第218話 初めてのキス

 リズさんがいなくなったあと、私は仰向けになっている先生の下から這い出し、先生をきちんと寝かせた。


 途端、ごぽりと嫌な音がして、口の端から血があふれた。

 自然と横を向いた口から、ごぼごぼと何度か血が吐き出される。


 ――内臓がイカレてる。


 リズさんの言葉が脳裏によみがえり、ぎゅううぅぅっと両手を握りしめた。


 こんな状態の先生のおなかを殴るだなんて。


 怒りで体がぶるりと震えた。


 ふー、ふー、と息を吐いて怒りを外へと逃がしていく。


 あのリズさんが、理由もなく先生を傷つけるわけない。

 こうでもしないと先生を止められなかったんだ。


 ――でないと死ぬぞ。


 早く先生を王都に連れ帰って治療しないと。


 そのためには……ラルドとシュスタの協力がいる。


 今なお倒れている二人の様子を見る。


 魔力切れという訳ではなさそうだ。

 怪我をしているわけでもないから、単純に疲労が限界に達しただけだろう。

 叩き起こせば起きそうだ。


 だけど、それじゃまともに動くのは無理だ。

 先生を運べない。


 何か活力が出そうなもの……。


 先生に教わった薬草がどこかにないか周りを見回すが、植生が違うのだろう、見慣れない植物ばかりだ。

 探せば見つかるのかもしれないけど、そんなに悠長にもしていられない。


 先生の顔は血と汗と泥で薄汚れていて、苦しそうに眉根が寄っている。

 薄く開いた口の端からは血が流れている。

 

 そこではたと気がついた。


 木の実――。


 先生はそれで疲労を抑え込んで、魔法陣も魔術もなしで常人離れした身体能力を発揮していた。


 これがあれば、二人も一時的に活力を取り戻すことができるのではないか。


 先生と、ラルドとシュスタの二人を交互に見る。


 ぎゅっと目をつぶった。


 これしか、方法はない。


 どくりと心臓が跳ねた。


 禁止薬物だからって何だって言うの。

 先生の命がかかっているのだもの。


 目を開けたときには、私の心は決まっていた。


 先生に走り寄り、ポケットの中から木の実をつかみ取った。


 親指の爪くらいの大きさの、しずくの形をした茶色の実。

 クルーの実によく似ていて、違うと言われなければ、いや、違うと言われていても見分けられそうにない。


 それをスカートのポケットにねじ込んで、今度はラルドに駆け寄る。


「ラルド、起きてっ!」

「んん……」

「先生が大変なのっ! お願い!」

「んあ? ……ソフィさん?」


 仰向けにして揺すると、ラルドはだるそうに目を開けた。


「蛇はどうなったっすか?」

「倒したわ! 他の人が来て助けてくれたの」

「そうっすか……。その人、すごいっすね。ノトさんでもかなわなかったのに」


 安心したのか、ラルドはへらっと笑うと、すうっと目を閉じた。


「だめだめだめ! 寝ちゃダメ! 先生が大変なのっ!」

「ノトさんが?」


 ラルドが横になったまま顔だけを先生に向けた。

 ごぷりと先生の口から泡だった血が漏れた。


「申し訳ないんすけど、とっくに限界を超えてて、指一本動きそうにないっす。詠唱くらいなら何とかなりそうっすけど、もっと近くじゃないと」

「これ。これ食べて」


 私はラルドの口に無理やり木の実を入れた。


 ごめんなさいと心の中で謝りながら。


 ラルドは何の疑いもなくガリッと木の実を噛み砕き、ごくりと飲みこんだ。


 私は祈るような気持ちでラルドを見つめる。


 効果はすぐに表れた。


「あれ、何だか急に楽になったっす」


 ラルドが起き上がり、両手を握ったり開いたりした。


「まだ体は重くてだるいっすけど、動けそうっす」

「よかった。先生をお願い。私はシュスタを起こすから」


 ラルドは、それでもへろへろといった感じで先生の所に向かい、そこでひざまずいた。


 私はシュスタを起こしにかかる。


「シュスタ。シュスタ。お願い起きて」


 シュスタが目を薄く開けた。


 しかし、私の顔に焦点が合う前に、また目を閉じてしまった。


「シュスタ! 起きて!」


 パンッとほほを叩く。


 シュスタは再び目を開けたが、口をわずかに震わせたあと、またこてりと眠ってしまった。


 少しでも起きてくれないと食べさせられない。


「シュスタ! お願い! 起きてっ! ……ああっ! もう! どうしたらいいの!?」


 口を無理やり開かせて木の実を押し込むが、飲み込んではくれそうにない。

 まず噛んでくれないと飲み込めないだろう。

 待っていてもらちがあかないし、誤飲して窒息されても困る。


 仕方ない。


 初めてだけど……これこそ迷っている場合ではない。


 お父さま、お母さま、ごめんなさい。


 私はシュスタの口から木の実をかき出すと、新しい木の実を口に入れて噛み砕いだ。


 少し苦い。渋みもある。

 クルーの実とは明らかに違う味だ。


 意を決してシュスタに覆いかぶさり、口づけた。


「ん……」


 あごを手で押して口を開けさせ、歯列の間に舌を滑り込ませる。


「……んんっ」


 シュスタの舌がわずかに抵抗を見せるが、それを舌で押さえつける。

 できた隙間に、砕いた木の実を流し込んだ。


 苦みに反応したのか、シュスタの舌の動きが激しくなる。

 私の舌を押し戻そうとしてくる。


 ぞわりと背筋に電撃が走った。


「んふ……んん……」


 舌を絡ませ、首を振ろうとするのを手で押さえつけ、唾液を送り込む。


 遂にこくりとシュスタの喉が動いた。


 口を話すと、つうっと。唾液が糸を引いた。


 ぐいっと腕で口をぬぐうと、呼吸を乱し、頬を上気させたシュスタがとろりとした目を開けた。


「はぁ……はぁ……まさかソフィさんに……はぁ……襲われるとは思いませんでした」

「私だって、シュスタとキスをすることになるとは思ってなかったわよ」

「なんです、この苦いの」

「きん――気付け薬のようなもの」

「どうりで。おかげで目が覚めました。……キスのせいじゃないですよ」

「わかってるわ」

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