらい。


「ざまぁねぇな」


 リズさんの声がして振り向くと、腕を組み、開いたドア枠にもたれていた。

 その後ろで、シャルムさんが顔をゆがめている。


 ここまできて隠し通せるわけもなく、治癒に努めてくれている人たちにの間では、先生が禁止薬物を長く摂取していたことは公然の秘密になっている。死罪になるかもしれない大罪を犯しているのにも関わらず、それでもわざわざ治療してくれているのは、お二方の口添えによるものなのだろう。そのくらいは私にだってわかる。


「これであたしがをするのは最後だ。意識が戻ったら、次の月審に来いと伝えろ」

「それって……!」


 月審――月例審議会。

 宰相や大臣含め要職に就く者が一堂に会し、女王陛下に国の最重要案件の裁可をいただく場。


 そこでは、重罪人の断罪も行われる。


 椅子を蹴って立ち上がった私を無視してトビさんを一瞥いちべつしたあと、リズさんは行ってしまった。


 代わりにシャルムさんが部屋に入ってくる。

 苦しそうな顔で私と先生を交互に見た。


 シャルムさんは床を見て大きく息を吸ったあと、息を止めて私の目を見た。


「女王陛下がお決めになったことだ。わかって欲しい。リズも精一杯のことをしたんだが、これだけはどうしようもない。決まり事を簡単に破っては国が立ち行かなくなる」

「はい……」

「リズは陛下の伝言役を嫌っている。それでも自分で伝えたかったんだろう。本当は直接言いたかったんだと思う。だけど、リズがリズとしていられる時間はもう残り少ない。退位の儀が迫っていて、これ以上身動きがとれない。それまでに、ノトに依頼を完遂してもらいたかったんだが……それももう間に合わない。これからこの国は、いしずえを――」


 シャルムさんは、言葉を切って、「いや、やめておこう」と言った。


 そして、目をそらす。


「僕が言ってはいけないんだが……逃げてもいい。ノトならどこでだって生きていけるだろう」

「お伝え……しておきます」

「言いたかったのはそれだけだ」


 シャルムさんは振り向き、トビさんの方を見た。


「ノトを頼む」


 トビさんはシャルムさんを見ることもなかったけれど、シャルムさんはそれがわかっていたかのように、そのまま部屋を出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます