第216話 代償

 ――熱い。


 暗闇の中、そう思った途端、目の前で開いた両の手の指先に、ぼっと火が灯った。


「うわわわぁっ」


 熱と共に鋭い痛みが生じ、反射的に手を振って火を消そうとした。


 が、火は全く揺らぐことはなく、逆に指の根元の方へと燃え広がっていく。


 じゅぅと肉の焼ける音と、香ばしい匂いがする。


「つぅっ!」


 反対の手で火を払い落とそうとしたが、焼けた皮膚がずるりとむけただけで、火はびくともしない。


 今度は口に入れて唾液で消火を試みる。


 にじみ出る体液が舌に絡み、焦げ臭さが鼻から抜けた。


 なのに、口腔内では全く熱さを感じない。


「ぅああああぁぁぁ」


 唾液が焼けた指にしみる。

 

 口から出しても火は消えていない。


 服にこすりつけても火は消えず、燃え移ることも無かった。


 指先から手の平へと火と激痛が燃え広がっていく一方で、指先の肉は炭と化し、やがて骨が現れた。


 骨にまとわりつく火は青く揺らいでいて、真っ白な骨は変色する様子がない。


 まるで骨自体が炎を生み出しているようだ。


 激痛で気を失いそうになりながらそう思った瞬間、ぼぅっと体全体が燃え上がった。


「ぎゃああああっっっっ!」


 叫びと共に炎が立ち上る。


 目の前が真っ白になった。






 ――寒い。


 熱を出した時のように、川に深く潜ったときのように、全身が冷えていた。

 手足はわき水に浸したときのような痛みさえ感じた。


 体を丸めても体温は逃げ続け、ガタガタとふるえがとまらない。

 腕をこすっても熱は生まれなかった。


 どうしてこんなに寒いところに裸でいるのだろうか。


 そういう思考さえ鈍り始める。


 周りは洞窟の中のような完全な暗闇で、自分の体だけがしっかりと見える。


 血が引いて青白かった指先はどす黒く変わり、そして毒を受けたときのように腐り落ちた。

 指先の痛みはなくなり、少し楽になった。


 壊死えしは体の中心部へと広がっていき、手足が端から腐り落ちていく。


 最後は首から下がすべてなくなって、寒いという感覚だけが残った。





 ――水を。水をくれ。


 のどが渇いていた。どうしようもなく。


 口の中はからからで、内臓ですら乾ききっているのではないかと思えた。


 立ち上がるとめまいがするので、暗闇の中で水を求めてはいずり回った。


 唇がカサカサに乾き、ひび割れる。


 眼球を湿らす涙も出ず、まぶたを閉じればはりついて開かなくなった。

 何も見えなくなるはずなのに、なぜか自分の体を視認することができた。


 指のまたに裂傷ができたら、後はあっという間だった。


 指がぱりぱり乾き、関節がひび割れ、体液がにじみ出るもすぐに乾いて、ひびはより深くなっていく。


 割れ目が骨まで届くと肉が反り返り、骨からぱりぱりとはがれた。


 そのころには全身がひび割れていて、ぴしりぴしりと割れ目が広がる音が聞こえてきそうだった。


 だが俺は自分の体の変化に気をやるどころではなかった。


 喉の乾きが尋常ではない。


 たまらず二の腕にかみついたが、時すでに遅く、蛇の抜け殻のように乾ききった腕には、一滴たりとも血は残っていなかった。


 どこからか風が吹き、俺の体を粉々に砕いてさらって行った。

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