第210話 大蛇

「な、何あれっ! 蛇!? どういうこと!? な、なんで? チューリュしかいないんじゃなかったの!?」


 ラルドに抱えられながら、私はわめいた。


 ラルドは答えない。

 シュスタも答えない。


 二人とも、青い顔をして、呪文を唱えていた。


 最初に発動させたのはシュスタ。

 私に推進をかけた。


 そしてすぐに次の詠唱に入る。


 次にラルドが、動けない私に拘束の解呪をかけた。


 固まっていた体が突然自由になり、ばたばたと手足を振り回してしまった私は、ラルドの腕の中からぼとりと地面へと落ちた。


 ラルドは、いたた、と尻もちをついた私を一瞥いちべつするも止まることはなく、次の瞬間にはもうずっと先にいた。

 当然シュスタも同様だ。


「ええっ!? 置いてくの!?」


 私はすぐに立ち上がり、その後を追う。


 しかし、特級シュスタの推進とはいえ、一枚がけでは追いつくどころかどんどん離されていく。


 と思っている間に、二人の姿は木立に隠れて見えなくなってしまった。


 後ろからは大きな気配が迫ってくるのを感じる。


 黒い空気のかたまりに体の背面を押されているような、逆に全身にからまった糸で後ろに引っ張られているような、ぞくぞくとする嫌な感覚。


 振り返る勇気はないけど、木々がなぎ倒されるような音も聞こえないけど、明らかにあの大蛇は追ってきている。

 

 さっきの勢いでぶつかってきたら、私は木との間に挟まれてぺちゃんこになってしまうだろう。


 いいえ、ぶつかった衝撃だけで骨が砕けて即死かもしれないわ。


 ひやりと冷たいものが背中を伝う。

 手は汗で濡れ、握ったメイスの感触がなくなっていく。


 自分で推進をかければ多少はマシになるのだけど、焦って呼吸が乱れてしまい、呪文を唱えることができないでいた。


 見捨てられたんだ。

 解呪と推進はかけたから、後は自分でなんとかしろと言うことだろう。


 当然だ。無茶をしたのは私なんだから。


 メイスを握る手に力を入れようとするが、すでにがっちりと指が白くなるまで握りしめていて、逆に力が抜けていくようだった。


 どうしよう。

 どうしたらいいの。


 逃げる方向を変えたら、そのまま二人を追って行ってくれる?


 でも私の方にきたら?


 二人の方に行ったとして、そっちは無事で済むの?

 

 考えがまとまらず、背後に迫る気配におびえてただ足を動かした。


 喉が痛い。

 血が出そうなくらい。

 

 そのとき、前方にシュスタの背中が小さく見えた。


 シュスタの移動速度は私よりも遅くて、だんだんとその姿が大きくなっていく。


 推進が一気に解けた? それとも怪我?


 二人なら立ち向かえるかしら?

 

 心配よりも安堵あんどの気持ちが強くて嫌になる。


 ついにすぐ後ろについたとき、シュスタは肩越しにこちらに視線を向けると、一言だけしゃべった。

 推進の魔術の、ことわりの言葉だった。


 同時にシュスタはぐんと一気に速度を上げ、木の根の壁を飛び伝いながら、またすぐに豆粒になってしまった。


「あ……」


 私も必死で彼女を追う。


 シュスタがかけた推進によって、私の速度も上がっていた。


 相変わらず後ろの気配は消えないけど、見捨てられていなかったという事実が、ほんの少しだけ気持ちの余裕を生んだ。


 息を切らしながらも、途切れ途切れに推進の詠唱を始めた時、今度はラルドの背中が見えた。


 ちらりちらりと後ろを気にしているラルドの横に私が並ぶと、シュスタ同様、私に推進をかけてくれた。


 声を漏らさぬよう、息を細く保っていたのか、ぜーはーぜーはーと荒い息をしたラルドは、ぐっと息をつめて緩めていた速度を上げた。


 今度こそ置いて行かれまいと、私もその後に追いすがる。


 が、さっきよりはマシになったとはいえ、見失うほどではないもののやはり距離は開いていった。


 荒い息の合間に少しずつ組み立てていた推進がやっと完成した。

 声を張り上げていたものだから、のどが渇いて貼りつきそうになっていた。


 最後の言葉を声に乗せる前に、ついに私は後ろを振り向いた。


 太陽の光を透かした葉のような鮮やかな緑色をした大きな蛇が、二股の舌をでちろりちろりと空気をめながら、ぬるぬると木の間を縫って来ていた。


 低く抑えた頭が大きすぎてそのすぐ後ろは見えないけど、くねくねと曲がって進んでいるせいで、体の真ん中あたりは良く見える。

 木の根の垣根かきねの上に橋のように体を渡し、音も立てずに滑らかに進んでいた。


 蛇の赤い目と目が合った。


 その眼力に息が止まり、これ以上ないくらいに鼓動こどうを速めていた心臓がさらに一度どくりと大きく跳ねた。

 ずるりと足を踏み外しそうになったのをなんとか持ちこたえる。

 

 わずかに持ち上がった頭がそのまま噛みついてくるような錯覚を起こし、推進を発動させた。


 シュスタとラルドの魔術には遠く及ばないけど、ほんの少しだけ速度の上がる手ごたえを感じた。

 それだけで、蛇から感じた圧力が弱まった。


 この速度なら逃げきれる……!


 そう思った私が聞いたのは、がりりっと木がこすれるような音。


 たまらず振り返った私が見たものは、さっきと同じ、ぽっかりと開いた喉の奥だった。

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