第211話 雷撃

 生臭く生温かい空気が顔に触れ、ぴろっと舌が左横で動いたのを見て、横に傾けたへびの頭が大きく口を開けて、私を丸ごと飲み込もうとしているのだということを理解した。


 反撃する余裕なんかなくて、かろうじてできたのは、顔を腕でかばったことと、ぎゅっと目をつぶったことだけ。


 先生っ!


 もうダメだと思ったその瞬間、私の左足首を誰かがつかみ、体を後ろに引っ張った。


「きゃっ」


 かかとを支点にして頭から後ろにぐるんと勢いよく回転した私は、バランスを取ろうと反射的に顔を守っていた両腕を振り上げた。


 さらされたひたいをを、ばくんと閉じた蛇の口先がかすめていった。

 拍子に、毒の飛沫ひまつが両腕に飛んだ。


 視界に空としげる木の葉が映り、さらに風景が動いていく段になって、ようやく自分の身に起こったことを把握した。


 私、足を引っかけたんだ。


 飛び移っている途中で首だけで振り返ったつもりが、見たものに驚いて体ごと後ろを向いてしまい、着地しようとしていた根にかかとが当たったらしい。


「くふぅっ」


 回転の勢いからかかかとが根から外れたかと思うと、背中の上部、肩甲骨の辺りを強く地面に打ち付けた。


 息が詰まり、跳ねた上半身が大きくしなる。


 空気を吸おうとあえぐ間もなく、二回目の衝撃が来て、限界まで息をしぼり取られた。


「がはっ、かは、かはっ」


 丸まってせき込むと、喉がひゅーひゅーっと鳴った。


 ――逃げ、なきゃ……。


 上げた顔に、鎌首を上げた大蛇が影を落とした。


 メイスは手の中になかった。


 ――立ち上がって、逃げなきゃ。


 痛めた手も使って上半身を起こすが、足に全く力が入らない。


 ――お願いだから動いて。


 ちろちろと口先を出入りしている舌は、おいでおいでをしているように見えた。


 ――逃げるのよ。


 蛇が首を後ろに引いた。


 飛びかかってくる前動作だとわかっているのに、足が言うことをきかない。

 

 ――立てないなら。


 私は見下ろす赤い目をにらみつけた。


 ――立てないなら、横に転がってやるっ。

 

 そう決意して手に力を込め、タイミングを計った。


 しかし、蛇はふっと視線を上げた。


 そこへ鋭い声が飛び込んできた。


「――!」


 ことわりの言葉と共に生まれたのは、バチバチと火花を散らす、雷のかたまり


 拳大から一気に蛇の頭ほどの大きさに膨らんだそれは、蛇の鼻先へぶち当たり、太陽よりも強い光を放つと、バァンという破裂音と共に、蛇の尾の方向へと電撃を走らせた。


 目を開けていられないほどの明滅の間に、誰かが私の横に降り立ち、私を横に抱えるやいなや、二歩で根の垣根を駆け上がった。


「ラルド……!」

「ラルドっ!」


 私が感激の声を上げたのと、シュスタが叫んだのは同時。


 それに応じて、ラルドが私をずり落とし、両手で杖を掲げる。


「――!」


 発動したのは、こちらも雷の魔術。


 何もないところから放電が起こり、そのこまかな稲妻いなずまが寄り集まって、今度は塊ではなく、一本のやりを形成した。


 不定形の雷に、形を持たせるなんて。

 すごい。


 空気中から雷の成分を集めて十分に成長したそれは、ラルドが杖を振り下ろすと、矢のように真っ直ぐに飛び――


 ――シュスタの雷撃による衝撃で頭を持ち上げたまま硬直した蛇の、だらしなく開いた口の中に突き刺さった。


 体内へ吸い込まれたそれは、一拍ののち、落雷の轟音ごうおんを響かせて、蛇を内部から焼いた。

 びくりと大きく痙攣けいれんした蛇の口から、放電が漏れた。


 雷が収まったのち、力を失った蛇の頭はどしんと落下して、だらしなく地面に伸びた。


「……」


 私はあまりの光景に目を奪われ、言葉を失っていた。

 ぽかんと間抜けに口を開け、ラルドに腕を引かれていることに気がつかない始末。


 こんな、こんなすごい魔術、見たことない……。

 先生の魔法陣みたい。


 特審官様ならきっとできるのだろうけど、どちらかと言えば技巧を凝らすよりは速度と威力重視で、リズさんや先生のサポートをしている姿を見ることが多かった。


 魔術にも、こんな複雑な動きができるんだ……。


 ちゃんと言葉を選んで詠唱を組み立てれば、その通りの事象が起きるというのはこういうことなのだと、身をもって知った。


 そういえば、ラルドとシュスタは、大規模魔術を発動したかなんかで特級になったと言っていた。細かい調整は得意分野なのかもしれない。

 

「ソフィさん、たって……立ってくだ、さいっ」


 息を切らして途切れながらも緊迫した声が聞こえ、顔を上げると、姿を見せていなかったシュスタもそこにいた。

 手には、私がなくしたメイスを持っている。


「え、だって、もう」

「まだっ、すよ……!」


 大蛇は倒したのに、と思ったが、そこではっと気がついた。


「チューリュ!?」


 これだけ大騒ぎしたら、たくさんのチューリュが集まってくるに違いない。

 いったい何匹来るのか。想像もつかない。


 腕をつかんでいるラルドに力を借りてよろよろと立ちあがる。


「ちっ」

「わっ」


 そんな私の様子に見かねたラルドは、荒い息の合間に舌打ちをし、私を抱え上げた。

 シュスタにはメイスを渡された。


「チューリュ、じゃ、ないっす」

「あいつ、まだ、生きてます」

「え?」


 蛇の頭が、ゆらりと持ち上がった。

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