第217話 逃げて戻って

 先生と、ラルドとシュスタを置いて、ひとり森を逃げる。


 メイスは捨ててきた。


 両手を使って根の壁をよじ登り、飛び降りて、また登る。

 全ての補助魔術が効果切れになっていて、跳び移るなんて芸当はできなかった。


 ただ必死で前へ前へと進んでいた。


 大声で推進を唱えて、ぽろぽろこぼれる涙と、嗚咽おえつを押し殺して。


 何も。


 何もできなかった。


 それどころか、また足手まといだ。


 いや、違う。

 先生に、あれを押しつけた。


 ラルドたちは、先生がそこにいるとわかっていて逃げていたんだ。

 それが二人にとっての最善で唯一取れる行動だったから。


 二人のことを責めることはできない。

 二人の制止を振り切って奥へと進んだのも私。


 何で私はこうなんだろう。

 先生の役に立ちたいだけなのに。

 全部、裏目に出て。


 先生は、大丈夫。

 先生のことだから大丈夫。


 私がいなければ、きっと大丈夫。


 ラルドとシュスタも、回復すれば先生と一緒に戦える。

 それまでの時間は、先生なら稼いでくれる。


 役立たずなのは私だけだ。


 だから私は、逃げなきゃ。

 もう邪魔にならないように。


 ぐいっと腕で涙を拭いて、ことわりの言葉を叫ぶ。


 進む速度が少し上がり、それを利用して根を駆け上る。


 ラルドやシュスタには全く及ばない。

 長く詠唱する割に、弱くて効果の短い魔術。


 だめだめ。

 今はそんなことを嘆いている場合じゃない。


 落ち込みかける自分を叱咤しったして、進むことに集中した。


 と、右斜め前方に、何かの気配。


 感覚強化も使っていないから、気づくのが遅くなった。


 メイスもないのに。


 ぐっと下唇をかむ。


 向こうの方が圧倒的に速い。

 逃げられない。


 なら、応戦するしか。


 根の上で止まった。


 もう相手にも見つかっているに決まっているのだから、隠れる意味はない。

 地面に降りるよりは、高い位置にいた方がいいだろう。


 大声を上げていいものかと一瞬迷い、見つかっているのなら、静かにするのも意味がないと思い、炎の詠唱を始める。


 この距離なら、きっとこの位なら詠唱しきれる。


 詠唱が長ければ長いほど強度や形や大きさといった特性を付加できる。


 弟子にしてもらってから、何度も何度もそれこそ数え切れないほど唱えた、炎の魔術。

 どのくらいの時間で、どのフレーズを組み合わせて、どの長さまでなら唱えられるかは、だいたいわかるようになってきた。


 それだけは、成長といえるのかもしれない。


 計算通り、最接近する直前に詠唱は終わり、タイミングをはかるために私は身構えた。


 だけど、その高速移動する何かは近づいてこようとはせず、少し先を駆け抜けていった。


 木々の向こう、ちらりとこちらに向けられた目線。


 一瞬よぎったその姿に見覚えがあって、私はへなへなとその場に座り込んだ。





 元いた場所に戻ってみれば。


 先生が向かい合わせで立ったリズさんの肩に頭を乗せていた。だらりと下がった腕、力の抜けた膝。

 リズさんは先生の背中に手を回し、その体を支えていた。


 リズさんの背後の根の上からは、真っ二つに割れた蛇の頭がだらりと垂れ下がっていて、流れた血が地面に血だまりを作っていた。


 すごい。と思うのと同時に、ちくりと胸が痛む。


 リズさんなら先生の横に並び立てる。

 先生が体を預けてしまえるくらい信頼されていて、守られてばかりの私とは違うんだと痛感した。


 リズさんの目が、ふと私を見た。


「そこの弟子、こっち来い」


 言われて根から飛び降り、駆け寄る。


「今のうちにこのバカを連れて帰れ。腹に一発ぶちかましたから、当分起きねぇはずだ。あとあいつらもな」

「え?」


 腹にってどういうこと?


 リズさんが押すと、先生はぐらりと背中から私の方へと倒れた。


「わ、わわっ」


 先生の脇の下に腕を入れて支えようとしたけど、先生の体には力が入っておらず、ぐにゃりと膝が折れてしまう。

 それに引きずられて、私も尻餅しりもちをついた。


「内臓イカレてるから、帰ったら治療しとけよ。あと……手足をベッドにくくりつけて、強力な硬直をかけろ。目が覚めたら暴れやがるから」

「なんでそんなこと。暴れるって……?」


 私がリズさんを見上げて問うと、リズさんはちっと舌打ちをして、後頭部をがりがりとかいた。


「あー……そのバカ、禁止薬物に手を出した。極度の依存症におちいってる。だから禁断症状で暴れる」

「禁止薬物!? そんな、まさか!」

「時々食ってたろ、木の実。あれだあれ。何とは言えねぇが、相当やばいやつ。一応国内に持ち込むと、下手すりゃ死刑になるクラスの。どうやって手に入れたんだかな。あとで全部没収させっから、手を出すなよ」


 木の実。


「全然気づかなかった。だってあれはクルーの実だと思って……。先生も隠そうとしなかったし……。だからあんなにつらそうだったんだ……」


 似ている禁止薬物なんてあったかと記憶をたどるけど、思い当たる物はない。

 きっと学園なんかじゃ教えないくらいの危険なものなんだ。


「わかったらとっとと帰れ。今ならチューリもいねぇだろ。あとでシャルも行かせっから、とにかく縛り付けて内臓の治療しとけ」


 でないと死ぬぞ、とリズさんが言った。

 そして、つつっと視線を私の背後、その上へ向ける。


「うわっ! ぐへぇっ」


 後ろからサルリがつぶれるような音がして、振り向くと、シャルムさんが変な体勢で地面に倒れていた。

 きれいな銀髪も、緑のローブも、土や葉っぱがついていてボロボロになっている。


「リズ……」


 涙目でシャルムさんがリズさんの名前を呼んだ。


「やっと来たか。こっちは終わったから、あたしらは先行くぞ」

「ちょっと待て。無理。休憩――」


 リズさんは、嫌がるシャルムさんをひょいっと小脇に抱えると、森の奥へと行ってしまった。

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