第215話 頼んでいない

 俺の横を、人影が駆け抜けていった。


 手にした剣の刀身は魔術の光を帯びており、それがすぅっとかすかな残像を残す。


 やや前屈みになったは軽々と根の上に駆け上がり、その勢いのまま跳んで激しく首を振る蛇の鼻先に飛び乗った。

 かと思えば、そこを踏み台にさらに高く跳躍し、木の枝に届きそうかという高さでくるりと前転した。


 そこから両手で振り下ろした剣には回転の力と落下のスピードが乗り、何の抵抗も感じさせることなく、蛇を頭からまっぷたつに切り裂いた。


 俺があんなに苦戦した蛇を、一撃で、いとも容易たやすほふってしまった。


 噴水のように吹き上がる血。

 それを全身に浴びながら危なげなく根の上に着地した彼女は、片手で無造作に顔の血を拭うと、濡れそぼったポニーテールをしごいて血を落とした。


「リズ……」


 俺の口から呟きがこぼれ落ちる。


 頭を軽く振ってからふぅと小さく息を吐いたリズは、俺をまっすぐに見下ろすと叫んだ。


「何やってんだ手前ぇは!」


 同時に、右手で剣を木の根にぐさりと突き立てた。


 何って。


 カッと頭に血がのぼった。

 

「それはこっちのセリフですよ! あなたこそこんなところで何をしていらっしゃるんですか! 俺は……俺はあなたのために……! あなたが出てきたら意味がないでしょう!?」

「あたしはそんなこと頼んでない!」

「たっ!? 頼んでない!? どの口が言うんですかっ! 俺は勅命を拝命したんですよ!? 頼んでないだなんてっ、そんなこと、よく言えますねっ!?」


 体中の血が沸騰しているようだった。


 痛みだとかだるさだとか寒気なんてどこかへいってしまった。

 どうしようもない怒りだけが体の中を暴れ回り、皮膚を突き破って出てきそうだ。


 言葉遣いはめちゃくちゃで、言っている内容も不敬だとわかっていたが、言葉は止められなかった。


 リズは俺の怒鳴りに顔色を変えることなく、冷ややかに俺を見下ろしている。


「あたしは頼んでない」

「だからっ!!」


 許せない。


 頼んでいないだって!?


 俺は陛下の御為に……! 陛下がおっしゃったから!


 それが最善で。この国を救う唯一の方法で。


、頼んでない」


 リズは同じ言葉を繰り返す。


 女王としては頼んだが、今の自分リズとしては頼んでいないとでもいうのだろうか。


 そんなの――


「そんなのは詭弁きべんだ! どこにいようと、どう振舞っていようと、あなたはあなただ! 俺はあなたの命を奪う覚悟を決めて! そのために子どもたちにとてつもない苦痛と、取り返しのつかない傷を負わせる覚悟も決めて! できそこないの俺にとってのアイデンティティである魔法陣までもを捧げることを決めたんだ! それを、頼んでいない、だって? ……ははっ、よくそんなことが言えますね。俺はこんなことのために魔法陣を研究してきたわけじゃないってのにっ!」


 俺は、こみ上げてきた血を口の端から垂らしながら叫んだ。


「その結果がそのザマか」


 あくまでもリズの声は淡々としている。


「っ! あんたのせいでしょうがっ! あんたは! あんたは城にこもって大人しくしてろよ! 一滴の血も無駄にできないんだっ! 怪我されちゃ困るんだよっ!」


 はんっとリズが鼻で笑った。


 そして、とんっと俺の前に降りた。


「だったら、手前ぇはどうなんだ? こんなところでくたばったら、どうなるかわかってんだよな? 誰が代わりをする? 手前ぇの他にできるやつがいるってのか?」

「それは……っ」

「自分のやってることに耐えきれないから死にたいって? 逃げてるだけじゃねぇか。それでよくあたしに説教ができるなあ?」


 リズがぐっと顔を近づけてきて、俺の胸元を左手の人差し指で押した。


「魔法陣を捧げるだあ? んなこと誰も頼んじゃいねぇんだよ。手前ぇが勝手に決めて勝手にやってるだけだろうが。それであんな弱っちぃ蛇ごときに後れを取って、大事な弟子を道連れに死んでちゃ世話ねぇな。しかも――」


 リズの手が俺の太ももの内側をするりと撫で上げ、腰の横を通って尻まで回った。

 そこにあるポケットに細い指が侵入する。


「――こんなもんにまで手を出してるとは呆れ果てる」


 手を引き、目の前で開いた手のひらには、木の実が三粒乗っていた。


「クルーの実に見えるが、こりゃコルネトリネの実だよな。よくもまあ、こんな劇薬を禁断症状が出るまで食い続けたもんだ。体中がイカレてやがるな。その様子じゃ、内臓が溶け始めてるか」

「か、関係ないでしょう!? それとも、禁止薬物の所持と使用で拘束しますか!?」


 返せとばかりにリズの持つ木の実に手を伸ばしたが、ひょいっとよけられてしまった。


「そうだな……」


 ふむ、とばかりにリズがあごに手を添えて斜め上を向いた。


「そうさせてもらうか」


 言い終わるのと同時に、みぞおち辺りが激しい衝撃に襲われた。


「ぐっ、はっかはっ」


 内臓が暴れ、びしゃびしゃっと血が喉の奥から噴き出た。


 そして、ランプの火を消すように、ふっと俺の意識は途絶えた。

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